勉強はなかなかギアがあげられなくて、電車とかテキスト片手にぐうぐう寝てしまうダメっぷり(何の為の電車通勤なんだか…)なんですが、離れてても長年やってたからか、ピアノには自然に復帰。
指は動かないながらカプースチンの24の前奏曲をなるべくたくさんしようと、うごうごと譜を読み弾きしています。
通して弾いていくと改めて曲間の繋がりを発見し、ただのジャズの小品集ではなくむしろクラシックな作曲技法によって作られている事に気づく。あるいはジャズを言語化して突き詰めるとクラシックの技法で説明できるという事なのかもしれない。
まだ何も詳しい分析とかはできていないので感覚的になるけど、この曲集の多くが和音の扱いに(特に第三音)注力されていて、曲集としてそういう作曲テーマがあるのかと思うくらいだ。それはジャズでいうと例えばブルーノートやテンションコードの扱いという事になるし、クラシックでいうと長短の他特殊なスケールの使用という事になる。一曲一曲仕上げていく時にそれら特別な音の意味をしっかり考えていかなければならない。
まあ結局カプースチンの曲ってインテンポでざくざくと進める曲が多いのでそういう複雑精緻な扱いがなされててもあっというまに過ぎちゃうんだけどね。その辺がああいう曲(きざみが常になっててリズム主体の曲)の限界ではあるんだと思うけれど。
指は動かないながらカプースチンの24の前奏曲をなるべくたくさんしようと、うごうごと譜を読み弾きしています。
通して弾いていくと改めて曲間の繋がりを発見し、ただのジャズの小品集ではなくむしろクラシックな作曲技法によって作られている事に気づく。あるいはジャズを言語化して突き詰めるとクラシックの技法で説明できるという事なのかもしれない。
まだ何も詳しい分析とかはできていないので感覚的になるけど、この曲集の多くが和音の扱いに(特に第三音)注力されていて、曲集としてそういう作曲テーマがあるのかと思うくらいだ。それはジャズでいうと例えばブルーノートやテンションコードの扱いという事になるし、クラシックでいうと長短の他特殊なスケールの使用という事になる。一曲一曲仕上げていく時にそれら特別な音の意味をしっかり考えていかなければならない。
まあ結局カプースチンの曲ってインテンポでざくざくと進める曲が多いのでそういう複雑精緻な扱いがなされててもあっというまに過ぎちゃうんだけどね。その辺がああいう曲(きざみが常になっててリズム主体の曲)の限界ではあるんだと思うけれど。