※ちょうどいい海の写真がなくて申し訳ない。私が海に行かないもんだから。
14年前というと2009年。
その頃私はどうしていたんだっけ。
2009年というとイーグルスが球団初のCS進出した年。吉川晃司25周年で、そうだ、金スマの企画で無人島に行っていやバラエティのいち企画でマジで死んでたらどうすんのとか言ってた頃だ。そう考えるとわりとついこの間みたいな気分になる。
まだ関ジャニ∞のファンになる前で、グループのことはそれこそデビュー前から認知してはいたけど、どうかしたら「安田くん」がどの子かまだおぼろげだったかもしれない。ドラマなどで見ることがあまりなかった安田章大は7人の中で最後に覚えたメンバーだったから。
アナザースカイという番組も、いつも見る番組ではなくてたまたまチャンネルが合っていたらなんとなく流して見るという系統の番組だったから、この年にあったという「安田章大のベリーズ」の回は見ていないと思う。
8/11、ANOTHER SKY(日テレ)「安田章大/ベリーズ」が放送された。
TVer 見逃し配信※無料は1週間程度
TVerでは(よくある”権利関係で映せません”のため)14年前の映像は見られないがテレビでは当時の映像が少しながらオンエアされていた。
まだ20代、金髪で灼けた可愛らしい少年みたいな安田章大が無邪気に笑っている。
海を愛し海に愛された彼は、エラ呼吸になって海に棲みたいというくらいダイビングに傾倒していた。ダイビングの雑誌に載るほど。
安田を蝕んだ病は、命こそ持っていかなかったけれどたくさんの疵を彼に遺していった。
”色付き眼鏡”もそう。倒れて負った大怪我もそう。
脳腫瘍を摘出したあとの脳は、その空間がぽっかり空いたままで、体液?などが満たされているのかもしれないが時間が経ったとしても埋まっていくことは無いのだと聞いたことがある。つまり野球ボールほどの空間が今も彼の脳には残されているのだろう。
スキューバダイビングは深く潜る。それはそれだけ身体に水圧がかかるということで、脳に空いた空間にも大きな負担があるのだと思う。そして、今わかっている光に対する過敏だけとは限らない、いつ意識を不意に失うかわからない後遺症。
どのレベルで禁止されたのかはわからないけど、医師がダイビングを禁止するのは当然のように思える。
神様はなぜ、これほど海を愛してやまない人から海を奪ってしまうんだろう。
たとえば私が何か大きな病気をして「スキューバーダイビングは決してやってはいけませんよ」と宣告されたとしても「あ、はい、てゆうか元気でもしませんし」って思うだけなのに。
脳腫瘍の手術、大きな怪我、グループの形が大きく変わる2つの脱退、そしてコロナ禍。
安田章大という人は、これらの「どう考えてもネガティブでしかない出来事」を、それでも少しでもポジティブで自分にとって無駄ではなかったという考え方をする、しようとする人だと思ってきた。
大怪我をした時に、お母様が「(病気や大怪我をしたことはアンラッキーだったけど)周りの人たちに恵まれてラッキーやったね」と言ってくれたと本人が話していたから、きっとそもそもそういうものの見方をするように育てられてきたんだろうなとも思う。
でも、どんな聖人みたいな人だって自分に起こった不幸についてそう最初から達観できる人なんてそうはいない。大事なものを持っている人なら尚更。
彼はアイドルとしての公の場やコンサートのMC、挨拶などでファンに向けて発言する時、おそらく強く意識して、なるべくネガティブなことは言わず、マイナスなこともポジティブに考えてやっていこうと促すようなコメントを出すことが多い。それはコンサートという楽しくて夢の空間で、少しでもネガティブな気持ちを残さずに楽しく前向きな気持ちだけを持って帰って欲しいという演者としての望みからくるものではないかと思う。
でも、それは彼自身が内面で様々なマイナスの感情と戦って戦って最終的に勝ち取った結論であることも察することは出来る。
2020年9月、「LIFE IS」という写真集が刊行された(弊ブログでもその件についてはエントリを上げている)。
そして明けて2021年の1月から、朝日新聞「患者を生きる」という連載コラムの特別編として、『安田章大と色付き眼鏡』が5日間掲載された。(私はこの連載についてエントリを書こうとして多分挫折したのだと思う。書きかけのテキストだけが残っていた)
多分、その連載が掲載されている最中のJohnny's Web「関ジャニ戦隊∞レンジャー日記」において、安田章大は『海を失ったこと』について溢れた思いを留めることが出来なかったように長文を残していた。
はっきり記憶していないが、コロナ禍中の関ジャニ∞TVの企画でラジオのように声だけの配信があった時、多少オブラートに包んだような穏やかな口調ではあったけれど、もうダイビングが出来なくなってしまったことを告白してはいたけれど。
その日のレンジャー日記には、脳の手術のあとあれほど愛したスキューバダイビングがもう出来なくなったことについて本当に辛くてたまらない、辛くないなんて嘘のかたまりや、と書きなぐるような文章で綴られていた。
癒えるはずない傷の慰めにしかならんくて、今後の人生においては自身の足枷にしか過ぎひんねんよ
そんな足枷なんかまったくいらん
失くなったものを追いかけ続けて苦しむより今の自分に何が出来るかを探した方が余程良い
辛いわい、潜りたいねんから!!
