弁当とは持ち運びできる最小の家庭である。
故に、弁当には色々なものが出る。各家庭独自の価値観、家族構成、金銭事情…。いや、本来そんなものを読み取ってはいけないし、40歳を間近に控えた今なら自分も他人もどんな弁当を食べていようと別になんとも思わない。しかし、あらゆることを人と比べて気にしてしまう思春期は違った。私は弁当によって傷ついたことが幾度もある。
中学生になって最初の遠足。行き先は鎌倉。事前の説明会で少し不良っぽい生徒達が先生に提案した。
「先生!ジャージじゃなくて私服でも良い事にしませんか?」
ちょうどお洒落に目覚める年頃である。しかも私が通っていた中学のジャージは信じられないほどのダサさだったので(スカイブルー!)、この提案に生徒達からは歓声が上がったが、私を含め一部の生徒は静かに俯いた。そりゃあファッションセンスもあって、好きな洋服を買える環境にある奴らは良い。しかし、ジーンズメイトに入るのもビビりながら、しかも軍資金は極めて乏しい、という環境にある我々のような人種は、学生服やジャージというのは極めてありがたい存在だったのだ。そこにセンスの良し悪しは発生しないのだから。
しかし、願い虚しく、こんな時だけ聞き分けの良い教師達はあっさり私服を許可してしまった。「遠足のためだけに服を買いに行くからお金が欲しい」などと親に言い出せるわけもなく、私は兄の部屋に忍び込んだ。こういう時、6歳年上の兄は頼りになる存在だった。既にバイトなどもしていたので流行りのアイテムも取り揃えている。私はキャップとリュックをこっそりくすねた。
遠足当日。さすがにお洒落なグループは眩いばかりの光を放っている。私の時代はスケーター風のファッションが流行っていて、皆、太いズボンを腰まで下げて穿いている。私はというときちんとお腹の下あたりでベルトを締めたチノパンに、何回も着過ぎてヨレヨレになったネルシャツ。しかし当時は珍しかった肩紐が一本の斜めがけするタイプのリュックのおかげで、なんとか悪目立ちはしないレベルに持ち込めている。ほっと一安心して、いざ鎌倉へ。
個人的に気乗りしない要素が出発前にあったとはいえ、やはり楽しい遠足である。普段よりハイテンションではしゃぐ我々を乗せて、電車は進む。私は極めてお調子者だったので、人一倍下らないギャグなどを言いまくっていたと思う。もうお洒落問題のことなどすっかり忘れていた。しかし、鎌倉まであと少し、という横須賀線の車内で同じ班の女子が冷静に言い放った。
「石井くん、リュックがビシャビシャだよ」
え?驚いてリュックを前に回して確認すると、確かに全体が濡れている。そして、何やら肉々しい香りを車内に放ってもいる。中を開けてみて、すぐに理由は判明した。母親が弁当箱のゴムパッキンをつけ忘れ、中に入っていた炒め物の汁が全て外に漏れ出していたのだ。
「あ、シャツも濡れてるね」
顔面蒼白になっている私をさらなる地獄に突き落とすように、女子は冷徹に言い放つ。いわゆる残酷な天使のテーゼである。汁はリュックから染み出し、ネルシャツの背中あたりにまで浸透していた。
終了。私の遠足はここで終了した。精神的に。先ほどまでのテンションが嘘のように、私は静かになってしまった。もう、お洒落どうこうの話ではない。私は、肉汁が染み込み、昼時の新橋のようなにおいを纏った人間に成り果てたのだ。原理的には肉豆腐の豆腐とほぼ同じなのである。ようやく鎌倉につき、これから遠足が始まる、という時に、私だけは既に弁当の時間を迎えているのである。においの面では。
そこからはあまり記憶が残っていない。一つだけ覚えているのは、銭洗弁天のトイレでリュックを水洗いしたことだけである。皆が千円札などを洗ってはしゃいでいる中、私だけリュックを洗っているのである。「え!あんた、銭洗わないで何洗ってんの?」。弁天様もびっくりである。
さらに、帰宅してからは兄にこっぴどく怒られたのは言うまでもない。そりゃあそうだ。一生懸命バイトして買ったリュックが、豆腐になって帰ってきたのだから。
勿論、大人になってみた今では忙しい時でも弁当を作り続けてくれた親への感謝、というのは自然に抱けるものだが、思春期真っ只中の私には難しいことだった。パッキンの締め忘れ、弁当が全体的に茶色い、見たこともない謎の物体が入っている、などの経験をあまた繰り返した結果、私は弁当に対してすっかり怯える仔犬のようになってしまった。しかし、それはどうやら私だけではなかった。
中学2年生の時、私は文化祭実行委員になった。学校が早く終わるある日の土曜日。私を含めた実行委員の男4人は、放課後に文化祭についての話し合いをする事になった。しかし給食が無い日なので、皆弁当を持参していた。
同級生が帰った後、4人は同じ教室に集まる。いつも通り馬鹿話に花を咲かせていたが、会議までの時間がさほど無かったので早速弁当を広げる事に。机を4つくっつけて、一応テーブルクロスも敷いた。
「さあ、食べよう!」
皆が弁当箱の蓋に手をかけた瞬間、私の心に突然、妙な気持ちが湧きあがってきた。
(なんか、弁当の蓋を開くのが恥ずかしい・・・)
既に弁当仔犬期に突入していた私である、今日も親が何かをやらかしている可能性は十分にある。しかしこの時は、一番視線を気にしてしまう女子がいるわけでもなく、仲の良い男友達だけ。それでも、なぜか蓋が開けられない。
が、不思議な事に、なんとそんな状況に追い込まれていたのは私だけではなかった。その場にいる全員が何故か同じようなプレッシャーを感じたらしく、誰も蓋を開けようとしないのだ。誰かが一番最初に開けてくれないか、互いに窺っている。そんな気配がみるみるうちにその場を支配してしまい、益々開けられない。 わずか10秒ほどの沈黙であったと思うが、それが永遠にも感じられる。
私は勇気を持って切り出した。
「なんだよ、この空気!おい、お前開けろよ!はやく食えよ!」
「え~、やだよ~。勘弁してくれよ~」
突然振られたIはニヤニヤと照れ笑いを浮かべ開けようとしない。
「じゃあ、お前開けろよ~」
「え?俺は嫌だよ~」
「じゃあお前は?」
「俺はサンドウィッチだから最後でいいよ」
「何それ?意味分かんない。いいから開けろ!」
「嫌だって~」・・・。
そんなやり取りが永遠に続くが、誰も弁当を開けられない。そしてとうとう文化祭の会議を始める時間になってしまい、先生が教室に入ってきた。
「あれ?おまえら、まだ弁当食ってないのか?早く食えよ!」
しかし、私達は全員一致で弁当を食べずに会議を始める事を先生に告げたのだった。
なんだか分からない雰囲気に支配され、突然、弁当の蓋すら開けられない状況が発生してしまう。本当にどうでもいい出来事だが、「思春期」という言語化が難しい時期を象徴するような出来事でもあったような気がする。
大人になった今、自分の子供にはつい「自分だけの将来の夢」や「独自の感性」を求めてしまう。しかし、なんの変哲もない、没個性の極みのような学生服やジャージ、味気ないと思ってしまいがちなコンビニ弁当などがむしろ救いになることもあったと、自分の経験からも忘れずにいたい。
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