1.エコポリス
環境白書で、「人と自然の共生する都市―エコポリス」が提唱されたのは、1989年のことである。その翌年、環境庁の調査補助事業として、神戸市と滋賀県野洲町において、「エコポリス」のモデル計画が策定された。この「エコポリス」という用語は、ドイツからの逆輸入だとされる。1980年代に日本の通商産業省によって進められた「テクノポリス」のアンチテーゼとして、ドイツで提唱された「エコポリス」を、環境庁が取り入れたという訳である。
ドイツの「エコポリス」については、1985年に、西ドイツの建築家R.ルッツとT.クロッツがメトロポリスと対立する概念として考え方を位置づけている。彼らは、メトロポリスと対照させてエコポリスのイメージを示した(注1参照)。彼らの提起したエコポリスの原則は、(1)都心と郊外といった都市構造及び住宅地等の空間、(2)エネルギー供給、リサイクル等に関する都市システムに加えて、(3)対人関係やコミュニティにまでも言及するものであった。しかし、ドイツの「エコポリス」の原則は、社会システムや経済システムよりも、建築家の提唱らしく、空間デザインを重視したものであった。
では、日本の「エコポリス」は、どのように方向づけられたのか。ドイツの「エコポリス」と神戸の「エコポリス計画」の理念の比較を、盛岡通教授(大阪大学)が記述している。同教授は、神戸の「エコポリス計画」では、空間デザインにおける環境配慮も踏まえつつ、環境配慮型のライフスタイルにかなりの重点を配していることを指摘している。同計画では、行政が主導的役割を担う仕組み、コミュニティの自主的活動に期待する仕組み、家庭での暮らしの工夫、事業者への要請等が方向づけられている。
このように、環境庁の「エコポリス」事業は、環境保全型の地域づくりのフレームを十分に確立したものである。しかし、この事業に基づき策定された理念や計画は、実際の都市整備には十分に反映されなかったと考えられる。また、2地域で策定された「エコポリス計画」が、その後他地域で策定されることはなかった。
2.エコシティ
環境庁が「エコポリス」を提唱した時期に、建設省で進められたのが、「エコシティ」である。環境庁の「エコポリス」が、物質の循環、生き物との共生とともに、環境にやさしい暮らしを重視したのに対して、建設省の「エコシティ」は都市の上物が改善対象であり、快適な居住を目標の中心としたものであった。
「エコシティ」については、1992年8月に建設省都市局長の私的研究会として設定された「都市環境推進研究会」(座長:伊藤滋 東京大学名誉教授)において、検討が成された。この研究会では、地球規模の環境問題の解決とともに、「生活大国5か年計画」に示された「特色のある質の高い生活空間の実現」という要請に応えるものとして、「都市環境計画」のあり方と「エコシティ」の整備推進方策が検討された。
同研究会の検討結果として、「エコシティ」は国が支援するモデル事業として位置づけられた。都市計画の一部として策定される「都市環境計画」の中で「エコシティ」を重点整備事業として位置づけ、採択された市町村で「エコシティ」事業を実施することができるというものである。同事業の対象地域は、(1)人口増加や業務機能の集中等により環境状況が悪化、(2)都市環境対策により、高い環境改善効果が期待可能、(3)一定規模以上の都市圏に所在といった条件を満たす市町村とされた。
また、「エコシティ」事業の類型としては、省エネ・リサイクル都市、水循環都市、都市気候緩和・自然共生型都市の3つが示された。具体的には、未利用エネルギー活用型の地域冷暖房施設の整備、公開空地の緑化・透水性舗装、下水処理水循環利用等の施設整備が補助金の対象となった。
このように、「エコシティ」事業そのものは特定の都市基盤を対象としたものである。ドイツの「エコポリス」計画の理念は、主に「都市環境計画」に導入された。しかし、同計画にせよ、都市部が対象であり、かつ事業内容は土地利用や基盤整備に限定されたものであった。
3.エコビレッジ
環境配慮型の地域づくりを具現化するならば、農山村を舞台にして描いた方が現実的なのではないかという視点から、環境庁有志等が策定したのが「エコビレッジ」基本構想(1992年)である。バブル景気に煽られたリゾート開発も行き詰まりを見せ、ポスト・リゾートが検討課題となっていた時代である。農山村の新た地域振興と都市住民の自然とのふれあいを求める想いを繋ぐことが、その構想のイメージだった。