辛い辛いと言い続けて悲しみ続けたところで良くなるわけじゃないということを理性でわかりながら、それでも辛いと思ってしまう自分に対するジレンマが読んでいるだけで痛くてたまらない。
自宅とはいえあの後遺症のために意識を失って倒れて、それで何か月も歩くのがやっとのような大怪我を負ってしまったこともきっと影響しているのだろう。
もし海であの時のように倒れてしまったら?そのせいで誰かにまた大きな心配や迷惑をかけてしまったら?
もしも、何度もすんでのところで失わずにすんでいた命を今度こそ落とすようなことになったら?
それが怖くて浅瀬に近づくことも避けているとこの時にも書いていた。
「もしも」が怖くて近づけないだけじゃない。きっと。
海に近づけば、それを失ったことを否応なしに突きつけられることになる。目の前に大好きな海があるのに、もうここには還れないと思い知らされる。だから海の中の感覚を思い出させるものを遠ざけたい──
生き延びたことを幸運と思い、自分と同じような闘病をした人に少しでも勇気をもってもらうことが出来たらと思いながら刊行した写真集。その取材で語った諸々のこと。
もしかしたらその時点で安田章大自身が本当に一番つらいことと向き合えていないのではないか?という自問自答が浮かんだのかもしれない。失ったものはとてつもなく大きくて、それをもはや克服したかのように振る舞っているのは嘘をついていることになるのではないか?
海を失ったことを書きなぐるように、一人称も普段「僕」「ボク」なのを「俺」として、辛くてたまらないということを吐露したあと安田章大は
これが紛れもない今の本当の俺
と綴っていた。
ただそこで終わらないのが安田章大の安田章大たる所以だと思う。その後にこんな決意表明が書き足されていた。
けど、負けないしめげないし、
この先も克服するつもり
その時は必ず報告する!
ANOTHER SKYの話に戻る。
14年ぶりにANOTHER SKYに出演することになった安田章大は、14年前に行った同じ中南米「ベリーズ」に行きたいと希望したという。
失ってしまった海。
怖さから近づくことも出来なくなっていた海。
それでも、いつかは克服したいと思っていた海への恐怖。悲しみ。
番組の企画というきっかけがなければ、もしかしたら彼の克服への挑戦はもっと時間がかかっていたのかもしれないとは思う。
「スキューバーダイビングが出来ない」ことはどうしようもない現実だけど、海に近づくことも出来ないのは気持ちの問題だから。
”メンバーが減った”5人の関ジャニ∞としてスタジアムやドームツアーを完遂できたこと、5人で出来ない曲はもう無いと思わせられた挑戦の日々、そういった諸々のことが彼の背中を押したのかもしれない。
14年前に出会った人たちとの再会。
そして「ブルーホール」と呼ばれるダイビングスポット。
本当にぎりぎりまで怖かったんじゃないかと思う。
安田章大は、水しぶきを上げて海に飛び込んだ。
当たり前だけど、海が彼を拒絶していたわけではない。
40分以上もそうして海にいた彼は、地上に戻ってきたあと涙を流していた。とめどなく流れる涙。
海に帰れた嬉しさ。
やっぱり大好きだという思い。
それでももっと深い海には還れない、やっぱり失ったことを思い知らされた悲しみ?
理由なんかいらないのかもしれない。
ただ一つ、確かなのは。失ったと思っていた大事なものは、少しだけ形を変えたけど失ったわけじゃなかった。
彼は、海を失ったわけじゃなかった。
きっとここで一歩踏み出したことは、
これからの彼の人生に大きな節目になるんだろうなと思う。
ずっと、なるべく外向けにはポジティブに表現していたあの病のことを
「憎い経験」と言うことが出来た。
自分と病気のことを曝け出すことで似たような経験をしている人の力になれたら、と考えた以上、むやみにネガティブな表現はしないように心がけていたのだろうと思うけど。
自分の力ではどうしようも出来ない許せない、憎いと思える経験を、無理やりポジティブに変換することだけが”克服”ではなくて。
許せない、憎い、と思う心を抱えたままでいるのを許してあげることで救われる心もあるのかもしれない。
またもう一歩、またもう一歩と進むたびに、違う景色や違う気持ちが生まれてくるのだろう。
彼は生きているのだから。
安田章大は海を見ながら歌をひとつ生み出していた。
わたしはブルーホールに落ちてってる
どんどん落ちていって新しい人に
本人が、本当にぎりぎりまで怖さと海に入りたい気持ちのせめぎあいがあったらしく、それに対して周囲のスタッフ達はどちらの選択をしようと対応できるように計らってくれていたという。
たとえ恐怖が勝って、やはり海に入るのはやめようと言い出したとしても。
番組公式YouTubeにたくさん上げられた未公開映像。
それは、もし安田章大が海を入ることを断念したとしても撮れ高が確保できるように用意してくれていた映像なのかもしれない。
そして海に入ることが出来た安田章大を、『忘れられない、海がある』とサブタイトルをつけてその一点に絞って編集してくれたことがただただ嬉しい。
私は安田章大のいちファンに過ぎないのに彼のこんな大事な瞬間を共有させてもらえて良いのだろうかとまで思う。
青は安田章大のメンバーカラーだけどそれだけじゃなくて。
海の青も空の青も本当に彼にはよく似合う。
どうか彼のこれからの人生がもう大切なものを失うことなく、幸せで笑顔と音楽と大好きなもので彩られたものでありますように。
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