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地域の足もとから、持続可能な自立共生社会を目指して

環境新聞連載:「再生可能エネルギーと地域再生」より、17回目:郡上市石徹白地区の再生可能エネルギーと地域づくり(1)

2017年12月16日 | 再生可能エネルギーによる地域づくり

岐阜県郡上市石徹白地区は郡上市北西部、白山の南山麓、平均標高700mに位置する。地区内には、日本海に流れ込む九頭竜川水系である石徹白川の源流があり、その支流である朝日添(わさびそ)川から取水した農業用水が集落内を流れている。昭和30年代までは210戸1,200人強の人々が住んでいたが、現在100世帯270人となっている。白山信仰が盛んな時代に修験者の宿坊等として栄えた土地であり、明治まで神に仕える人が住む村としてどの藩にも属さず、年貢免除・名字帯刀が許されていたという歴史をもつ。

 

●小水力発電事業の中心人物

石徹白の小水力発電に係る取組みは、地域外の主体の提案を地域内の主体が受け止める形で展開されてきた。取組みを進めるなかで、地域外の主体の中心的人物が地域に移住し、他の移住者を受け入れながら、新たな展開を示してきた。

地域外の主体としては、岐阜県、郡上市といった行政の他、「NPO法人ぎふNPOセンター」(ぎふNPOセンター)、「NPO法人地域再生機構」(地域再生機構)がある。これらは、外部資金を石徹白に持ち込んで小水力発電を提案し、地域内の主体と一緒に事業を実施してきた。

地域内の主体としては、「NPO法人やすらぎの里いとしろ」(やすらぎの里)、「石徹白地区地域づくり協議会」(地域づくり協議会)、「石徹白農業用水農業協同組合」(以下、専門農協)がある。

2005年からやすらぎの里の理事長となったのが久保田政則氏である。1966年に石徹白を出て、愛知県内のメーカーで電子関係の仕事につき、1979年にUターンをした。やすらぎの里の立ち上げの際、アドバイザーとして関わっていたぎふNPOセンター理事長代行(当時)・地域再生機構理事長の駒宮博男氏から石徹白での小水力事業の実施を検討するにあたり、声をかけられた。子供向けの科学教育に関心があり、小水力発電自作キットの開発等にも力を入れている。

専門農協の代表理事となった上村源悟氏は、勤めていた郵便局を退職してすぐに自治会長となり、岐阜県から小水力発電の話しがあった。提案があったのは郡上市所有「石徹白清流発電所」であったが、それとは別に地域主導による「石徹白番場清流発電所」を設置することになり、その事業を行うために設立された専門農協の代表理事組合長を務めることになった。

さらに、石徹白に通いながら小水力発電のプロジェクトに参加し、石徹白に移住したのが、平野彰秀氏である。築100年以上の古民家を手に入れ、改修を経て、2011年から石徹白住民になっている。小水力発電事業の他、5人の若手メンバーと一緒にHP制作委員会をつくり、公式HP「石徹白人(いとしろびと)」を立ち上げたり、地域の女性10名ほどで運営するコミュニティカフェ「くくりひめカフェ」の立ち上げの支援、石徹白地区地域づくり協議会の事務局を担当してきた。

 

●地域の人口減少への危機感、やすらぎの里の設立

これまでの取組みを振り返る。2003年、自治会とは別に地域の人口減少に危機感を持つ人たちでの活動を行おうと、やすらぎの里が設立された。旧青少年旅行村のリニューアルによる「いとしろファミリーオートキャンプ場」のオープン、石徹白地域の歴史と文化を案内したリーフレットとホームページの作成の他、環境保全のための看板の設置、郷土史研究家による講演会、子供向けの絵画教室等を実施してきた。

2007年、水力発電の環境が整っているということで、ぎふNPOセンターの駒宮博男理事長代行(当時)から再生可能エネルギーの提案がなされた。ぎふNPOセンターは地域のNPOの中間支援組織であり、駒宮氏はやすらぎの里の設立総会で挨拶に招かれていた。

久保田氏は、駒宮氏から「再生可能エネルギーに取り組むが外部団体が地域に入るにはハードルが高く、得意な電子関係を中心に手伝ってほしいと声をかけられ、地域づくりの目に見える形の起爆剤として、現状打破のきっかけとしてやりたいとインスピレーションが沸いた」という。やすらぎの里で、再生可能エネルギーに取り組むことになり、久保田氏は、電子関係に詳しいという理由から理事長を任された。

2007年夏、地域内で設置候補地点の調査を行い、愛地球博の余剰金を管理している財団の助成金を得て、2007年秋~翌年春にかけて、ぎふNPOセンターが事業主体となり、実験的に3機の水車を設置した。1機は直径60 cmの螺旋型、残り2機はベトナムから輸入した縦軸型・ターゴ型であった。

マスメディアの報道があり、取組みが広く知られるようになってきた。しかし、実証実験は順調ではなかった。発電はできても、電圧の制御システムの技術開発が必要であった。水車関係は名古屋大学と茨城大の先生の指導を受けて大学院生が作成、地域の土木、岐阜県内の橋メーカーである製作所が水力発電の事業に参入したいと取り組んだ。制御システムの開発は久保田氏が引き受けた。

なんとか、螺旋型水車の電気は、やすらぎの里の事務所に引き込まれ、12W電球型蛍光灯6灯とテレビの同時使用に成功した。

 

続く 

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