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■初夢トピックスのマーケティングインサイトとは?!

2015年02月24日 | Weblog
■初夢トピックスのマーケティングインサイトとは?!

前回につづいて、
年末、年初のトピックスへのマーケティングインサイトについて考察する。
今回は、年初のトピックスを取り上げる。

取り上げる、年初のトピックスは3つ。
・TV番組の予測番組
・ウィーンフィルのニューイヤーコンサート
・箱根駅伝
である。

A.「年初の予測」のインサイトについて

新年となれば、この一年は!、あるいは向こう10年は!
という予測の話が必ず出てくる。
NHKでシリーズ展開した、この一月の予測番組は、
30年後の世界を語っておりなかなか興味深いものであった。

予測!
当たるか、当たらぬか?
はわからないが、
時間差はあっても、いつかはそのような社会、時代がくるということでは、
予測というのは、そんなには外れないものである。

昔、手塚治虫さんが予測したことは現実に当たっている。
ドラえもんの手品も結構現実化している。
遠い将来の予測は何の問題も生じることがなく、
無責任に語ることが出来るし、大体当たる。
また、夢があって気軽に見ていられる。

しかし近未来のこの一年ということになると、
途端に予測は現実味を帯び、予測を発表する人は控えめになる。

最も極端な例は、
短期の投資家の株価、債券相場、商品相場である。
一年どころではなく、
この一日、この一時間、この一分の予測をして、お金を投じる。
生き死をかけた予測をしている。
当たらなければ大きな損失を被る。
長い相場感でみると、長期トレンドの上げ潮相場でなければ、
儲けるけることはなかなか難しい。

乱高下する相場では、
その場その場の勘定でたまたま儲けることは出来ても、
長期にわたって、生き馬の目を抜いて儲け続けることは神業に近い。
結局、手数料収入がとれる胴元が一番儲かるということになる。

もし、胴元である証券会社が自己勘定で取引をすれば、単なるプレーヤになるので、
儲け続けることは不可能である。
多くの金融破綻は自己勘定的な投資からおこることが多い。

さて、一年に戻る。
一年ともなれば、
予測をする気持ちも萎縮する。
保守的になる、
どうしても周囲の状況をみてしまう。

この予測の萎縮という話には、
昨年の総選挙と絡んだ面白い話がある。

もともとは秋口発表のGDPの予測値が大いにくるった(外れた)ことから、
12月の総選挙の話がでてきた。
短期の予想は当たらない、
の好例である。

昨年の秋口の当初のGDP予測値はさほど落ち込まずに維持できると、
各種シンクタンク、エコノミストは予測した。
しかし、その数字は驚くべきものであった。年率換算で大きなマイナスとなった。
えっ!という感じの数字だった。

この数字では、安部内閣としては、
消費税10%への増税はとてもはいいだせない、
当然、施行延期というという選択肢になる。

実は、このマイナス予測を安部内閣かなり前から知っていて、
秋以降の総選挙の準備をして、
消費税アップという政策を延期するという旗をたてて総選挙に臨んだ、
といわれている。

この裏には、今総選挙をすれば圧勝できると結果予測があり、
ここで総選挙により政治情勢を清算し、あらたな多数派が構成できれば、
安部政権の長期化に結び付けられる、
自分の延命ということではなく、保守本流の目指す抜本的改革、憲法改正という彼岸が達成できるという成算のもと、総選挙という勝負にでたといわれている。
消費税は政権運営の「だし」に使われたといわれている。

税の問題は大変な問題である。
議会というのは、
もともと貴族たちが
王権の課税を見張る、お金は議会が管理するということで
イギリスで生まれた制度である。
だから増税問題は大切なことであり、総選挙により民意を問う価値はある訳だが、
今回は課税を延期するということなら総選挙という手段はとらずに
そのまま消費税増税の延期宣言をすれば済む話であった。

ここには政治という魔物の判断がある。
総選挙をおこなわずにずるずるといってしまった内閣は、
いずれレームダック化して、政権の座を放り出すことになる、
というシビアな現実を踏まえての衆議院解散となったようだ。

結果は大方の予想通り与党の圧勝であった。
選挙予測はあたった。

本稿で取り上げたいのは、
このきっかけとなった、GDPの速報値が事前の予測から、
なぜこのようにはずれたか?である。

予測の方法が拙劣?
各シンクタンクで似たようなモデルを使って予測すると、
はずれたときは似たようなずっこけ方をする?
本当は悪い予測値も創造できたが、こんな悪いはずがないという予測担当者の思いが、
その悪い予測値をネグってしまった、発表しなかった?
もしそのような予測値を発表してはずれたら、
シンクタンクとして、エコノミストとしての政治生命はおしまい
と思ったのかもしれない。

