◯◯◯ですから。

いいやま線とか、、、飯山鐡道、東京電燈西大滝ダム信濃川発電所、鉄道省信濃川発電所工事材料運搬線

西大滝と鹿渡

2019-09-28 20:53:35 | 飯山鉄道関連

鉄道省の信濃川発電所工事について調べ始めている

多くの先人たちが調べてきただろうテーマなだけに、自分は自分でマイペースに調べていくのみである

しかし、調べ始めた瞬間に無下にも国鉄の信濃川発電所工事史で「戦争で一期・二期工事の詳細の記録は纏めることが出来なかった」と示されてしまう

昭和6年  一期工事着工
昭和7年  宮中ダム着工
昭和10年  千手発電所着工
昭和13年  宮中ダム竣功
昭和14年  千手発電所発電開始 一期工事竣功
昭和15年  二期工事着工(千手発電所増強のため)
昭和20年  二期工事竣功

だいたい、鉄道省側の工事はこんな感じの年表になる(国鉄工事史・郷土史などによると)

これに地元郷土史にある東電の工事の年表も組み合わせると

昭和6年  鉄道省一期工事着工
昭和7年  宮中ダム着工
昭和10年  千手発電所着工
昭和11年  西大滝ダム着工
昭和13年  宮中ダム竣功 東電信濃川発電所着工
昭和14年  千手発電所発電開始 鉄道省一期工事竣功   東電 西大滝ダム・信濃川発電所一期工事竣功
昭和15年  鉄道省二期工事着工(千手発電所増強のため) 東電 西大滝ダム・信濃川発電所二期工事竣功
昭和16年  東電 信濃川発電所関連工事竣功 太平洋戦争
昭和20年  鉄道省二期工事竣功

同年代の同様の豪雪地帯での工事であるから共通点から模索するのも面白いと思った次第で、
鉄道省側も調べてみるかとなった

同時期の工事で、同じような地域(それも日本有数の豪雪地帯)の工事であるから共通点もあろうと期待してのことだ

その矢先に信濃川発電所工事史で「戦争で一期・二期工事の詳細の記録は纏めることが出来なかった」とされてはあんまりである

事実、工事史等として残されているであろう資料として参照してきた限りでは、鉄道省の一期工事・二期工事の詳細な記録は断片的である
(東電側の工事記録はもっと断片的だったのだけど・・・)

一期・二期工事こそが宮中ダムから千手発電所までの工事であるから、
それこそ飯山鐡道の越後田沢駅からの構外専用側線についても資料として示されるかと期待しただけに残念である

戦後に本格化した三期工事以降の小千谷発電所関連工事になると工事軌道の位置や機関車数から輸送量や輸送コストまで詳しく工事記録が残っているだけに悔しさが増す

それでも、この三期工事以降の資料からでも、当時を伺える記録が残っている

そんな国鉄信濃川発電所工事史の中で、現段階で着目した点として数点を挙げる

前々から紹介されている点もあるが、それを当たり前としないで、国鉄の工事史は工事史として読んで行く

・本線と繋がっていて免許を受けている工事側線から、現場へ向かう工事軌道(いわゆる軽便鉄道と言われているナローゲージ)への荷物の積み替えをしての接続はままある
・本線と繋がっていて免許を受けている工事側線が現場まで敷かれるパターンは発電所に乗り入れる場合で、それは発電機・変圧器の輸送は鉄道に依っていたため
・とにかく豪雪地帯なので、約半年は雪に閉ざされる。鉄道は輸送手段として使用できなくなる時季が数か月に渡ることもある。代替輸送は索道や橇なんかも使った
・積雪期に鉄道輸送が期待できない場合でも工事を進捗させるために、約半年分のセメントを乾いた状態で貯蔵するための倉庫が数百坪・数棟単位で必要で、それを各現場に設置

これらを踏まえた上で、再度、西大滝ダム建設について、西大滝駅の役割を推測する



去年から、西大滝については免許を受けなくてはならないようなものではなく、いわゆる工事軌道であったと推測をしている

上記の点からも、おそらく西大滝の駅から本線と繋がった線路があったわけではなく、
あくまで本線で輸送されて来た資材はここで積み替えられて、工事軌道で現場へと輸送されていたというのも十分にありえる



予想としては上の図として以前に示した通りだ

そして、西大滝駅に直結している、巨大な倉庫が二棟ある

これを資材倉庫、特にセメント貯蔵のための倉庫だとすると、国鉄の信濃川発電所工事史の記述とも繋がる部分が十分にあると思われる

当然、川原の方にも工事中は大きな建物が見られたのだが、貯蔵の必要性・積み替えを考えると駅に残った倉庫はそれらしく見えて来る

真相は不明だが、そういう資料に当たれていない

航空写真だけで断定することはできないが、確からしくもあるということで、改めて紹介させていただいた次第だ



一方、鹿渡については発電所を建設していた場所であるから、発電所まで乗り入れるためにも本線と繋がった側線であったと推測できる

ここも本線と繋がって免許を受けている工事側線である

これを踏まえると鹿渡駅から発電所までの高低差を生み出している河岸段丘を克服するためにどうしていたのかという話になる

これについては、現地の路盤跡のような地形、および当時から鹿渡集落に住んでいた方からスイッチバックしていたという発言を得ているので確からしい

スイッチバックしてでも本線と発電所を繋げたいという例は信濃川水力発電の工事軌道でも他に知らないが、
鉄道省の千手(戦前一期・二期工事)・小千谷(戦後三期・四期工事)もそのために対岸から信濃川を渡る鉄橋を建設して本線と発電所を繋げているから、
その必要性を示すには十分だと考えている