カメラを片手に

佐保川と奈良晒

バレンタインデーの奈良は5.8℃と暖かな朝、春の様な日差しで午後2時には
昨日よりも高い20.7℃迄上がり、ぽかぽか陽気のなか自宅テラスで早くも
バーベキューをされている姿もみかける。
      11時

午前9時頃連れ合いを市内まで送っていけば、奈良女子大(元奈良奉行所跡)の北側の佐保会館脇を流れる佐保川あたりで、春日奥山も若草山もぼっと。
       9時

この佐保会館は1928年の木造2階建て桟瓦葺入母屋造で国の登録有形文化財、
設計は奈良出身の建築家岩崎平太郎、奈良ホテルを彷彿とさせる白とブラウン
の外観に本格的な和室や格天井の大ホールを取り入れた和洋折衷の建物です。

さて佐保川は佐保橋で北東から流れるが、この辺りで暗渠となった吉城川が
合流し、旧河川は道となり、元橋の名称が刻まれた石碑だけが名残を示す。
      女子大東北端に 

さて佐保川で有名なのは江戸時代に麻の最上と称された「奈良晒」の晒し場。
この『奈良晒(さらし)』とは近世に盛んに生産された麻織物のことで、17世紀
初めに幕府の御用品とされたこともあり、武士の裃(かみしも)、裕福な町人の
礼服、帷子(かたびら)や夏の高級衣料として全国に流通していた。
「日本山海名物図絵」に      
 麻の最上は南都也 
 近国より其品数々出れとも
 染て色よく着て身にまとはず
 汗をはじく故に
 世に奈良晒と調宝する也・・・ 
      

織り上がった布を真っ白に仕上げる晒作業の様子は本に描かれ、俳句や川柳
にも詠まれている。
佐保川の水で洗い干した晒が白くなっていく様子は、
「揚麻刀名勝志」に
佐保山の上に敷き之を乾かす日を経るに及び潔白にして佐保山白雪の如し

その晒し場を江戸末の旅行ガイドブック「大和名所図絵」寛政3年(1791年) 
秋里籬島・著、竹原春朝斎・画 にも描かれている。
    

    晒し場です。
    

昨日のブログ、依水園の前園を作った「清須美 道清」は江戸時代の奈良晒の
御用商人で、財を成しており、従事する業者も

 
この道は東大寺中御門跡(1606年に焼け通称は焼門)、二月堂裏参道へと続く。
東大寺大仏殿の鴟尾が鈍く光る。     (反対側から焼門を2/11)

NHKラジオ深夜便、今日の花はミズキ科の『サンシュユ
花言葉は「持続 耐久 」と
我が家の「サンシュユ」は1月25日に早くも包が割れ、黄色が見えたが・・・
      

あともう少しのよう


 参考)奈良市資料保存館、麻の最上 奈良晒ー南都随一の産業ー
        企画展示2020.9.29~2021.1.11



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