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地域の足もとから、持続可能な自立共生社会を目指して

環境新聞連載:「再生可能エネルギーと地域再生」より、10回目:上田市の再生可能エネルギーと地域づくり(1)

2017年03月17日 | 再生可能エネルギーによる地域づくり

■市民主導の市民共同発電事業が中心

  上田市は長野市に隣接する人口16万の中核都市である。かつては「蚕都(さんと)」と呼ばれ、蚕糸業が地域のリーディング産業であった。技術的基盤や進取の精神が機械金属工業に受け継がれ、地域経済を牽引してきた。産業集積とも関連して、市内に信州大学繊維学部、長野大学、上田女子短期大学という3つの大学が立地する。

 上田市の再生可能エネルギーへの取組みの中心のあるのは、NPO法人上田市民エネルギーが担う市民共同発電事業である。同NPOは、藤川まゆみ氏(NPO法人上田市民エネルギー理事長、大阪から移住した母親)が中心となり、合原亮一氏(株式会社ガリレオ代表取締役)、安井啓子氏(蚕都くらぶ・ま〜ゆ世話人代表、10年以上続いている地域通貨等を運営)、井上拓磨氏(一般社団法人ループサンパチ代表理事、コワーキングスペースを運営)とともに、市民共同発電を行うために設立された。この4人ともに上田への移住者である。

 上田市の取組みは3段階で捉えられる。第1段階は市民共同発電事業の基盤となるネットワーク形成の段階、第2段階は同事業の離陸段階、第3段階は同事業の経験を得て、事業を拡張する段階である。

 

●移住者4人が各々に市内でネットワークを形成

 第1段階では、NPO法人上田市民エネルギーの事業の立ち上げを担った4人が、それぞれに地域内でネットワークを形成していた。

 藤川氏の活動は、「六ヶ所村ラプソディー」という映画に出会ったことから始まる。2007年9月に松本で上映会が行われた。映画を観て揺さぶられた。この映画は、「原発に対する様々な考えのなかであなたはどう思いますか、あなたが考えてください」という内容だったという。意見が違っても話を続けるコミュニケーションが重要だと感じた藤川氏は、上田市で「六ヶ所村ラプソディー」の自主上映会を開催した(2007年12月)。上田に引っ越して2年たった頃で、知り合いは多くなかったが、周囲に声掛けをして回った。活動は勉強会、ワークショップへと広がった。

 合原氏は、環境問題に関心を持ち、会社の駐在員として渡米する機会を得た。人口増加が問題だと考え、研究をしていた。1996年に帰国し、有機農業の先生の声かけもあって上田へ移住した。当時はインターネット元年を迎えており、友人が経営していたIT系ベンチャーを引き継いだ。東日本大震災後、原発は動かしたくない、電力足りないという中で、勉強会や情報提供は多いけど、実際に何かをやらなくてはいけないという意識が強くなっていった。

 安井氏は、夫の勤務により移住し、30数年、上田に居住してきた。2000年代に入った頃、「21世紀がスタートし、日本でも地方の時代と言われるなか、地方の人間が自覚的に地域のことを考えていかなくては」と考えるようになり、2001年4月に自主的な勉強会を友人と立ち上げた。2001年6月に「エンデの遺言〜根元からお金を問う〜(NHK BS)」を視聴し、地域通貨に強く関心を抱く。同年に地域通貨制度「蚕都くらぶ・ま~ゆ」を立ち上げ、現在まで継続している。

 井上氏は、名古屋で育ち、信州大学繊維学部を卒業後、民間企業に就職した。上田出身の家族が地元に戻りたいと希望し、上田に移住。地域外のネットワークのなかで仕事をしていたが、もっと地域とつながり、地域に仕事のネットワークを作りたいと感じたことから、地域、コミュニティづくりに着手した。当時、仕事場は自宅にあったが、様々な調査を経て、みんなで働ける場所があるといいと考えるに至り、2012年2月、コワーキングスペース(共同作業場)を開設した。

 

●長野県の呼びかけに、ビジネスアイディアを思いつく

 第2段階。2011年5月、各々の活動を展開していた4人は自然エネルギー信州ネットの準備会に、車に同乗して行くことになった。4人は藤川氏の知り合いで、藤川氏と合原氏は幼稚園の親つながり、他の2人は勉強会等を通じて知り合っていた。

 自然エネルギー信州ネットの会合では、各地域で協議会をつくり、再生可能エネルギーによる発電所をつくるプロジェクトの立ち上げが呼びかけられた。藤川氏は「事業をやらなきゃいけない」と理解はできたが、帰りの車内で「自分には事業は無理だ」とあきらめかけていたところ、合原氏が「上田には大きな屋根がたくさんある。昔、養蚕をしていた住宅の屋根は大きいので、相乗りでパネルつければどうだろうか」と提案した。

 その頃の太陽光発電は、個人住宅の屋根の発電パネルが、部分的にしか載っていない場合が多かった。「まだ設置費用が高いから、自己使用分しか載せていない、空いているスペースに一緒に載せてもらえたらどうだろうか」。「相乗りくん」と名づけられた事業のアイディアはこうして生まれた。

 「相乗りくん」の方式では、一般住宅に太陽光パネルを設置する場合に屋根オーナーの自己資金分だけで設置するのではなく、「市民信託(民事信託)」の方法により、パネルオーナーから信託を募り、屋根いっぱいにパネルを設置する。パネルーオーナーは、売電収入を信託成果として受け取る。

 

●4人それぞれの個性とネットワークが活かされた

 4人は「相乗りくん」を実現するための組織として、上田市民エネルギーを2011年11月設立した。2012年3月、最初の発電所を合原氏の自宅に設置した。パネルオーナーの申し込みが10名あった。

 市民感覚の藤川氏が呼びかけ役となり、合原氏は組織作りが得意で構想力を持つ。そして、キャッシュフローのマネジメントができる。安井氏は広いネットワークで人脈を活かし、井上氏は若くてセンスがあり、補助金や広報関係に強い。各々の得意分野が上手く活かされた。

 また、藤川氏の映画上映への参加者、安井氏の地域通貨への参加者、そして井上氏のコワーキング事業等を通じた地域内外のネットワークが、事業の呼びかけに活かされた。個性的な4人の持つネットワークが、上田の市民共同発電事業の基盤となった。

 次回は、第3段階の事業拡張の動きを紹介する。

 

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