サードウェイ(第三の道) ~白井信雄のサスティナブル・スタイル

地域の足もとから、持続可能な自立共生社会を目指して

環境新聞連載:「再生可能エネルギーと地域再生」より、6回目:湖南市の再生可能エネルギーと地域づくり(1)

2016年12月14日 | 再生可能エネルギーによる地域づくり

今回からは、滋賀県湖南市における地域づくりをとりあげる。湖南市は、事業型市民共同発電の設置、再生可能エネルギー関連条例の制定ともに、日本初で実施した地域である。一方、湖南市は障がい者福祉に力を入れてきた町であり、それと再生可能エネルギー事業が結合してきたという特徴を持つ。障がい者福祉と再生可能エネルギーは、どのように接合し、再生可能エネルギーへの取組みの先進性を生み出してきたのだろうか。

 

●障がい者福祉の町としての歴史

湖南市は平成の大合併(2004年)で、旧石部町と旧甲西町が合併して誕生した人口約5万5千人のまちである。京都まで鉄道で40分程度の通勤圏にあり、ベッドタウンとして人口増加がみられた地域である。

湖南市には、「県立近江学園」とその関連施設が立地している。近江学園は、旧石部町の誘致により、1971年に大津市から移転してきた。当時の知的障害者の授産施設(更生施設)であり、自然豊かな園内で共同生活をしながら、生活・生産の教育を受け、地域との交流も進められた。この学園からスピンアウトする形で、1981年には、施設内で管理されるのではなく、障がい者も健常者もともに働き、ともに暮らす、支えあいの社会を目指すという理想を持ち、「株式会社なんてん協働サービス(以下、なんてんサービス)」が設立された。

また、旧甲西町では、ホームヘルプ、ナイトケア等のサービス拠点として「OPEN SPACE れがーと(以下、れがーと)」を誘致し、2001年は「社会福祉法人れがーと」が設立された。

そして、1997年、なんてんサービスでの屋根上に、日本初の事業型市民共同発電所「てんとうむし1号」(4.35kW)が設置された。間をあけて、2012年には、れがーとの作業場の屋根上に、「湖南市地域自然エネルギー基本条例」に基づく市民共同発電所初号機「バンバン市民発電所」(20.88kW)が設置された。

 

●京都会議の時期に設置された市民共同発電

てんとうむし1号は、NHKの大津放送局勤務の職員であった中川修治氏が考え方を提案し、それをなんてんサービスの経営者である溝口弘氏が受け入れ、設置された。気候変動枠組条約第3回締約国会議(京都会議)の開催された頃である。

溝口氏は、「最初は理解できなかったが、中川氏から石川英輔作「大江戸エネルギー事情」という本を渡され、目からうろこが落ちる思いがした。ハンディをもった人が大きな施設ではなく、地域の中で暮らすという考え方で、なんてんサービスを始めたわけだが、そうした小さな取組みの福祉とエネルギーの話が重なった」と当時を振り返る。

「エネルギー、福祉ともに、小規模な手段の方が多機能で柔軟に対応できる。汗水たらしながら働き、水平的な関係で助け合う双方向性が大事である」という溝口氏の考え方が、中川氏の信念との接点を見出したのである。

てんとう虫1号は、市民の出資を太陽光パネルの設置資金とし、なんてん共同サービスの事業所の屋根を提供することで実現した日本最初の事業型市民共同発電所である。発電した電気は、太陽光パネルが設置されている事業所で使用し(使用した電気料を事業所が負担)、余剰電力を電力会社に売電し、その収益を出資者に還元するという仕組みである。株式会社として福祉施設を設立していた溝口氏は、当時の古い福祉の考え方ではお金の話をするとけしからんという風潮があったが、事業性は大事であると考えていたともいう。

てんとう虫1号の出資金は、なんてんサービスの応援団(県内が中心)と中川のネットワーク(県外が中心)に加えて、インターネット、口コミ、直接説明等で集められた。20万円×18口(のべ30人)、約400万円が集められた。設備価格が高いころでもあり、40年で配当を返していく計画であった。

2002年には、市内の痴呆性高齢者のグループホームに、てんとう虫2号が設置された。

 

●2010年以降の市民共同発電事業

「てんとう虫2号」以降、新たな市民共同発電事業の設立はなかったが、再離陸の契機となったのが、2011年に採択された総務省「緑の分権改革」事業である。

緑の分権改革の応募にあたり、企画調整課の職員があるもの探しを行った結果、環境面では、なんてんサービスの市民共同発電があり、また地域の特徴としては障がい者福祉で先駆的であることから、「福祉を軸とした地域自立・循環システムの構築」がテーマとなった。

市民共同発電、アール・ブリュット展・福祉ツーリズム、地元野菜の特産品開発を行い、それらを地域循環商品券でつなぐという仕掛けが考えられた。アール・ブリュットは、芸術の訓練を受けていない自然に表現した作品をいう。

溝口氏は、「緑の分権改革により、湖南市内の「あるものつなぎ」が実現した。エネルギーと福祉と食・特産品をつないだ。地域のもの、地域循環、地域自立という考え方をうえつけた。ものだけでなく、市内の人やネットワークをつないだ。」と評価している。

そして、この事業を担うために、2011年に、「こにゃん支え合いプロジェクト推進協議会」が設立された。福祉事業者、社会福祉協議会、観光協会、農業者団体、商工会、工業会、まちづくり協議会、学識経験者がメンバーとなり、会長は溝口氏が担う。2012年には、行政内に地域エネルギー課が設置され、事業の調整役を担うこととなった。

 

次回は、2012年以降の市民共同発電事業の設置や新たな動きを紹介する。

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