今は、アベノミクスの1本目、2本目の矢がうたれ、
上げ潮的な社会情勢の中で、
客観的なエコノミスも、その雰囲気に染まって、
目が曇ってしまったのかもしれない。
特にシンクタンク、エコノミストはいつも政治の近くにいて、
アベノミクスの良い点に触れていて、
こんな下振れの予測は、数学的な可能性はあっても現実味はない、
という判断をしたことは想像に難くない。

たとえ話。
富士山がいつか爆発することは明らかである。
これが1-2年かといわれればだれもが予測したくない。
予測は、爆発する、爆発しないの2択である。
1―2年といわれれば、外れる可能性の方が高い。
だから爆発しないと、予測した。
しかし、実際は爆発してしまった、
というのが今回のGDP予測の顛末である。

短期の予測というものは外れると思った方がよい。

外れた原因について、後からあれこれ言い訳をするのは辛い。
しかし、突拍子もない予測でも現実味があるのなら、
それを公表する勇気、気概が求められているのも事実だ。
そもそも予測は占い、博打とどこが違うかということでもある。
占いの世界に、
当たらぬも八卦あたるも八卦という言葉があるように、
面白い予測を発表してほしいものである。

そういえば、年末の清水寺貫主の揮毫、2014年は『税』であった!


B.ウィーンフィルハーモニーのニューイヤーコンサート

ウィーンの学友協会の黄金の大ホールで、
現地の1月1日の正午に毎年おこなわれる恒例のコンサートである。
戦前1939年から始まった大ロングセラー(イベント)である。

世界40カ国に同時中継される。
NHKの恒例番組でもある。

今年の指揮はズービン・メータさん。アジアのひとである。
以前は小澤征爾さんも指揮をとったことがある。

華やかな花の装飾が良く似合う会場、指揮者の個性豊かなアドリブありで、
楽しいものである。
ヨーロッパの一大イベントである。

曲はほとんどが、ワルツ、ポルカ。
ヨハンシュトラウス時代の古きよきウイーンの時代を髣髴とさせる、
うきうきするような雰囲気を伝えてくれるイベントである。
途中ではではウィーン国立バレー団の演技も挿入される。
ワルツに乗った踊りは実に華やかで美しく、世界最高峰のものである。

定番の美しき青きドナウ、ラデツキー行進曲はもちろん、
普段はなかなか演奏されないワルツ、ポルカの小品がつぎつぎと演奏される。

なぜ、何年もニューイヤーコンサートは続くのか。
マーケティング的に言えば、なぜ、ロングセラーなのか?
ということである。

紅白がその年の終わりを飾ると同じで、
ヨーロッパの人たちは、
年初はこれで始まるという恒例感がある。
このイベントに抗して別のことをするというような野暮ったいことはしない。
何といっても楽しいワルツの世界に浸れるという素朴な感覚がある。

演奏会の最終局面では、
会場に入った人、皆が一緒になって、ラデツキー行進曲に手拍子をする。
一緒に盛り上がりこの演奏会に参画した気持ちが嬉しいとされる。

華やかな社交の場にもなっている。
演奏を楽しんだ後の食事、交流などがあり、華やかな社交空間となっている。

19世紀初頭のナポレオン戦争のあとのヨーロッパの秩序を話し合うウィーン会議。
会議は踊る、されど進まずという名言が生まれたが、
そのようないわば古きよき時代へのノスタルジーを、
この一大イベントは刺激するのであろうか。

クラシック音楽は、
時代の風雪、評価に耐えて、生き残ったものである。
人の苦難、喜びを描いたもの、恋を描いたもの・・・・・、
いろいろな感情を描き出したものが残ってきた。
なかでもワルツは音楽ってこんな楽しいもの
という極地を描き出したものである。

ヨハンシュトラウスは、時の大人気作曲家だった。
引っ張りだこの人気者で、いまのJ―POPの人気アーティストを連想すればよい。
彼の父、弟も、一家こぞってワルツを作曲しまくった。

クラシックといえば苦虫を噛み眉間にしわを寄せて、礼服を着て
鑑賞するというイメージがあるが、本当はもっと楽しいものである。

歴史を経たものは変な権威がつき格式というプロトコルが付随してくる。

クラシック音楽は、
もともとはふるくは宮廷に作曲家が出入りし、
宮廷の貴族の家族のために曲をつくってやったり、
宮廷、教会の音楽の管理をしてやったりという経緯で、
連綿として生き延びてきたものである。
華やかな宮廷の式典、貴族のパーティのバックグラウンドミュージックといってもよい。
華やかで楽しいものが多い。

職業作曲家がでてきて、
社会的、市民的な存在になったのはベートーベン以降である。

因みに、現代音楽は、
社会の、人間の深淵をとらえ、
音という手段でその深奥を描き出したものである。
音を楽しむというより、音の意味することに意味があるというたぐいのものである。
したがって映像のバックグラウンドミュージックとして使われ、
その映像の描き出す世界観をより深めるときにもっとも威力を発揮する。
およそ、その音を、音楽を楽しむということでは正直言って機能しないといってよい。
(現代音楽家の人々に怒られそうですが)

さて、現時点から見ればクラシックと呼ばれるが、
クラシックもその当時に戻れば、
当時の流行のJ―POPと考えてよい。
クラシックは、特にワルツは本当に楽しく人気の分野だった。

では、ニューイヤーコンサートのインサイトとは何か?

