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医療系治療士の道

3●才で医療系治療士を目指し、早数年。
今年で最終学年を迎え、実習も終了した学生が書く徒然なるブログ

日本書紀・古事記は偽書?

2005-11-05 00:00:29 | 古代史雑感
おお!!いきなり挑発するようなタイトルwwwでも最初に結論から言えば偽書ではないと言うことです。

さて何回か日本書紀・古事記(以下「記紀」と略す)について書きましたが・・・そこには「改竄」「虚構」「創作」があるとは申し上げました。多分これ自身は今の史学会の流れから見ても間違いではないと思います。問題はどこに「改竄」「虚構」「創作」があるかということですが・・・

記紀において「改竄」「虚構」「創作」があり信用できないとされている部分は神代の時代、神代紀と言われています。だいたい神様なんか非科学的だというのが最もなご意見です。そして神武天皇から数代の御世(だいたいは欠史八代)。神武天皇の即位した年、辛酉年つまり皇紀元年は紀元前660年。その頃の海外では・・・中国で春秋戦争時代、中東、アラブ方面では新バビロニアが起こった頃・・・。一般的には日本では弥生時代。考古学では稲作が始まった頃とされている。

現在の考古学、史学上は「創作」と断じる他はないと思われる。しかし中国でも殷が「創作」と言われていたにも関わらず遺跡が出てきたし、未来永劫証明されないとは言えない。

さてこの日本創世神話が全くの「創作」かと言えば私自身はそうは思わない。記述されている年月に問題があるにしても、勝者が敗者の都合のいい部分を吸収し「改竄」があったり、勝者が権威付けのための「虚構」があったとしてもだ。

歴史は勝者が作り上げるもので、権威の裏付けの材料と考える。特に中央集権国家を作り上げる上で都合よく記述されることは否定できないと思う。現在においても中国と日本の第2次世界大戦の歴史観が違うことは有名だ。侵略を受けたもの、侵略したものの感情が違う以上、受け取り方は様々であると思う。同様にこのようなことが古代から無かったと誰が否定できるだろうか?
アメリカで原爆を投下したことは戦争を早期に終わらせるため、日本の被害を最小にするための正義だと信じられている。(勿論異議もあるが)しかし、日本は敗戦し、原爆で被害を受けた被爆国として人道的に許せるものではない。
仮に日本が勝利していたら・・・欧米の横暴に対する大東亜共栄圏を果すための正義の戦いになっていただろう。そうやって勝者によって歴史は作られていると思う。

それを偽の歴史だといえるでしょうか?中国の反日教育には確かに辟易する部分もありますが、それは私が日本人であるが故の感情だと思います。(しかし中国が現在の日本にその歴史観を押し付けてくることには憤りを感じます)中国人には南京大虐殺はあった。日本人にはなかった。それも歴史だと言えるでしょう。

事実は一つしかないといわれる方がいらっしゃると思います。私は事実は一つしかないかもしれないが真実は人の数だけ存在すると思います。要は事実を受け取る気持ちが真実を生み出すと思うのです。その真実の積み重ねが歴史だと思うのです。なぜなら、事実が単独に存在するのではなく、そこには連続した人の営みがあるからです。人の感情を無視して歴史などありえないと思います。

そして国家が単独で存在するのではなく、人が国家を運営している以上感情を無視して歴史を語る事なかれです。そして国家には感情だけでなく、そこに様々な思惑があって然りです。それは嘘の歴史だと言われるかもしれません。短絡的にはそうかもしれません。でも敗者の歴史も勝者の歴史に組み込まれることによって歴史は生き残ると考えます。

ここで記紀に話を戻しましょう。記紀の神代の話はバッサリ「創作」と言われていますが、実はモデルになる話があったと考えています。それが神話として昇華したと考えています。

具体例をあげたいのですが・・・眠くなりました。
オヤスミナサイ・・・

拝啓 聖徳太子様

2005-11-04 21:12:41 | 古代史雑感
日本で一番有名な歴史上の人物の一人にして、顔も現在も知れ渡っている稀有な偉人。現在において実在を否定することすら許されない程認知度の高い聖者。あなたは本当に実在したの?