「エコビレッジ」基本構想が発展し、1994年度には環境庁有志等による「里地研究会」(座長:内藤正明教授 京都大学)が設置され、事例収集と政策提言が成された。この研究会の名称である「里地」とは、1994年に策定された「環境基本計画」で定義された国土区分である。里地は、換言すれば農山村(及びその周辺の地方中小都市等)であり、その中でも特に大自然よりの中山間地域が里地に近い定義である。
かつての環境行政においては、山地は自然公園法や自然環境保全法の体系の基に、平地は公害対策基本法の体系の基に、施策が進められてきたが、里地に関する施策は不十分であった。このため、里地の環境保全を検討することが必要とされた。これが、「里地研究会」の公式的位置づけである。一方、ウルグアイラウンド以降、農産物の輸入自由化が進行し、農業生産性の悪い中山間地域の問題が危惧された。市場から切り離し(デカップリング)を行い、環境保全の立場からの公的支援を行うのか、あるいは市場の中で競争を行っていくのか、議論が活発化していた。こうした時代状況も、里地の議論を急がせた。
1998年2月25日、環境庁が主導した任意団体として、「里地ネットワーク」がスタートした。 同ネットワークの案内でも示されるように、「里地ネットワークは、行政、企業、NGO、大学・研究機関等のパートナーシップにより、里地の環境保全と経済的自立を両立させた新しいふるさとづくりを目指す」ものである。
環境庁が提唱し、事業化をしてきた「エコビレッジ」は、ハード整備の補助等を行うものではなく、地域づくり総体を検討対象としている。これは、環境庁の施策領域上の制約による所が大きいが、環境配慮型の地域づくり総体を志向している点で、環境庁の「エコビレッジ」の基本理念に見るべき点が多い。
里地研究会の報告書では、「エコビレッジ」づくりとは、「環境資源を生かした地域活性化を、地域住民が都市住民の参加を得ながら行い、他から触発され、学習することで、自らが元気になるとともに、他主体にも元気さを広げていくこと、そして地域づくり全体を環境配慮型に変えていく」ことであると定義している。
なお、環境庁の「エコビレッジ」とは別に、農林水産省でも「エコビレッジ」の研究を行っている。ただし、農業基盤整備における環境配慮技術の導入等が検討の中心となっており、農山村における環境保全型の地域づくりの僅か一部分を具体化しているに過ぎない。
4.エコタウン
通商産業省では、1998年より「エコタウン」事業を推進している。これは、産業間の資源循環によるゼロエミッション構想の実現を目指すもので、産業団地内にリサイクル施設を立地させ、地域振興を図っていこうというものである。「エコタウン」事業は、地方公共団体が推進計画「エコタウンプラン」を策定し、承認された場合に助成を得ることができるものである
同事業は、エコセメントの製造プラントやペットボトルリサイクル施設のハード面の整備とともに、環境産業見本市・技術展、共同見本市の開催、環境産業のためのマーケティング事業、関連事業者・住民に対するリサイクル情報の提供、環境関連研修の実施、環境指導等、ソフト面での取り組みについても、助成対象となっている。
このように、エコタウン事業は、ハード面だけでなくソフト面での取組みを重視している点が注目される。また、厚生省との連携事業である等省庁間の連携を実現している点、加えて地域特性を生かした計画と実践が成されている点において、環境配慮型の地域づくりのあり方に配慮した事業となっている。
特に、リサイクル産業の立地と地域住民の生活の調和を重視し、住民参加型で「エコタウン」計画を策定し、情報公開型でリサイクル施設の運営を行っている宮城県鴬沢町、工業系だけではなく、農業、林業、畜産業等と連携して、バイオマス循環を実現しようとする秋田県等の取り組みが注目される。また、今後「エコタウン」に名乗りをあげる予定の地域では、「エコタウン」づくりを担うNPOの設立、地域住民とのリスクコミュニケーションの仕掛け、コミュニティビジネスの創出等が検討されている。
5.エコ窃盗にならないように
「エコポリス」、「エコシティ」、「エコタウン」、「エコビレッジ」と並べてみると、対象地域の空間スケールの大きさや、都市的・農山村的といった空間特性に応じて、環境配慮型の地域づくり事業が展開されているようにも見える。しかし、実際には、各事業の取り組み内容は各所管官庁の施策領域に限定されがちである。
