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誰も知らない、ものがたり。

巡りの星 92

 月が近づいてきているのか。
 あるいは、この世界が月に吸い寄せられているのか。
 それとも、互いに引き寄せ合っているのか。
 私には判らなかった。

 しかし、このまま月に取り込まれたら、アサダさんも私も元の世界には戻れないのだろう。
 それは、世界の異変に気がついた私がはじめてヒカルと出会ったその日の夜に聞かされた、巡りの崩壊を意味するはずだ。
 つまり、その時点で宇宙は消滅する。
 今ヒカルはそばに居ないし、世界や宇宙のことなんて自分には何も判りはしないが、ただ自分なりの直感がそう告げていた。

 恐らく、今まさに宇宙の崩壊と消滅へと導くプラグのような接点として作用しているのが、今自分の腕の中にいるアサダさんの意識なのだ。
 2つに別れてしまったアサダさんの意識体。その意識体と引き合うように、月が目の前に迫り、この世界ごと呑み込もうとしている。

 私の両腕の中で静かに涙を流すアサダさん。
 月に呑み込まれようとする今でも、涙は頬を伝って下に向かうのだった。
 その一滴が頬を離れ、意識体として宙に浮かぶ私たちの足元のさらにその下の湖に向かって吸い込まれていく刹那を観た時、
 不意に辺りは静寂に包まれ、そして、小さな声が私たちの直ぐ側から聞こえた。

「あれ、ひょっとしてトモヤ?」

 私とアサダさんはその声がした方に顔を向ける。
 いつの間に現れたのか、私たちの直ぐ側には、意識世界のあの公園で出会った、小さなアサダさんの姿があった。

 同じく意識体として私たちの目の前に現れたのだ。
 私は驚いて、その小さなアサダさんのことを見て思わず声を出す。
「・・・ミキちゃん!?」
 私の口から出た言葉を聞いたアサダさんは、思わず息を呑んだ。
 自分の少女の頃の姿であることに、気がついたのだろう。
 小さなアサダさんはこの危機的な状況に一向に構う様子を見せず、名前を呼ぶ私に向かって目を見開きながらニコリと笑った。

 私は不意に、“今の私たちが起点となって、未来と過去が、この世には同時に存在している”という、ヒカルが言った言葉を思い出した。巡りの穴に飛び込んだ時、前後に幾つも連なって映る自分たちの姿をみながら、時間の秘密として聞いた言葉だった。
 ひょっとしたら、過去に生きる意識体である小さなアサダさんには、今まさに月が世界を呑み込もうとしているこの様相が、何も観えていないのかもしれない。

 時空の次元の壁を越え、過去のアサダさんと現在のアサダさんの意識が相対している。

「やっぱりトモヤだ!こないだは急に消えちゃったからビックリしたよ、またこの公園に遊びに来たの?」
 小さなアサダさんはその場でぴょんと跳ねた。
 向こうの次元の小さなアサダさんは、今も公園にいるのだろうか。
 こちらからはその様子は何一つ観えなかった。

 そして、ずっと話したかったことなのか、小さなアサダさんは早口で一気に喋りだした。
「あの時ね、迎えに来てくれたおじさんとおばさん、とっても心配してくれてたんだよ。そんでね、一緒に帰ってみんなで美味しいお鍋を食べたの。いつも意地悪するゆうやくんも、その日は小さい声でごめんって、謝ってくれたんだ。すごく美味しかったんだよ、そのお鍋!」

 それを聞いた私も自分が今置かれいている状況を忘れたかのように安堵して、笑顔で返した。
「そうかあ・・・!よかった、それを聞けて俺すごくうれしいよ、ミキちゃん!」

 そんなやり取りを隣で聞いているアサダさんの心から発せられる意識の振動が、微妙に高まるのを感じた。
 ふとアサダさんの顔を覗くと、涙に濡らした頬をそのままに、何か遠い記憶の細い糸をたぐっているような様子にも見えた。

「ねえ、その女の人はどうして泣いてるの?悲しいことがあったのかな・・・」
 小さなアサダさんは心配そうな瞳を、大人になった自分自身であるアサダさんに向けた。
 小さなアサダさんと目が合った瞬間、大人のアサダさんは膝から崩れ落ちて顔を両手で覆い、肩を震わせ声を忍ばせながら泣きだした。

 小さなアサダさんはあわてて駆け寄りしゃがんで、大人のアサダさんの顔を下から覗き込んで言う。「どうしたの?だいじょうぶ?」

 大人のアサダさんは泣きながら、声に出せないまま何度もうんうん、と頷いた。
 小さなアサダさんは、しばらくしゃがんだまま、泣きじゃくる大人のアサダさんに無言で寄り添っていた。

「ごめんね・・・」
 大人のアサダさんから、ようやく絞り出すような声が出た。
 そして、二度、三度鼻をすすってから、小さなアサダさんの目を見つめて言った。
「ごめんね、ずっと忘れてた。ううん、ずっと忘れようとしてたの。小さい頃のこと・・・あなたのことを・・・ごめんね・・・!」

 その言葉を横で聞いた私はつぶさに、あの時、公園で一人取り残され、不安に苛まれる小さなアサダさんの姿を思い出した。無限のように繰り返されたであろう、家に帰れない迷い道の情景。トラウマとは、記憶の中で蓋をされ、目を向けられることなく置き去りにされた過去の自分自身の苦しみなのだと、小さなアサダさんと街を一緒に彷徨いながら知ったのだった。

 そして今、大人になったアサダさんの前に、小さな頃の自分自身が笑顔で現れた。そして、泣いている大人の自分を慰めようとしてくれている。
 アサダさんの心の中では暗く辛い過去として葬り去り蓋をしたままだった当時の記憶に、突然光をあてられたのかもしれない。

「おねえさん、なんであやまってるの?」
 そう不思議がる小さなアサダさんの身体を、大人のアサダさんの細い両腕がそっと抱き込むように包んだ。
 少し戸惑いながらも、小さなアサダさんは何かを感じて大人のアサダさんに静かに身を委ねた。
 
 しばらくの沈黙の後、大人のアサダさんの口から掠れた声が聞こえた。
「ごめんね・・・ありがとう・・・つらかったね、よく耐たね・・・本当に頑張ったね、ありがとう」

 それは、今まで忌まわしい過去の記憶として蓋をして観ることをしなかった、小さな自分自身に対する謝罪と感謝の言葉だった。

 その言葉を聞いた小さなアサダさんは一瞬何かに気がついたかのように目を見開いた後、ゆっくりと目を瞑って大人のアサダさんの腕の中で言葉をかみしめるように、わずかに微笑んだ。
 そして、小さくこくりと頷く。

 その時、ブウンという波動音とともに辺りの空気が一瞬波打ったように感じた。
 
「あっ」
 私が見ている側で、大人のアサダさんの腕に抱かれた小さなアサダさんの身体が光り始め、私は思わず声を出した。
 あっという間にまばゆい光が大人のアサダさんごと包み、その光からお日さまのような暖かさが放射されていることを、側に居ながら感じとれた。
 少ししてその光は大人のアサダさんの中に同化していくかのようにして消えていった。
 小さなアサダさんの姿は、もう見えなかった。


・・・つづく。
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