そら実在はしたでしょうね。中国の歴史書、『隋書』倭国伝にも有名な遣隋使の小野妹子がもって行った有名な「日出ずる処天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや、云々」の記述がありこの書に出る『多利思比孤(タリシヒコ)』が上宮之厩戸豊聡皇子(うえのみやのうまやどとよみみのおうじ=厩戸皇子)だったと思われます。外国、しかも当時中国と言えば日本より上位国だったのですから、外国の歴史書を改竄させることなど不可能でした。

だけど聖徳太子の業績や伝説が全て史実と言えるのかは疑問です。まあ確実に日本書紀の記述にある「生まれてすぐに話せた」「10人の話を同時に聞いて理解できた」云々・・・は、まあ虚構に過ぎないとおもえるのですが、最近は有名な憲法十七条すら後世の創作と言われているようで・・・また冠位十二階も聖徳太子の独創であったと言うのも・・・

蘇我氏と蜜月関係にあったと言われる聖徳太子も実は日本書紀からは後年政治的対立が深まって言った事が読み取れます。二人は協力して政治に当たっていたものの対立する議案(特に外交問題)で溝を深めて政争に・・・。しかも負けたのは聖徳太子。うん?あんなに政治力も創造性も高い人間が政治力が高いだけの蘇我氏に負けるかな?それだけ政治力が高かった蘇我氏とも読み取れるのですが、日本書紀を額面どおり受け取ると聖徳太子の超人のような能力と矛盾がありますね。

すると日本書紀どおりの聖人君主(天皇ではなかったのだけど)ではないことが充分判るのです。

つまり聖人化計画は日本書紀編纂時に開始され、平安時代の末法思想に影響され
聖徳太子信仰が拡大し、『上宮皇太子菩薩伝』や『上宮聖徳太子伝補闕記』『聖徳太子伝暦』をもって完成したと言うところでしょうか?

じゃあ日本書紀であれほど超人化する記述が多いのか?政治的功績も蘇我氏と協力して行ったと記述されているものの、ほぼ聖徳太子に業績を独占されているようなイメージすら受ける記述。

先ずは、日本書紀が誰に対して書かれたものかというのが問題です。日本書紀は当時最新の学問とされる漢文体で書かれています。つまり国内向けというより諸外国、中心は中国に天皇(スメラノミコト)の正当性を示す必要があった政治的背景があったことは否定できません。つまり正当性を出すために若干の脚色があったことは否定できません。諸外国の史料も十分検討してなされた上での国家事業だったのです。つまり伝承(当時の口伝)にはないが、中国などの創世神話や思想を考慮して変更された部分がないとは言い切れません。実際国内向けと思われる同時期の歴史書である古事記とは違います。なんで同時期に2本の歴史書が編纂される必要があるのか、素人からは疑問ですね。日本書紀が正式で、古事記が正式でないと言うのでしょうか?

だから日本書紀が書かれた時代のすぐ前の時代の聖徳太子の記述を「改竄」「虚構」「創作」とするのは早急であるとの指摘があります。そうでしょうか?国史で最も大切なのは国のはじめではないでしょうか?特に神託政治(だったかな?)神にその権力を由来する国の場合、どうやって神より権力を付与されたかの正当性こそが大切と考えます。その部分を2つの記述をもつ当時の思想状況を加味すれば当時の現代史を「改竄」「虚構」「創作」することにどの程度信憑性があるかは疑問です。

かといって全てを「改竄」「虚構」「創作」することはなかった・・・というか出来なかったと思われます。当時の平均寿命を考えてもまだ生き残りが充分いたと思われる当時、全てを「創作」することは不可能だったと考えられます。

しかし・・・存在そのものを疑うべき人間がいます。それは山背大兄王。これは聖徳太子の息子さんです。

存在を疑うべき理由 その1
法隆寺を住居とした聖徳太子一家だったが・・・蘇我入鹿が山背大兄王を滅ぼしたとき、聖徳太子は既にこの世に無く、当時の主である山背大兄王である。しかも一旦は生駒まで逃げ延びたにも関わらずわざわざ戻って、法隆寺で一家心中している。なのに法隆寺は山背大兄皇子を奉っていない。伝承も殆どない。主が殺されたのにこの仕打ちは酷くない?