環境配慮型の地域づくりは、土地利用、機能配置、地域基盤整備、導入技術、行政施策、産業活動、住民生活等の全てを、環境配慮型に転換していくことが必要であり、行政分野横断的で成されるべきものである。少なくとも、当面のアクションが特定分野のものであったとしても、それを他の分野に波及させていくというベクトルを持つことが重要である。
加えて、環境配慮型の地域づくりの実践においては、社会・経済システムの側面は、ハードや技術を導入する際の配慮事項になりがちである。全体としてのバランスを考えた時、今以上に一層と、社会・経済システムを中心とした取組みやその支援施策の強化が求められる。例えば、住民協働、リスクコミュニケーション、地場産業や中小企業の活性化、環境ベンチャーの創業等において、さらに積極的な取組みが推進されることが望まれる。
"エコ"という接頭語を地域づくりに適用するならば、エコロジーという考え方が、そもそもシステム全体のあり様を問うものであることを重視すべきである。部分的な取組みに留まり、地域づくり全体への波及性を志向するものでなければ、それは"エコ"窃盗の謗りを免れないだろう。
*なお、本文中の省庁名は、全て省庁再編以前の名称をそのまま用いている。
(注1)1)西ドイツの建築家R.ルッツとT.クロッツは、次表のように、メトロポリスと対照させてエコポリスのイメージを示した。
メトロポリス
・自然を侵食しながら無秩序に拡大する都市域
・都心による郊外の消耗
・都市集中がもたらす気温の上昇
・発電所排熱による河川の熱汚染
・機械による画一的な耕地の大規模開拓
・直線的で画一的な区画整理
・保全されない台地の侵食/生態系の破壊
・下水道として利用される人工河川
・大規模交通網のための地表の浪費
・"国際様式"の画一された都市/建築のデザイン
・形式的に規定された一様で均質な建築デザイン
・住民に匿名性/孤立
・大地を覆いつくす人工物
・微気象の特性を無視したゾーニング ・建築形態
・植木鉢の自然
・機能的だが変化に乏しい広い道路/固い舗装
・機能的用途区分の徹底された空間
・人工的技術システムの支配
・周辺の自然から隔離された機械としての都市
・"死"のイメージ
エコポリス
・自然に適応し、生態学的に考慮された住宅計画
・対立が解消され、バランスのとれた都市と郊外の空間
・気候に適合した建築物や住宅地の計画
・分散型・生態系適合型のエネルギー供給システム
・自然に地形に沿って分割された耕地
・地形を尊重した区画整理
・自然の進化を維持する大地の保全
・再生能力/自己調整能力を保持する蛇行する河川
・適正な交通計画による地表の保全
・地域の特性・歴史性を生かしたデザイン
・住民の体験を重視した多様で変化に富んだデザイン
・共同的な隣人関係/コミュニティ
・自然の地表を残す工夫
・微気象に配慮したゾーニング ・建築形態
・都心における小生態園(ビオトープ)の保持
・楽しい歩行空間のデザイン/大地が呼吸する道路舗装
・住まいと職場と商業空間の混在統合
・人間、植物、動物のための生命空間の創造
・エコシステムを構成する要素が統合された都市
・"生"のイメージ
出典)小玉祐一郎、「住まいと環境計画と技術-アクティブな生活のためのパッシブなデザイン」住宅総合研究財団研究年報NO.17,15-27
【参考文献】
1.内藤正明「エコ都市づくりの系譜と現状」、環境科学会誌6(1):43-50(1993)
2.盛岡通「エコポリス-環境保全型都市の未来」、環境科学会誌6(1):51-58(1993)
3.小玉祐一郎「エコシティ-環境共生型都市の課題と展望」、環境科学会誌6(1):59-66(1993)
4.財団法人水と緑の惑星保全機構「里地セミナー レポート集VOL.1」2001.3
(文責:白井 信雄 2001年11月入稿)
環境白書で、「人と自然の共生する都市―エコポリス」が提唱されたのは、1989年のことである。その翌年、環境庁の調査補助事業として、神戸市と滋賀県野洲町において、「エコポリス」のモデル計画が策定された。この「エコポリス」という用語は、ドイツからの逆輸入だとされる。1980年代に日本の通商産業省によって進められた「テクノポリス」のアンチテーゼとして、ドイツで提唱された「エコポリス」を、環境庁が取り入れたという訳である。
