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心人-KOKOROBITO-

亡き先人と今を生きる人に想いを馳せて
慰霊活動や神社参拝で感じ取った事を書き綴った日記と日々の雑感コラム

階段

2010年10月05日 | 思索
流行とは、奇抜に始まり滑稽に終わると言うが、意識というものに流行はない。己の哲学の上に成り立つ意識は、確固たるものである。しかし、この哲学も一枚岩ではない。時、人、場所、それぞれに関わりある物事によって偏重的ながら且つ変容として成り立っている。この事を意識しておく事が大切である。




世の中80%は、どちらでもよいことが多い。しかし、10%はよく考えなければならないことがあり、残りの10%は守るべきものである。この事を認識し意識できれば、生きる上で何が重要かが見えてくる。




他者の悪口を言う人がいる。それは、悪く言う相手を意識しているからである。そんなに嫌なら、意識しなくてよい。意識しなくなれば、悪口も言わなくなる。人との接点で、悪口を言いそうになれば、このように意識すればよい。意識しないよう意識することだ。




人間の悪事が、法による裁きを逃れた範疇の場合、そこには法によって裁かれない悪が残る。法によって裁かれない悪にも、罪はある。罪の認識をし、自省出来れば布石も打てるが、出来ない場合、必ず己に返ってくる。これを自業自得という。己のやった行いの罪は、必然として己に返ってくる。ただそれだけのことだ。自業自得を時に天罰と言う人もいるが、神様は程度の低い人間など範疇にない。




怒っている相手を避けてはならない。まずは相手を見ること。怒っている相手が何に対し怒っているのか、その本質をまず知ることだ。やみくもに怒っている相手を避けてはならない理由は、己を省みる要点が潜んでいる事が多いからである。避けていては、いつまでたっても要点は掴めない。強いては、何も変われない。自分では気付かぬヒントを怒っている相手は持っているということを忘れない事だ。



物事の順番を紐解けば、必ず原因がある。人間関係の摩擦も同じである。邪魔臭くても、黙って紐解けばよい。己のためであり、結果、他者のためにもなる。

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