存在を疑うべき理由 その2
あまりにも父聖徳太子と比べて記述が少ない。確かに次期天皇最有力候補だったには違いないという日本書紀の記述だが果たしてそうだろうか?対立していたとは言え聖徳太子の家系は蘇我一門。そんな人間をわざわざ蘇我一門以外が押すだろうか?山背大兄王の業績がはっきりしない。それを聖徳太子の人徳と安易に言うが、天皇家が当時豪族の頂点とは考え難い。実は中央集権制の頂点として天皇が認識されるのは天武天皇以降だと私は考えている。それまでは豪族による合議制の象徴だったと思われる。それ故に各豪族は連合し、あるいは対立しながら天皇を決定していたはずである。わざわざ対立するその他の豪族が蘇我の血脈たる山背大兄王を押すのか疑問である。ただこれは他に蘇我系の皇子が有力で聖徳太子の威光にすがるしかなかった、他の豪族系の有力な皇子がいなかったとも考えられる。

存在を疑う理由 その3
祟らない山背大兄王。なぜでしょうか?祟るなんて非科学的なと仰る人は多いけども、当時の社会情勢では極々日常的(?)なこと。これを無視して当時を語る無かれ。祟る人で最も有名なのは菅原道真公で、それを治めるのに天満宮が出来たのは有名な話。でも祟る人はこれだけじゃない。でも祟るにはちゃんと理由があってそこに自然現象が重なり「祟り」が成立する。そしてそれを治めるのに宮や祠が奉られる。当然山背大兄王ならば法隆寺で奉られるべき人間なのですが・・・実は法隆寺で奉られているのは聖徳太子のみ。山背大兄王は「祟って」ないし奉られてもない。謀殺されて祟らなかったって・・・。すると二つの図式が成り立つ。一つは蘇我氏の主張は正当だった。一つは元々いない人間は祟らない。
蘇我氏の主張が正当だった。これには実は根拠があります。乙巳の変で殺されたはずの蘇我氏が祟っている。これは日本書紀にあるのですが、斎明天皇のに鬼として現れている。祟りは正当なものが謀殺されたりすると出るので、ある意味蘇我氏の国政は民衆(貴族を含む)に受け入れられていたと考えられます。しかし、次期天皇である山背大兄王を殺して民衆(貴族を含む)に受け入れられたでしょうか?そら無理です。
この問題で山背大兄王が祟るほどの存在ではなかったという人がいます。おやおや?それならば政治力に勝る蘇我氏が滅ぼす必要はなく、確実に次期天皇は蘇我氏派の皇子が即位したはずで、襲撃事件は起こる必要はなかったと思います。
次に考えられるのが蘇我氏に罪をなすりつけた藤原氏の歴史「改竄」。ふむふむ・・・よくできた話です。すると元々なかった事件を「創作」できた立場である藤原不比等陰謀説も否定できません。
さて「改竄」と「創作」では違うと仰るかもしれません。じゃ「改竄」でもいいです。とある豪族が反乱を企てたそれをきっちり蘇我氏が成敗した。そこを居もしない聖徳太子の息子とその家族を惨殺・・・という「改竄」も出来ます。

聖徳太子は実在だが、それ程聖人ではなかった。山背大兄王は疑問が残る私の推察です。

まあ歴史の専門家ではないので証拠はないのですが・・・しかしこれを口実とした中大兄皇子の乙巳の変(大化の改新の最初の事件)に続いていくわけです。これは前回お話しました。というわけで完全に否定は出来ないですが、素人のたわごととしてこんな話もあるわけですね。

と思うと、結構史学界でも聖徳太子について話題になってました。

聖徳太子、あなたは実在したでしょうけど、実は息子さんは実在だったの?
こんなに偉くされて迷惑じゃない?あくまで仏教の僧侶でもない信者だったあなたが崇拝されてこそばゆさを感じてるのではないでしょうか?

古代明日香の政権闘争

2005-11-03 23:32:38 | 古代史雑感
FM-NHKでオーディオドラマで古事記が放送している。今、それを聞きながらカキコ中。すごいよなぁ~戸田恵子さん。稗田阿礼はじめ何役してるんだよw石坂浩二もだけど・・・戸田恵子さんの凄さが目につくよ。あっ・・・耳に付くかw

もともとその昔大河ドラマで企画があったらしい。是非してほしい。

久しぶりに古事記の話でもしましょうか・・・
古事記といえば歴史書っていう意味合いもあるけどやっぱり神話的な部分が多いと思うのですな。ってか海外の神話と共通する部分が多い事も有名な話。一番有名なのはイザナギ、イザナミの黄泉の国の訪問の話かなギリシャ神話のオルフェイスの話を連想しますね。