インサイト1.
クラシックを
とにかく楽しむとう雰囲気がこのニューイヤーコンサートにはある。
いやなことは忘れて、一年を楽しく船出しようという気持ちが
この演奏会を盛り上げている。

インサイト2.
楽しくてうきうきするものは、
理屈抜きに見たい聞きたいということになる。

インサイト3.
誰もが、華やかな音楽や舞台を見て、
夢を掻き立てたい、シンデレラプリン・プリンス効果を得たいという気持ちを持っている。

インサイト4.
古きよき時代へのノスタルジーに浸りたい。
安心、安穏をえたいという欲求にミートしている。
ワルツ王の古き良き時代へ戻り純粋に楽しみたい。
日本人が水戸黄門をみてなんとなくほっとするという感覚に似ている?

ニューイヤーコンサートのチケットはほとんど入手困難である。
超レアものである。これも人気に拍車をかける。
いつの日か、あの会場でラデツキー行進曲に手拍子したいと願っているのだが?


C.箱根駅伝

恒例の箱根駅伝。
2日、3日で往路・復路でおこなわれる。
各々の優勝と総合優勝の3つが争われる。

毎年テレビ中継で、何となくチャンネルを合わせてしまう。
長期間を走る必死の選手、もくもくと走っている選手!
なぜ見入ってしまうのか?

毎年、毎年同じような状況の繰り返しなのに、
ついつい見てしまう、そのインサイトとは?

一言でいえば、駅伝にはいろいろな楽しみ方が潜んでいる、
人それぞれ見るツボがあり、飽きさせないということになる。
それが駅伝をついつい見てしまうインサイトにつながっている。

インサイト1.中距離をつなぐ競技としての面白さ

駅伝なので、
まず1つ目のインサイトはこれになる。
10人がたすきをつないで完走し、よいタイムをだし、次回のシード権をとる、
という報酬へ向かって必死になる姿が面白い。

団体競技と個人競技の合わせ技で、同時に2つの楽しみがあるという感覚がある。
短距離走だと、あっという間に終わってしまい、何か味気ないものが残ったりする。
駅伝は2日にわたり、各チーム10人が走り、2日に渡って楽しむことができる点で、
他の陸上競技とはかなり違う。
これだけじっくり楽しめる陸上競技はない。

インサイト2.躍動的なスポーツへの感動

駅伝に限らず、スポーツの感動の根源は
「走る行為は動物的な本能をくすぐる」、
ということに尽きる。
本能を突かれると、見ている人は動物的な反応を起こさざるをえなくなる。
特に駅伝の場合は、ひとりで1区間20KMを走り抜けるわけだが、
マラソンのように駆け引き、ペース配分等々の高度の頭脳プレーがあるものとは
異なる。
全力疾走感があり、走り終えると力尽きるという悲壮感もあり、マラソンより純粋感がただようのか、感動させられる。
因みに選手は1区間20KMを一時間で走り、
普通の自転車のスピードより速いというから凄い。


インサイト3.恒例の定番イベントという安心感

恒例の年初の箱根駅伝。
保守的なイベントである。
その保守性に安心感、伝統的なノスタルジーを感じる。
見ると何か安心する。

そういえば、駅伝という競技、意外や日本が発祥の地という。
1917年に東海道の京都(三条大橋)、東京(上野不忍池)間ではじまったとされる。

インサイト4.群れることの大切さ

皆で助け合わなければことは成就しない、群れをなす人間の本能を呼び覚ます
動物としての仲間愛の本能を掻き立てられる。

たすきを渡してリレーしてゆく。
チームの誰がずっこけてもレースは負けとなる。
気候、怪我、体調、突発的なアクシデント、駅伝には何がおこってもおかしくない。

足をくじいた、自分一人なら棄権でよい。
駅伝は違う。
仲間のことを考えると、這いつくばってもたすきを渡さなければならない。
泣かせる話がそこにはある。

TV中継を通して、
チームワーク、群れる哺乳類の仲間をかばい合うという本能が垣間見える。
これが見る者の脳を刺激する。

裏話:
今年は青山学院大学が見事に優勝した。
TVの中井君の番組で、
苦節10年の優勝秘話が放映された。

山梨学院大学、早稲田大学、東洋大学という駅伝で有名な大学とはかなりテーストの違うチームであることが紹介された。

青学優勝のポイントは2つになる。
ひとつは上記の絆に関わるものである。

ポイント1.チームワークの勝利

笑いの絶えない仲良しチームである。
単純なストイックな自己克己的なイメージからは想像もつかないくらい
面白いチームである。

原監督が、高校へスカウトに行っても、
駅伝で無名の青山学院大学に来てくれる生徒はいない。
素質のある無名の生徒をみつけて、その子のマラソンへの熱意、表現力をみて、
チームを明るくしそうな子をスカウトしていったという。

