天と地の狭間で

2007年4月3日をもって、引っ越しを行いました。

闘争を行う、ということ。

2005-09-06 | 静流
私は、闘争を好みません。

世界は争いに満ち溢れ、争い勝たなければ生きて行く事は出来ません。
この世界は全てが有限であり、突き詰めたならば奪い合いです。食料、衣類、住居、資産、地位、名誉、学校、仕事、居場所、友人、恋人、家族……それら全て、それぞれの闘争に勝利しなければ得る事は出来ない。
勝利するとは得るという事、何処から得るかと言えば、それは紛れもなく敗者からです。
勝って、他者から奪う。
これが、全ての生物に共通する「生きる」という事の本質だと私は思っています。

しかし、それでも。
私は、闘争を好みません。

無論、私も物を食べて生きています。争い敗れた者を喰らって生きている訳です。
戦国学園に入学する際、入学試験を受けました。試験とは学力による闘争であり、選別です。他の方を蹴落として今居る場所を確保した訳です。
私は学費や生活費を工面する為、建築設計関連のお仕事をしています。言うまでも無くお仕事は有限であり、限られたパイの配分を決定するのは様々な闘争です。
他にも幾らでも挙げられますが、要するに私が今、此処に居るという事は限りない闘争の結果です。

それでも、決して。
私は、闘争を好みません。

それが当然の事だからといって、仕方がないと諦めては、お仕舞いです。
当然の事でも、仕方がなくても、それでも好きでは無いものは好きでは無い。
矛盾していようと、理論に破綻を来していようとも構わない。
仕方がないと俯いて、ただ道理に従って生きるなんて、格好悪いですもの。
私は、格好良く生きたいと願います。
胸を張って、自分自身に誇る事の出来る自分でありたい。

その為に、今日も生きています。