そういえば聖徳太子こと厩戸(うまやどの)皇子もイエス・キリスト生誕の話と同じく厩(うまやつまり馬屋)で生まれたのも同じ。これは当時中国には伝来していたキリスト教は景教(ネストリウス派のキリスト教の中国 における呼称。)の影響も指摘されている。聖徳太子聖人化計画らしきものがあったこと想像されるからだ。誰が?そら日本の国史の編纂を計画した中大兄皇子こと天智天皇。ありゃ?ここで歴史に詳しい人間なら聖徳太子のことが書かれているのは日本書紀で弟の天武天皇が作らせたと思うに違いない。でも日本書紀が完成したのは持統天皇の時代。
この人がややこしい人で、天武天皇の相思相愛、最愛の奥様なのだが、実は天智天皇の娘さんでもあるわけだ。この時代近親婚は珍しくはなかったし・・・。
壬申の乱で天武天皇が勝ったので、天智天皇の影響など関係ないと思うかも知れないが、ややこしさを更に加速するかのように、天武天皇の死後、持統天皇が即位。持統天皇は、閑職に追いやられていた藤原不比等を重用している。藤原不比等といえば、中臣鎌足の息子。そう大化の改新の立役者の一人。天智天皇派ですね。で、この不比等さんはいわゆる藤原氏の始祖にもなる偉い人。その不比等がしなければならないのは、父上の汚名を晴らさねばならないこと、父の業績の向上。

それが何故聖徳太子を聖人にしなければならなかったか?

それは大化の改新の理由にある。蘇我入鹿を殺害した理由にある。早い話、聖徳太子の子である山背大兄王を殺したから。聖徳太子は皇太子。山背大兄王かなり有力な次代の天皇候補者。それを殺した蘇我入鹿の罪は重い。故にそれを殺害した天智天皇は英雄である・・・こういう構図を作りたかったと推測される。するとそれを手伝った中臣鎌足は英雄を助けた徳の高い人になる。それは聖徳太子が偉ければ偉いほど、入鹿は極悪人、天智天皇は英雄の図式が際立つ。

以上の理由で不比等は聖徳太子を偉い人にしたて自らの権力基盤を安定させる・・・。聖徳太子にしても日本書紀では生まれのみならず、その人生も凄い人。
10人の話を同時に聞いて理解するとか、日本最初の成文法十七条憲法を作ったり、冠位十二階を作ったり、偉伝に枚挙がない。このことからも聖徳太子が実は架空の人物だと言われる人もいるくらいだ

まあ・・・藤原氏も息子の時代に一時破綻しちゃうけど(天然痘で4人とも死ぬ)
しっかり直系の人間がその後の藤原一族の隆盛を築き、その影響力は実は戦前、あるいは現在まで続いている。総理大臣であった近衛文麿や細川護煕(母方)などは不比等の四人の息子の一人、房前(北家)の子孫であったりする。

つまり文章の力は恐ろしいと・・・

マイブーム

2005-07-21 22:30:56 | 古代史雑感
突然ですが・・・現在私の中のマイブームは古代史です(苦笑)

元々歴史好きで、高校の頃も日本史、世界史の成績は、まあよかった方と思います。
但し、学年で5位くらいだったかな。でもあまり成績がよかったと思ってません。
当時写真部に所属していましたが、そこに更に上位4人が存在し、テストの点数は
勝った例がありませんでした(T_T)


それはさておき・・・古代史面白すぎます!!
日本史で一番最初に覚えるであろう聖徳太子。
実はいなかったとか、
大化の改新の中大兄皇子&藤原鎌足は英雄でなく
テロリストだったとか。
今、読んでいる古代史の本はそんな本ばかり(苦笑)
それが実は結構辻褄が合っている。

日本書紀・古事記が日本の神話~古代の歴史を現しているけど
その神話部分がいわゆる歴史書として残っているので
なんか事実があってそれが神話となったからこそ
歴史書になっていたのだろうと思っていた私はツボにはまりました。

まあ、時間があまりないので通学時間に読んでいるだけですが
1週間で4冊も読んじゃいました(苦笑)

・・・その勢いで教科書も読みたいわ・・・(涙)