おお!!いきなり挑発するようなタイトルwwwでも最初に結論から言えば偽書ではないと言うことです。
さて何回か日本書紀・古事記(以下「記紀」と略す)について書きましたが・・・そこには「改竄」「虚構」「創作」があるとは申し上げました。多分これ自身は今の史学会の流れから見ても間違いではないと思います。問題はどこに「改竄」「虚構」「創作」があるかということですが・・・
記紀において「改竄」「虚構」「創作」があり信用できないとされている部分は神代の時代、神代紀と言われています。だいたい神様なんか非科学的だというのが最もなご意見です。そして神武天皇から数代の御世(だいたいは欠史八代)。神武天皇の即位した年、辛酉年つまり皇紀元年は紀元前660年。その頃の海外では・・・中国で春秋戦争時代、中東、アラブ方面では新バビロニアが起こった頃・・・。一般的には日本では弥生時代。考古学では稲作が始まった頃とされている。
現在の考古学、史学上は「創作」と断じる他はないと思われる。しかし中国でも殷が「創作」と言われていたにも関わらず遺跡が出てきたし、未来永劫証明されないとは言えない。
さてこの日本創世神話が全くの「創作」かと言えば私自身はそうは思わない。記述されている年月に問題があるにしても、勝者が敗者の都合のいい部分を吸収し「改竄」があったり、勝者が権威付けのための「虚構」があったとしてもだ。
歴史は勝者が作り上げるもので、権威の裏付けの材料と考える。特に中央集権国家を作り上げる上で都合よく記述されることは否定できないと思う。現在においても中国と日本の第2次世界大戦の歴史観が違うことは有名だ。侵略を受けたもの、侵略したものの感情が違う以上、受け取り方は様々であると思う。同様にこのようなことが古代から無かったと誰が否定できるだろうか?
アメリカで原爆を投下したことは戦争を早期に終わらせるため、日本の被害を最小にするための正義だと信じられている。(勿論異議もあるが)しかし、日本は敗戦し、原爆で被害を受けた被爆国として人道的に許せるものではない。
仮に日本が勝利していたら・・・欧米の横暴に対する大東亜共栄圏を果すための正義の戦いになっていただろう。そうやって勝者によって歴史は作られていると思う。
それを偽の歴史だといえるでしょうか?中国の反日教育には確かに辟易する部分もありますが、それは私が日本人であるが故の感情だと思います。(しかし中国が現在の日本にその歴史観を押し付けてくることには憤りを感じます)中国人には南京大虐殺はあった。日本人にはなかった。それも歴史だと言えるでしょう。
事実は一つしかないといわれる方がいらっしゃると思います。私は事実は一つしかないかもしれないが真実は人の数だけ存在すると思います。要は事実を受け取る気持ちが真実を生み出すと思うのです。その真実の積み重ねが歴史だと思うのです。なぜなら、事実が単独に存在するのではなく、そこには連続した人の営みがあるからです。人の感情を無視して歴史などありえないと思います。
そして国家が単独で存在するのではなく、人が国家を運営している以上感情を無視して歴史を語る事なかれです。そして国家には感情だけでなく、そこに様々な思惑があって然りです。それは嘘の歴史だと言われるかもしれません。短絡的にはそうかもしれません。でも敗者の歴史も勝者の歴史に組み込まれることによって歴史は生き残ると考えます。
ここで記紀に話を戻しましょう。記紀の神代の話はバッサリ「創作」と言われていますが、実はモデルになる話があったと考えています。それが神話として昇華したと考えています。
具体例をあげたいのですが・・・眠くなりました。
オヤスミナサイ・・・
さて何回か日本書紀・古事記(以下「記紀」と略す)について書きましたが・・・そこには「改竄」「虚構」「創作」があるとは申し上げました。多分これ自身は今の史学会の流れから見ても間違いではないと思います。問題はどこに「改竄」「虚構」「創作」があるかということですが・・・
記紀において「改竄」「虚構」「創作」があり信用できないとされている部分は神代の時代、神代紀と言われています。だいたい神様なんか非科学的だというのが最もなご意見です。そして神武天皇から数代の御世(だいたいは欠史八代)。神武天皇の即位した年、辛酉年つまり皇紀元年は紀元前660年。その頃の海外では・・・中国で春秋戦争時代、中東、アラブ方面では新バビロニアが起こった頃・・・。一般的には日本では弥生時代。考古学では稲作が始まった頃とされている。
現在の考古学、史学上は「創作」と断じる他はないと思われる。しかし中国でも殷が「創作」と言われていたにも関わらず遺跡が出てきたし、未来永劫証明されないとは言えない。
さてこの日本創世神話が全くの「創作」かと言えば私自身はそうは思わない。記述されている年月に問題があるにしても、勝者が敗者の都合のいい部分を吸収し「改竄」があったり、勝者が権威付けのための「虚構」があったとしてもだ。
歴史は勝者が作り上げるもので、権威の裏付けの材料と考える。特に中央集権国家を作り上げる上で都合よく記述されることは否定できないと思う。現在においても中国と日本の第2次世界大戦の歴史観が違うことは有名だ。侵略を受けたもの、侵略したものの感情が違う以上、受け取り方は様々であると思う。同様にこのようなことが古代から無かったと誰が否定できるだろうか?
アメリカで原爆を投下したことは戦争を早期に終わらせるため、日本の被害を最小にするための正義だと信じられている。(勿論異議もあるが)しかし、日本は敗戦し、原爆で被害を受けた被爆国として人道的に許せるものではない。
仮に日本が勝利していたら・・・欧米の横暴に対する大東亜共栄圏を果すための正義の戦いになっていただろう。そうやって勝者によって歴史は作られていると思う。
それを偽の歴史だといえるでしょうか?中国の反日教育には確かに辟易する部分もありますが、それは私が日本人であるが故の感情だと思います。(しかし中国が現在の日本にその歴史観を押し付けてくることには憤りを感じます)中国人には南京大虐殺はあった。日本人にはなかった。それも歴史だと言えるでしょう。
事実は一つしかないといわれる方がいらっしゃると思います。私は事実は一つしかないかもしれないが真実は人の数だけ存在すると思います。要は事実を受け取る気持ちが真実を生み出すと思うのです。その真実の積み重ねが歴史だと思うのです。なぜなら、事実が単独に存在するのではなく、そこには連続した人の営みがあるからです。人の感情を無視して歴史などありえないと思います。
そして国家が単独で存在するのではなく、人が国家を運営している以上感情を無視して歴史を語る事なかれです。そして国家には感情だけでなく、そこに様々な思惑があって然りです。それは嘘の歴史だと言われるかもしれません。短絡的にはそうかもしれません。でも敗者の歴史も勝者の歴史に組み込まれることによって歴史は生き残ると考えます。
ここで記紀に話を戻しましょう。記紀の神代の話はバッサリ「創作」と言われていますが、実はモデルになる話があったと考えています。それが神話として昇華したと考えています。
具体例をあげたいのですが・・・眠くなりました。
オヤスミナサイ・・・
