ぐだぐた書きました記紀の真贋シリーズも今回で最終回。また機会があれば、更に深く調べて書いていきたいなと思いつつ・・・最終回は記紀自身から少し離れて、記紀の研究について纏めようと思います。
当然ですけど、記紀編纂直後から研究様々に進んでいます。例えば「日本書紀」の書紀講筵もその一つだと思われます。近代江戸時代の国風主義における本居宣長らの研究もあるわけです。また本居宣長の研究はその後の皇国史観に繋がっています。また皇国史観は大正時代の唯物史観や戦後の皇国史観の否定に繋がっていると思います。
なぜこれほど記紀が研究されるのか?それは記述が曖昧で推測における研究が主体で史学者のみならず歴史好きの一素人でも可能な部分によるところが大きいと思われます。私のような素人でも考えをめぐらせる事ができるのも魅力の一つです。その流れは隠された「十字架:法隆寺論」(新潮文庫)1981 梅原 猛 著から始まったのではないでしょうか?歴史学からすればもう20年前の書物であり現在では否定されるべき部分も多いのですが聖徳太子を否定する流れを作り始めた最初の作品ではないでしょうか?確かに聖徳太子の存在は完全には否定できませんが歴史の教科書を見ても現在聖徳太子の記述はなくなり厩戸皇子の記述になる方向になっています。刊行当初は慇懃無礼な書評も多かったのですがそれなりに評価され研究が続いていると考えます。またそれをきっかけに私のような素人も増えたのではないでしょうか?内容の信義は兎も角、歴史に興味を持つ人間を増やしたことについては大きな功績だと思います。
また現在、皇室典範の改正により女性天皇の容認の流れが出てきています。私自身も今回の記紀の考えを纏めるうち、女性天皇の容認については賛成の方向です。むしを明治の男子のみを認めるという考え方になった事に『何故』を感じます。しかし・・・それを飛び越えて女系天皇を認めるのは如何なものかと考えます。やはり以前も書いたのですが、万世一系を信じているわけではないのですが、天武・持統の時代から天皇という称号が正式に制定されたと考えても1200年は続くシステムを変えるのに数年の話し合いと本人不在でいいのかと考えるようになったのです。もちろん、とは言え旧宮家の復活にも反対です。それは皇室費(年間1人200円程度)の増加がある事も問題ですが、やはり現在生活しているものを変えるのは如何かなとも考えます。ここは皇位継承権の拡大だけで済ませたほうがよいのではと思います。
しかし・・・この皇室典範改正問題。時代が時代なら祟りだと考えるのでしょうね。では何の祟りなのでしょう?
さてなんだか大変尻切れトンボのような気がしますが私の記紀の考えはこれで終わりです。最大のシリーズであり私のライフワークでもある古代史研究はその後も続くでしょう。またいつか書ければいいなと思いつつ・・・今回は筆を置くことにしましょう。
当然ですけど、記紀編纂直後から研究様々に進んでいます。例えば「日本書紀」の書紀講筵もその一つだと思われます。近代江戸時代の国風主義における本居宣長らの研究もあるわけです。また本居宣長の研究はその後の皇国史観に繋がっています。また皇国史観は大正時代の唯物史観や戦後の皇国史観の否定に繋がっていると思います。
なぜこれほど記紀が研究されるのか?それは記述が曖昧で推測における研究が主体で史学者のみならず歴史好きの一素人でも可能な部分によるところが大きいと思われます。私のような素人でも考えをめぐらせる事ができるのも魅力の一つです。その流れは隠された「十字架:法隆寺論」(新潮文庫)1981 梅原 猛 著から始まったのではないでしょうか?歴史学からすればもう20年前の書物であり現在では否定されるべき部分も多いのですが聖徳太子を否定する流れを作り始めた最初の作品ではないでしょうか?確かに聖徳太子の存在は完全には否定できませんが歴史の教科書を見ても現在聖徳太子の記述はなくなり厩戸皇子の記述になる方向になっています。刊行当初は慇懃無礼な書評も多かったのですがそれなりに評価され研究が続いていると考えます。またそれをきっかけに私のような素人も増えたのではないでしょうか?内容の信義は兎も角、歴史に興味を持つ人間を増やしたことについては大きな功績だと思います。
また現在、皇室典範の改正により女性天皇の容認の流れが出てきています。私自身も今回の記紀の考えを纏めるうち、女性天皇の容認については賛成の方向です。むしを明治の男子のみを認めるという考え方になった事に『何故』を感じます。しかし・・・それを飛び越えて女系天皇を認めるのは如何なものかと考えます。やはり以前も書いたのですが、万世一系を信じているわけではないのですが、天武・持統の時代から天皇という称号が正式に制定されたと考えても1200年は続くシステムを変えるのに数年の話し合いと本人不在でいいのかと考えるようになったのです。もちろん、とは言え旧宮家の復活にも反対です。それは皇室費(年間1人200円程度)の増加がある事も問題ですが、やはり現在生活しているものを変えるのは如何かなとも考えます。ここは皇位継承権の拡大だけで済ませたほうがよいのではと思います。
しかし・・・この皇室典範改正問題。時代が時代なら祟りだと考えるのでしょうね。では何の祟りなのでしょう?
さてなんだか大変尻切れトンボのような気がしますが私の記紀の考えはこれで終わりです。最大のシリーズであり私のライフワークでもある古代史研究はその後も続くでしょう。またいつか書ければいいなと思いつつ・・・今回は筆を置くことにしましょう。