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心人-KOKOROBITO-

亡き先人と今を生きる人に想いを馳せて
慰霊活動や神社参拝で感じ取った事を書き綴った日記と日々の雑感コラム

白梅慰霊のご加護6 【寡黙な志】

2011年06月08日 | 慰霊



白梅慰霊の会の今回のメンバーがこれで全員揃った。遠路、自宅から船に乗って、到着後に深夜バスに乗り継ぎ、福岡から飛行機で那覇空港に入り、タクシーに乗り換え、現地へ到着。ありとあらゆる乗り物を駆使し、今、この白梅之塔の慰霊碑前に彼は立っていた。遠路の疲れを労い、清掃の前に昼食を摂ることにし、荷物を置いている2つあるうちの一つの石の上を片付けた。

おそらく、この場所で、他府県の人が、持ち込んだお弁当をひろげ食する行いをしたのは、わたしたちが初めてだろう。慰霊碑前で、何がランチだ?と、その行いを不謹慎に思われる人もいるかもしれないが、わたしにとって、ようやく食する事が可能な場所になった事の方が、喜ばしいと思っている。

以前の白梅之塔では、とてもとても、そのような気持ちにはならなかっただろう。絶対に無理だった。今回わたしは、車中でお弁当を食べることを想定していた。だが、あまりにも様変わりしたこの場所の空気感に、躊躇することなく、お弁当を慰霊碑前で食べようと思ったのである。亡くなった方々と共に、これが代食の供養。

「○○○くん、ゴーヤは食べられる?」
「ええ、大丈夫です。」

お!まずは一安心。お箸とゴーヤ丼を手渡しし、空いているスペースに、ソーセージとサラダを置く。細長い石の上に、男、女、男と、互い違いに左右交互に座り、それぞれがそれぞれのお弁当を食し始める。冷えたゴーヤ丼も、また格別に美味しい。それぞれが旅の経過の話をしながら、あっという間に食事の時間も終わってしまった。

食事が終わると、途中で合流した仲間が、何から始めたら良いか質問をして来た。もう一人の仲間が、適切に指示していく。わたしは慰霊碑前は彼らに任せる事にし、壕の中の仕上げと、切花を各所へ御供えする準備に取り掛かった。

改めて、わたしの脳裏には、彼らの慰霊に対する寡黙な想いに触れ、何も言わぬその志に痺れていた。急な声がけにも係らず、よくぞ同行してくれたものだ。男前な行いとは、こういう事なんだなぁ~と痺れの中の余韻に浸っていた。なかなか、出来るもんじゃない。慰霊を通じ、この必然的な繋がりの点が増えていけば、いつかその点が個々に結びつき、大きな太い線を繋げる事が出来る。その事を感じさせてくれただけで、胸が一杯になって行った。

わたしは余韻を抱えたまま、切花をし、各所に御供のお花を器に入れて行った。今回持ってきた花瓶2つも、新たに初期の慰霊碑前と壕の中にもう一つ設置をと思い、持参したのである。器に応じた背丈に花を揃え、輪ゴムでしっかり止められた花を切っていった。

壕の中に持ち込むお地蔵様も梱包を外し、もう一人の仲間が持ってきたお地蔵様と一緒に手に持って、壕へ向った。お地蔵様を置くブロックの上も片付け、お花も持ち込み、丁寧に並べていく。





”う~ん、いいね。”

改めて、お地蔵様の役割をこの場で強烈に感じていた。壕の中は相変わらず明るく、空気も澄んでおり、湿度も本来なら高いはずがそれほどでもなく、ここの空間は、透明感に包まれていた。

わたしは、少女達だけでなく、壕の中で感じていた日本兵の方々のために持参した御供物がある。それは靖國神社崇敬奉賛会の入会更新の際に頂いたご神殿の御下がりの御米だ。ナイロンに密封されたその御米を、日本兵の方を感じる場所にそっと、そのまま置いた。

靖國で逢うことは、日本兵にとって、国家と彼らが交わしたものであり、また戦友同志の約束でもある。合祀されたとしても、亡き場所に、御下がりの御供が届けられる事、今を生きる者のこの意は十分に伝わり、理解されるだろうと感じていた。

静まり返る壕の中で、薄い残像を感じる。あともう少しだ、という想いが去来した。66年という歳月をかけ、祈り人の長年傾注した祈りによって、御魂そのものはここにはもういないが、亡き人々の想いが具現化し、御魂がいるような錯覚を、今を生きるわたしたちに与える。

だが、想いは納得も得心もすれば、完全に無くなる。わたしが、神様にお祈りしてきた部分は、ここであり、自力では行けなくなった想いをこの現世から引き上げて頂く事だ。

生きている我々の役目は、この想いを祈りによって浮かび上がらせること。残念ながら、人間にはそこまでしか出来ない。後は、神様に嘆願し、その想いを引き上げて頂くしか方法はないのだ。

想いは、人の差がある。固執する性格の人、そうでない人、この差は肉体を失い霊魂となった以降も、ちゃんと個性として残るのだ。今、まだある残り香のような想いを抱いている少女達も、あと数回足を運べば無くなっていくだろう。そのために、神様にもお願いをせねばならなく、日々の祈りが欠かせない理由がここにあるのだ。

壕の中で一人、わたしは想いを巡らせ、改めて設置したお地蔵様に向け、こころを託していた。

「神様、ありがとうございます。こんな短期間で、ここまでして下さって・・・。」


(つづく)

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