2025年7月20日礼拝
「解放するイエス」
ルカ福音書4:18∼19
中西 春代
聖書には旧約新約ともに解放という言葉が多く出てきます。
平和と解放と自由、キリスト教の本質を思う時、深い意味を持つ言葉です。
解放と自由はギリシャ語ではアフェシスといい、同じ言葉でもあると
聞きました。
解放とは何でしょう。罪、死、この世の不条理、様々な恐怖から
解き放たれ、人種、性、あらゆる差別などの抑圧から自由にされ
尊重されて生きること、と理解をしています。
イエスはご自身を通して私たちを導き死に至る滅びから解放し
自由を得させて下さいました。
30代半ばに出会った1冊の本があります。
私に平和と自由解放への思いを強くさせ、推し進めてくれた
本といえます。レティ・ラッセルという方の『自由への旅』です。
レティ・ラッセルは貧しい人、虐げられた人と共に女性解放や
公民権運動を実践した人でありフェミニスト神学者で牧師です。
この本に出会い私は心が動かされました。
私が求めていたキリスト教の在り方があると思いました。
イエスの存在、生き方そのものが私たちを解放してくれるのだと
教えられました。この本のあとがきには、フェミニスト神学とは
女性のことだけを語る神学でもなく女性の側からの一方的見方
でもなく、他者と共に他者のために歩むこととあります。
それは抑圧されている人に仕えるということでもあり、
この本の中でサーバントフットという言葉で表わされています。
私たちは互いに仕え、寄り添うものでありたい。
なぜならイエスがそのようにされたからです。これを忘れず、
歩んでいきたいと願っています。牧師ボンヘッファーも「教会は
他者のためにある」と言いました。
教会は共同体、共に生きる場所、他者に仕える所と
言えるのではないでしょうか。
解放とは救いに他ならないと改めて思わされています。
時に希望を失いかけて挫折し、道を求めてきた私ですが、
倒れそうになる私を神は見捨てず立ちあがらせてくださいました。
小さな歩みですが、これからも神に委ねて歩んでいきたいと願います。
「解放するイエス」
ルカ福音書4:18∼19
中西 春代
聖書には旧約新約ともに解放という言葉が多く出てきます。
平和と解放と自由、キリスト教の本質を思う時、深い意味を持つ言葉です。
解放と自由はギリシャ語ではアフェシスといい、同じ言葉でもあると
聞きました。
解放とは何でしょう。罪、死、この世の不条理、様々な恐怖から
解き放たれ、人種、性、あらゆる差別などの抑圧から自由にされ
尊重されて生きること、と理解をしています。
イエスはご自身を通して私たちを導き死に至る滅びから解放し
自由を得させて下さいました。
30代半ばに出会った1冊の本があります。
私に平和と自由解放への思いを強くさせ、推し進めてくれた
本といえます。レティ・ラッセルという方の『自由への旅』です。
レティ・ラッセルは貧しい人、虐げられた人と共に女性解放や
公民権運動を実践した人でありフェミニスト神学者で牧師です。
この本に出会い私は心が動かされました。
私が求めていたキリスト教の在り方があると思いました。
イエスの存在、生き方そのものが私たちを解放してくれるのだと
教えられました。この本のあとがきには、フェミニスト神学とは
女性のことだけを語る神学でもなく女性の側からの一方的見方
でもなく、他者と共に他者のために歩むこととあります。
それは抑圧されている人に仕えるということでもあり、
この本の中でサーバントフットという言葉で表わされています。
私たちは互いに仕え、寄り添うものでありたい。
なぜならイエスがそのようにされたからです。これを忘れず、
歩んでいきたいと願っています。牧師ボンヘッファーも「教会は
他者のためにある」と言いました。
教会は共同体、共に生きる場所、他者に仕える所と
言えるのではないでしょうか。
解放とは救いに他ならないと改めて思わされています。
時に希望を失いかけて挫折し、道を求めてきた私ですが、
倒れそうになる私を神は見捨てず立ちあがらせてくださいました。
小さな歩みですが、これからも神に委ねて歩んでいきたいと願います。