ドイツの「エコポリス」については、1985年に、西ドイツの建築家R.ルッツとT.クロッツがメトロポリスと対立する概念として考え方を位置づけている。彼らは、メトロポリスと対照させてエコポリスのイメージを示した(注1参照)。彼らの提起したエコポリスの原則は、(1)都心と郊外といった都市構造及び住宅地等の空間、(2)エネルギー供給、リサイクル等に関する都市システムに加えて、(3)対人関係やコミュニティにまでも言及するものであった。しかし、ドイツの「エコポリス」の原則は、社会システムや経済システムよりも、建築家の提唱らしく、空間デザインを重視したものであった。
では、日本の「エコポリス」は、どのように方向づけられたのか。ドイツの「エコポリス」と神戸の「エコポリス計画」の理念の比較を、盛岡通教授(大阪大学)が記述している。同教授は、神戸の「エコポリス計画」では、空間デザインにおける環境配慮も踏まえつつ、環境配慮型のライフスタイルにかなりの重点を配していることを指摘している。同計画では、行政が主導的役割を担う仕組み、コミュニティの自主的活動に期待する仕組み、家庭での暮らしの工夫、事業者への要請等が方向づけられている。
このように、環境庁の「エコポリス」事業は、環境保全型の地域づくりのフレームを十分に確立したものである。しかし、この事業に基づき策定された理念や計画は、実際の都市整備には十分に反映されなかったと考えられる。また、2地域で策定された「エコポリス計画」が、その後他地域で策定されることはなかった。
2.エコシティ
環境庁が「エコポリス」を提唱した時期に、建設省で進められたのが、「エコシティ」である。環境庁の「エコポリス」が、物質の循環、生き物との共生とともに、環境にやさしい暮らしを重視したのに対して、建設省の「エコシティ」は都市の上物が改善対象であり、快適な居住を目標の中心としたものであった。
「エコシティ」については、1992年8月に建設省都市局長の私的研究会として設定された「都市環境推進研究会」(座長:伊藤滋 東京大学名誉教授)において、検討が成された。この研究会では、地球規模の環境問題の解決とともに、「生活大国5か年計画」に示された「特色のある質の高い生活空間の実現」という要請に応えるものとして、「都市環境計画」のあり方と「エコシティ」の整備推進方策が検討された。
同研究会の検討結果として、「エコシティ」は国が支援するモデル事業として位置づけられた。都市計画の一部として策定される「都市環境計画」の中で「エコシティ」を重点整備事業として位置づけ、採択された市町村で「エコシティ」事業を実施することができるというものである。同事業の対象地域は、(1)人口増加や業務機能の集中等により環境状況が悪化、(2)都市環境対策により、高い環境改善効果が期待可能、(3)一定規模以上の都市圏に所在といった条件を満たす市町村とされた。
また、「エコシティ」事業の類型としては、省エネ・リサイクル都市、水循環都市、都市気候緩和・自然共生型都市の3つが示された。具体的には、未利用エネルギー活用型の地域冷暖房施設の整備、公開空地の緑化・透水性舗装、下水処理水循環利用等の施設整備が補助金の対象となった。
このように、「エコシティ」事業そのものは特定の都市基盤を対象としたものである。ドイツの「エコポリス」計画の理念は、主に「都市環境計画」に導入された。しかし、同計画にせよ、都市部が対象であり、かつ事業内容は土地利用や基盤整備に限定されたものであった。
3.エコビレッジ
環境配慮型の地域づくりを具現化するならば、農山村を舞台にして描いた方が現実的なのではないかという視点から、環境庁有志等が策定したのが「エコビレッジ」基本構想(1992年)である。バブル景気に煽られたリゾート開発も行き詰まりを見せ、ポスト・リゾートが検討課題となっていた時代である。農山村の新た地域振興と都市住民の自然とのふれあいを求める想いを繋ぐことが、その構想のイメージだった。
「エコビレッジ」基本構想が発展し、1994年度には環境庁有志等による「里地研究会」(座長:内藤正明教授 京都大学)が設置され、事例収集と政策提言が成された。この研究会の名称である「里地」とは、1994年に策定された「環境基本計画」で定義された国土区分である。里地は、換言すれば農山村(及びその周辺の地方中小都市等)であり、その中でも特に大自然よりの中山間地域が里地に近い定義である。
