1988年カルガリーのブライアン対決
左側がボイタノ
右側が今の羽生君のコーチのオーサー
時の流れは・・
いやいや
そういう話ではなくて・・・( ̄ー ̄)ヾ
「リンクに戻るつもりなら、ゆっくり深呼吸しなさい。ゆっくり」
「君のことは君自身にしかわからない。君がするべきことは英雄になることではない」
オーサーコーチはとても冷静に羽生くんに説いていましたが
羽生くんはもう、完全に興奮状態
跳ぶッ!と怒鳴って虚空を睨みつけ
リンクに出ていってしまいました・・。
人生の全てをかけて望む大切な試合ですから
19や20の青年なら、
他の選択肢はもう
全く見えないのでしょうね。
カルガリーの次の年
1989年にNHK杯が神戸に来た時に、フィギュアを初めて観たんですが
テレビとの圧倒的な違いは
轟音のような滑走の音が聞こえることと
そのスピード
特に
伊藤みどりさんがジャンプから着氷するときの
衝撃音は、テレビでは決して聞こえなかったものでした。
ゴぉぉぉぉ~と漫画の効果文字を入れたいような音で滑走して
ジャッと飛んだかと思うとどぉん!と着氷
ジャンプはまるで走り幅跳びのような距離があるし
滑走の速度はきっと自転車のトップスピード
着氷時の衝撃は脳天まで伝わるようで
優雅に見えるフィギュアスケートですが、
実は妖精の舞でもなんでもなく、
ガチスポーツなんだな・・と実感させられたものでした
全力疾走の自転車で、
受け身のない姿勢での顔からの正面衝突で転倒となった後に
さらにフリーで4分半も飛んだり跳ねたりするなんてもう
正気の沙汰とは
思えないわけで。
周囲は止められなかったのか
という話が出るのは当然
しかしながら、
もしこれで
日本初の男子金メダリストの選手生命が絶たれてしまったりしたら、
その負いきれない責任を問われ、
糾弾されるのは、他ならないオーサーコーチであるわけで
その保身を思えば
彼は、誰よりも選手を止めたかったはず。
だから
あの短い言葉をかけるだけで
彼をリンクに送り出したコーチには
外野には知る由もない何かがあるに違いない・・・と
胸が熱くなるのは不謹慎でしょうか。
そして
あんな離れ業が連発する競技の日本チームに、
ドクターストップ権限を持つお医者さんは、
いないんでしょうか・・( ̄▽ ̄:)
過去には
安藤美姫さんの衝突事故もありましたが
こんなにびっくりするような激しい衝突は初めて見ました・・
羽生選手が日本を背負って滑っているのなら
そのことで決して無理をする義理はないし
自分のために滑っているの言うのなら
その選手生命も含めて
後悔のないようにしてくれればいい
と思うのですが
国を上げての注目競技となった今
いろいろ言われて
大変でしょうね
ワタシ
痛いの大嫌いなので
コケるのが怖いからスケートにはロクに行かなかったクチなので
本当に
その精神力には圧倒されます。
同じ年のうちの息子に
小指のでいいので爪の垢を頂きたい。
ついでにワタシも、お母様のを頂いて
煎じて飲みたい・・。( ̄▽ ̄)ヾ
冬虫夏草は1キロ800万円の値がつくそうですが
羽生くんのツメのそれはきっと・・
以下略
今日はこんな話・・
【お ま け】
その昔、フィギュアの世界選手権の放映といえば
深夜二時からがデフォだった80年代
1984年サラエボオリンピック
アイスダンスフリー
アーテスティックインプレッションで全てのジャッジが満点をつけた
あのトービル・ディーン組の
伝説のボレロ
画像を引っ張ってきましたヨ
滑走してから演技時間がカウントされるルールの裏をかき
二人は氷上で膝をついた状態で20秒近く滑走しないで、
その演技時間を長くしたそうですね。
同じリズム、同じ旋律がただ繰り返されるという単調な音楽を使用するチャレンジ
一切ジャンプのないこれぞスケーティング
付かず離れず流れるような
観客の目をいっときも逸らさないシンクロ
デス・オン・アイスと呼ばれたエンディング
いま見ても素晴らしい。
ああ、長くなっちゃった。( ̄ー ̄)ヾ
伝説の【ボレロ】 トービル&ディーン HQ '84サラエボオリンピック
キャンデローロもぜひ( ̄ー ̄)b