陸上の合宿所が笑いの絶えない、リラックスした場とし、
先輩・後輩の旧態依然とした人間関係ではない新しいチームをつくっていったという。

スポーツ医学的にいっても、笑い、リラックスは、
その人の最高のパフォーマンスが発揮できるインフラを脳内に整える
といわれているらしい。

ポイント2.目標管理の勝利

青学は独自の目標管理を導入し推進した。
原監督は指導者経験のないもと陸上選手だという。
広島出身で、中国電力で陸上をしながら、怪我がもとで営業職に転じ、
独自の目標管理方式で努力し伝説のNO1営業になったという、異色の監督である。
青山学院陸上監督就任時の条件は3年で駅伝出場というものであった。
当初は根性論にもとづく激しいトレーニングが中心で
なかなか結果がだせない状況がつづいたという。
3年たっても駅伝出場の可能性はなく絶望的だったという。

サラリーマン時代に培った目標管理、小さいことの積み重ね方式、自分が達成できそうな目標から入り、その積み重ねで大きな目標を達成するという方式を導入し、
更にその目標管理を生徒、チーム自らやらせたという。

原監督就任時は、
何もかも0ベースからの出発でユニークなニッチな手をつかわなければ、
先に進まない状況にあった。
逆に言えば、
フリーハンドで自由にチームをつくることができたということでもある。
上記の2つのポイントはその象徴である。

インサイト5.シード権争い

勝優勝争いもさることながら、10位内に勝ち残り、
来年度のシード権を確保する、生き残りに必死になる姿が、
ひしひしと伝わり、どきどきさせられる。
これは実力があるチームが必ずしもシード権が保障されるということはなく、
一人でも何らかのアクシデントで危険すれば、遅れればもうアウトである。
他の選手がいくら調子が良くてもダメである。
何か起こりそうなメークドラマ感を予感させるもの、これが駅伝の面白さである。

インサイト6.ギャンブル感
2日にわたる長い競技で、終わってみるまでなにがおこるかわからないというギャンブル的な要素が、気持ちをはらはらさせる
人間というのは人の不幸の中に幸せを見出すという不思議な本能をもっている。

人の不幸をみると、脳の報酬系の部位が活性化するという。
不幸が自分の状況を優位に押し上げ、ある種の報酬を得たのと同義となるらしい。
途中で選手に故障がおこったり、反則があったりすると、そこで失格になる。
チームでの完遂がこれほど求められる競技はない。
駅伝には、
悲喜こもごもの人間劇が毎年繰り広げられる。
人間ドラマがある。

つまり、視聴者の側には、
アクシデントをある意味では期待している節がある。
悲劇のヒーローを見たいという願望は0ではない。
その時のアナウンサーの実況に酔いしれたい願望でもある。
もちろん完走した選手に心底感動するというポジティブな感情もある。

そのあたりの複雑な心理的な機微が、
駅伝の醍醐味ではないだろうか。
複雑さゆえの面白味、エンタテイメント性がある。
駅伝には、単純に走ってリレーしているだけではない深みがある。

以上が、5つのインサイトである。

最後に、
競技ではないが、
昔からある飛脚は宿場の間を人から人へと引き継いでものを運んでゆく。
そういう意味では、駅伝的なものは古くからあり、また世界共通のものである。

そこで提案が?!
東京オリンピック競技にならないだろうか?!
オリンピックに、
皆でたすきをつなぐという長距離マラソンがあっても不思議ではない。

東京オリンピックでは、
ぜひ正式種目としてとりあげてほしい?

■ 年初のトピックスとマーケティングインサイトにまつわる話は以上となる。

■ おめでたいお正月に起こるトピックス(マーケティング現象)には、
普段とは異なるインサイトが潜んでいる。
年が変わる節目でのリセット感は、
過去一年の感傷的な、向こう一年の未来高揚感的なもので構成される。
インサイトには、
・いままでの自分を大切にしたいという保守的なもの、
・いままでの自分から変わりたいとする革新的なもの
の両面が根本にある、ことと通じている。

■ 正月の晴れ晴れとした、今年はやるぞ!というリセット感的なインサイトを、
いつも持ち続けていたいと思う・・・・・?
しかし、現実は、既に2月末で正月気分もなくなり、
日々、忙殺されている状況である?

この稿おわり


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