カメラを片手に

マチュ・ピチュが発見された日

今朝は20.9℃と7月下旬としては涼しい朝を迎えた奈良、夏の陽射しで最高
気温は午後3時現在で33.9℃まで上がっている。
      10時、28.7℃、53%

今日の誕生日の花は「ホタルブクロ・蛍袋」学名は Campanula punctata、
キキョウ科の多年草、釣り鐘形のかわいい花が特徴で「釣鐘草・つりがねそう
と言う別名を持ち、教会の鐘のイメージから花言葉は「忠実」「正義」と。

小庭のホタルブクロ、6月から7月までには一度咲き終わったが・・・
遅く伸びてきたのが咲いている。

さて111年前の1911年7月24日、アメリカの探検家ハイラム・ビンガム3世が
古いインカ時代の道路を探検していた時、アンデス山麓に属するペルーの
ウルバンバ谷に沿った山の尾根(標高2,430m)で15世紀のインカ帝国の遺跡
マチュ・ピチュ、スペイン語Machu Picchu、ケチュア語:Machu Pikchu」
を発見したと世界に発表している。
実は発見者ではなく最初に学術調査をしただけと考えられており、1902年に
クスコの農場主アグスティン・リサラガが遺跡の存在を確認しており、さらに
1904年の地図帳には、インカの遺跡「ワイナピチュ」という地名で記載され
以前から地元では認識されており、「マチュ・ピチュ」という名になったのは
ビンガムが地元民にこの遺跡の名前を尋ねたおり、目の前の山の名前を聞か
れたと思って「老いた峰=マチュ・ピチュ」と返答したからと。
      ペルー観光協会より

幻の空中都市、実情は標高3400mにあるインカ帝国の首都クスコから1000m
も低いマチュ・ピチュ、インカの王パチャクティ時代の1440年頃に建設が
始まり、1532年にスペイン人に征服されるまでの80年ほど使われた町で、
インカの王族や貴族のための避暑地として冬の都(離宮)や、田舎の大別荘程度
で、避暑時に最大でも住人は750人ほど、それ以外では管理する住人だけと
考えられている。                  
                        (Wikipediaより) 

日本でも、東洋のマチュピチュの「別子銅山」や、日本のマチュピチュは
「竹田城」、関東のマチュピチュは「新田金山城」と呼ばれたりするが・・・
標高300mにある大分県宇佐市院内町西椎屋集落、背後に岩峰がそそりたち
「宇佐のマチュピチュ」といわれる。
      宇佐市公式観光サイト

奈良では、高取城跡や世界遺残・十津川村の果無(はてなし)集落かも。
      十津川観光協会より

行きたい海外旅行でベスト5に入る「マチュ・ピチュ」ですが・・・
COVID-19感染症、日本では第七波真っただ中・・・
自由に海外旅行できるようになるには、来年春以降になりそうですね。

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