とにかく、私が片手袋という一見どうでも良い現象に強く惹かれてしまう理由の一つが、「こんなに沢山、いつの時代にも、ありとあらゆる場所に落ちていて、みんな何となく知ってもいたのに、キチンと調べたり形にする人がいなかったから」なのです。見えているのに、見えていない。
その観点からいくと、路上には片手袋以外にも見えているのに見えていないものが沢山あります。片手袋のように大々的には発表していませんが、
※「ガードレールとシュシュ」
で、「その視点は路上だけでなく、食べ物にも向けられるな」と思ったんです。トンカツに納豆、緑茶にたらこスパゲティ。なんでも良いんですが、今我々が日常的に口にするような食材や料理。それらはSNSがない時代に誕生しただけであって、それぞれの時代で一度は当時の形で「バズった」からこそ定着した筈。でも、ずっと昔から存在しているのに、これまで一度もバズってない不思議な食べ物もあるんですよね。
そんな「見えているのに見えていな食べ物」の代表格が、僕にとっては蕎麦がきだったわけです。ある一定の年齢以上の方であれば名前ぐらいは知っている。でも食べたことあるかないかも定かではないし、そもそもなんだかよく分かんない。見た目も全然映えないし、美味そうな肉や魚を押し除けてまで食べるようなものには思えない。
しかし、僕に言わせれば蕎麦がきは美味しいし美しい。主食としてメインを張れる重厚感もあれば、オヤツにちょっとつまむ軽さもある。そしてその魅力も単調ではなく、掘り下げ甲斐がある複雑さを有している。つまり!「蕎麦がきは食べ物界の片手袋」だったんです!
「あ!蕎麦がきが落ちてるぞ!」
片手袋研究も最初の数年は「こんなに面白いのに、この魅力を知っているのは僕一人だけなんだ!」という謎の優越感がありました。でも、やっぱり色々なことが分かってくると、その魅力を誰かと共有したくなる。今の僕にとって、蕎麦がきがまさにその状態なんです。
もう一度言います。「蕎麦がきは片手袋である」。だ・か・ら。僕はこのブログを綴らなければならない。皆さんにも知って貰わなければならない。それは必然なのである。
やるぞ!(早くやれよ!)
正しく「蕎麦がきは道端に落ちている片手袋」です。
道端を見つめる貴方を見つけてしまった私
蕎麦がき悦ちゃんです
自称「蕎麦がき普及協議会会長」とも名乗って、千葉県でそば打ちをカルチャーで教えながら、同時に蕎麦がきの普及に努めています。
お見知り置きください。