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誰も知らない、ものがたり。

巡りの星 67


「・・・ミキちゃん、手を見せてくれない?」
「手?」小さなアサダさんは自分の両手を広げて少し見てから、私の目の前にそれを差し出した。

「ありがとう、どれどれ」私はスマートフォンのライトを小さな手に当てる。
 こぶりで手の甲にやや丸みを帯びた、可愛らしい児童の手。私はその手を注意深く見て言った。
「あ、小指の長さが、左と右で少しだけ、ちがうね」
 私にそう言われ、小さなアサダさんは自分でもはじめて気がついたように「あれ?ほんとだ!」と言う。

「ねえ、俺の手を見てくれる?」
 そう言って私は自分の両手を、手の甲を上にして並べる。そして、左と右の親指の形をよく見比べられるようにして近づけた。

「あ!親指の形が左と右で、ちょっとちがうよ」小さなアサダさんは、私の手を覗き込みながら言う。
「そうなんだ。右の親指の方が、短くて太いでしょ?この親指は、おばあちゃんの指と同じ形なんだ」
「おばあちゃんと?」
「そう。小さい時におばあちゃんが俺の親指を見て、おんなじだねって、嬉しそうに言った」
 私はその時におばあちゃんが見せてくれた手を、懐かしく思い出す。
「でね、そのとき近くにいた、俺の父さんも手を見せてきたんだけど、父さんは親指と人差指がおばあちゃんと同じ形をしていたんだ」
「へえ・・・」
「で、反対の俺の左手の親指の形は、母さんとそっくりだった」
小さなアサダさんは、私が言っていることに静かに耳を傾けていた。
「つまりね、ミキちゃんのこの手も、ミキちゃんのお父さんとお母さんから貰った、ミキちゃんだけのものなんだよ」
小さなアサダさんは、自分の手をまじまじと見つめて言った。「お父さんと、お母さんから、もらった手?」
「そう。手だけじゃないよ。ミキちゃんの身体ぜんぶ。お父さんやお母さん、そのまた親の親の親からね」
 その言葉は、どこまで小さなアサダさんの心に届いたかは、私にはわからなかった。
 物心ついたときから両親はこの世にいない。その現実と、この子はどうやって向き合ってきたのか、今の私には想像することすら難しかった。だから、簡単に慰めの言葉なんて、かけられやしない。でも、どうしてもこれだけは知っておいてほしかった。
 君には、お父さんも、お母さんも、ちゃんと居る。ここに居る自分の身体こそが、その親子の絆の証だということを。
 私とヒカルの間で、じっと自分の手を見つめたままの小さなアサダさんの、小さな息づかいを感じながら、続けた。
 
「・・・おばあちゃんが病気で亡くなっちゃったとき、父さんに聞いたんだ。おばあちゃん居なくなっちゃったの?って」
「・・・」小さなアサダさんは、無言のままでいる。私は構わずに、言葉を継ぐ。
「そしたら、父さんはこういったんだ。おばあちゃんは、見えなくなっちゃったけど、居るよって。近くで俺たちを見守って居るよって・・・」
 小さなアサダさんは、ようやく顔を上げて、私を見た。その瞳は、小さく揺れていた。
 私はその小さな手をとった。小さなアサダさんの手から、血の通った温もりが伝わってくる。
 そして、目の前で揺れている、小くて深い黒色の瞳の奥を見つめながら、私は言った。

「俺は、それを信じてるんだ」

 これが、私の言いたいことだった。
 小さな子にとって、こんな私の言葉なんかよりも、実際に触れられる父親と母親に、側に居てほしいに決まっている。
 こんな言葉は、虚しくかき消されてしまうような、些細でちっぽけなものかもしれない。
 強い風が吹き、トンネルの入り口をかすめる音がした。自分が口にした言葉を、簡単にかき消して、その意味まるごと再び闇に呑み込まれてしまうのではないか。そんな心許なさを、感じてしまいそうになる。
 でも、このことだけは、譲る気にはなれなかった。私は、信じている。そう、私は、信じている。

 小さなアサダさんは、私の目を見て、何かを言いかけた。
 でも、言葉を出す前に、その瞳を伏せて下を向いてしまった。
 そして、触れていた私の手をそっと振りほどいた。
 重たい沈黙が流れた。
 小さなアサダさんは、その手をぎゅっと握り、口をまっすぐに閉じたまま、動かなかった。

 私は、このときほど強く願わずには居られなかった。
 おばあちゃん、見てくれているんだろう、何でも良いから言ってくれよ、と・・・。

 その時、再び、強い風が吹き、その風に乗せられてきたかのように、もう一つの声が聞こえてきた。

 「・・・トーモくん!」

・・・つづく。
 
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