将門ブログ

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28「貞盛の逃避行」

2008年01月28日 | 将門の乱
「貞盛の逃避行・天慶二年(939)6-10月」
=貞盛、将門追捕の官符を得て帰国するが、将門の勢力が強く、苦悩する。貞盛、陸奥守・平維扶の赴任に従って陸奥に入ろうとするが、将門に追撃されて山野に隠れる。

●「貞盛の逃避行」(『将門記』より)
《ここで貞盛は千里の旅の糧食を一時に奪われてしまい、旅空の涙を草にそそいで泣いた。疲れた馬は薄雪をなめつつ国境を越え、飢えた従者は寒風にさらされて憂いつつ上京した。しかし、生き延びる天運に恵まれて、なんとか京都に着いた。そこでたびたびの愁いの内容を記して太政官に奏上し、糾問すべきであるという天皇の裁許を、将門出身国(下総国)に賜った。去る天慶元年(※2年)6月中旬に、京から在地に下って後、官符をもって糺そうとしたけれども、例の将門はいよいよ悪逆の心を持って、ますます暴悪をなした。そのうちに、介の良兼朝臣、6月上旬に亡くなった。考え沈んでいるうちに、陸奥守平維扶(これすけ)朝臣が同年冬10月に任国に就任しようとするついでに、東山道から下野の国府にたどり着いた。貞盛はその太守と知り合いの間柄だったので、ともに奥州に入ろうと思い、事情を話して聞かせたところ、「わかった」ということであった。そこで出発しようとしていたうちに将門が隙をうかがって追ってきて、前後の陣を固めて、山狩りをして潜伏している身を探し、野を踏んで足跡を探した。貞盛は天運があって、風のようにすばやく通過し、雲のようにすばやく身を隠す。太守は思い煩って、ついに見捨てて任国に入っていってしまった。その後、朝には山を家とし、夕には石を枕としなければならなかった。凶悪な賊らのおそれはますます多くなり、非常の疑いも倍増した。ぐずぐずとして国の周辺を離れず、ひそひそと逃げ隠れして山の中から外に出ない。天を仰いで世間の不安な様子を嘆き、地に伏しては我が身一つ持ちこたえられないありさまを嘆き悲しんだ。悲しみ、そして傷む。身を厭うけれども捨てるわけにもいかない。鳥のうるさいのを聞けば、例の敵がほえ立てているのかと疑い、草が動くのを見れば密告者が来たのかと驚く。嘆きながら多くの月日を過ごし、憂えながら日々を送る。しかし、このころは合戦の音もなく、ようやく朝から晩までの不安な心を慰めた。》

今回の補足説明は特にありません。

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/取材:源六郎/平将門関連書籍将門奉賛会


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