太陽も顔を見せ、この暖かさをもたらした低気圧は発達して北海道沖へ、
週末は厳冬ではない「冬」が戻ってくるらしい。
10時
奈良坂散歩も①旧奈良監獄、②奈良豆比古神社、③奈良豆比古神社の大楠
最後④は京街道を奈良市街地へ下り、今の様子を・・・
Google mapより
奈良豆比古神社の南隣に建つ浄土宗迎接山「西福寺」貞観年間(859年 - 876年)に
円仁が創建(天台宗)されたが江戸初期 慶長9年(1604年)に弁誉明雄が中興された。
門前に國寶佛安置と重要文化財六体安置と刻まれた石標二つ、
奈良坂にあった善城寺、薬師堂が西福寺にまとめられたようで、境内の本堂には
重要文化財に指定されている平安時代後期に作られた6体の仏像がある。
木造阿弥陀如来立像(本尊)、木造不動明王立像、毘沙門天立像と残る三体の
木造釈迦如来坐像、木造薬師如来坐像、木造阿弥陀如来坐像は善城寺由来とされる。
また地蔵菩薩立像(元禄16年)をはじめとする石造佛も拝観する価値ありといわれ、
アポを取れば拝観可能らしい。
少し下ると、奈良の町屋造りと思えば「有馬米酒店」です。
空き地や新しい家に交じり、こんな造りの家がまだまだ残っているが・・・・
空き家も増えているようだ。下りてきた京街道を振り返ると
お地蔵さんも道筋で地域の方々から大切に守り守られている。
児川地蔵尊
鹿せんべいの製造元「武田俊男商店」があったはずなのですが、見過ごしたか。
さらに下り見えてきたのは、平城京の裏鬼門に建立された「般若寺」の国宝の楼門、
大屋根の反りがきれいですね。でも老朽化が目立ちようだ(募金をされている)
〝楼門は鎌倉時代の再興伽藍(文永4年)の廻廊の西門だったが、正門などが戦国の
兵火で失われ、京街道に面した楼門のみが残った。建築様式は和洋様に天竺様が
取り入れられた日本最古の作例になる。〝と
足元には別名「コスモス寺」にふさわしくコスモスがまだ咲き残り暖冬の影響かも。
なお境内ではスイセンが見頃を迎えているよう(HPによる)、
2003年のコスモス開花時の境内の様子です。
一人の参拝者がうろうろと・・・
お参りは旧国道沿いの大きな駐車場が完成し、ぐるっと回りますのでご注意を!。
真向かいに「植村牧場」が、こんなきれいなカフェレストランができていたのですね。
ソフトクリームがおすすめ、この裏に小さな牧場があります。
風向きにより若干においが漂ってきます。住宅化されてきて大変???
と思いながら、旧奈良監獄(記述済み)へと右折し、京街道を外れたが
また交わるところにレンガ造りの古い小さな建物が、
「旧奈良市水道計量器室」で、土木学会推薦土木遺産に2017年選定された。
1922年の水道創設時に建造された計量器室で、送水量を測定するための計量器
(ベンチュリーメーター)が置かれていた。
その右側に鎌倉時代から歴史のあるハンセン病患者などの保護施設跡、
「北山十八間戸」があり、現在の建物は江戸市時代のもの。
旧京街道との交差路に、光背を含め2.4mの大きなお地蔵様「夕日地蔵」があるはず、
拝借
永生6年(1509年)の刻があり、会津 八一がこの地蔵を詠んだ歌は
「ならざかの いしのほとけのおとがいに こさめながるるはるはきにけり」
家の間でわからずじまい、春に再挑戦せねば。
さらに歩けば佐保川まであともう少しのところで、アマチュアカメラマンの団体さんが
シャッターを切る・・・下の小屋根に注目してください。鬼さん???
佐保川まで下りてきました。この橋は「石橋」昔の石橋が下に残る
江戸時代の東大寺大仏殿の二本の「虹梁」が渡った橋で、石橋の上に砂を置き、
引っ張ったとか(その記事はここ)
佐保川の川沿いに紅梅が咲き、
秘密の空き地に今日も鹿の群れが・・・シャッターを切ると、警戒の声だけに。
このあたりから若草山がよく見え、若草山焼きの観賞場所になるのだとか。
なかなか楽しめるコース、8000歩ほどでした。
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