かつての環境行政においては、山地は自然公園法や自然環境保全法の体系の基に、平地は公害対策基本法の体系の基に、施策が進められてきたが、里地に関する施策は不十分であった。このため、里地の環境保全を検討することが必要とされた。これが、「里地研究会」の公式的位置づけである。一方、ウルグアイラウンド以降、農産物の輸入自由化が進行し、農業生産性の悪い中山間地域の問題が危惧された。市場から切り離し(デカップリング)を行い、環境保全の立場からの公的支援を行うのか、あるいは市場の中で競争を行っていくのか、議論が活発化していた。こうした時代状況も、里地の議論を急がせた。
1998年2月25日、環境庁が主導した任意団体として、「里地ネットワーク」がスタートした。 同ネットワークの案内でも示されるように、「里地ネットワークは、行政、企業、NGO、大学・研究機関等のパートナーシップにより、里地の環境保全と経済的自立を両立させた新しいふるさとづくりを目指す」ものである。
環境庁が提唱し、事業化をしてきた「エコビレッジ」は、ハード整備の補助等を行うものではなく、地域づくり総体を検討対象としている。これは、環境庁の施策領域上の制約による所が大きいが、環境配慮型の地域づくり総体を志向している点で、環境庁の「エコビレッジ」の基本理念に見るべき点が多い。
里地研究会の報告書では、「エコビレッジ」づくりとは、「環境資源を生かした地域活性化を、地域住民が都市住民の参加を得ながら行い、他から触発され、学習することで、自らが元気になるとともに、他主体にも元気さを広げていくこと、そして地域づくり全体を環境配慮型に変えていく」ことであると定義している。
なお、環境庁の「エコビレッジ」とは別に、農林水産省でも「エコビレッジ」の研究を行っている。ただし、農業基盤整備における環境配慮技術の導入等が検討の中心となっており、農山村における環境保全型の地域づくりの僅か一部分を具体化しているに過ぎない。
4.エコタウン
通商産業省では、1998年より「エコタウン」事業を推進している。これは、産業間の資源循環によるゼロエミッション構想の実現を目指すもので、産業団地内にリサイクル施設を立地させ、地域振興を図っていこうというものである。「エコタウン」事業は、地方公共団体が推進計画「エコタウンプラン」を策定し、承認された場合に助成を得ることができるものである
同事業は、エコセメントの製造プラントやペットボトルリサイクル施設のハード面の整備とともに、環境産業見本市・技術展、共同見本市の開催、環境産業のためのマーケティング事業、関連事業者・住民に対するリサイクル情報の提供、環境関連研修の実施、環境指導等、ソフト面での取り組みについても、助成対象となっている。
このように、エコタウン事業は、ハード面だけでなくソフト面での取組みを重視している点が注目される。また、厚生省との連携事業である等省庁間の連携を実現している点、加えて地域特性を生かした計画と実践が成されている点において、環境配慮型の地域づくりのあり方に配慮した事業となっている。
特に、リサイクル産業の立地と地域住民の生活の調和を重視し、住民参加型で「エコタウン」計画を策定し、情報公開型でリサイクル施設の運営を行っている宮城県鴬沢町、工業系だけではなく、農業、林業、畜産業等と連携して、バイオマス循環を実現しようとする秋田県等の取り組みが注目される。また、今後「エコタウン」に名乗りをあげる予定の地域では、「エコタウン」づくりを担うNPOの設立、地域住民とのリスクコミュニケーションの仕掛け、コミュニティビジネスの創出等が検討されている。
5.エコ窃盗にならないように
「エコポリス」、「エコシティ」、「エコタウン」、「エコビレッジ」と並べてみると、対象地域の空間スケールの大きさや、都市的・農山村的といった空間特性に応じて、環境配慮型の地域づくり事業が展開されているようにも見える。しかし、実際には、各事業の取り組み内容は各所管官庁の施策領域に限定されがちである。
環境配慮型の地域づくりは、土地利用、機能配置、地域基盤整備、導入技術、行政施策、産業活動、住民生活等の全てを、環境配慮型に転換していくことが必要であり、行政分野横断的で成されるべきものである。少なくとも、当面のアクションが特定分野のものであったとしても、それを他の分野に波及させていくというベクトルを持つことが重要である。
加えて、環境配慮型の地域づくりの実践においては、社会・経済システムの側面は、ハードや技術を導入する際の配慮事項になりがちである。全体としてのバランスを考えた時、今以上に一層と、社会・経済システムを中心とした取組みやその支援施策の強化が求められる。例えば、住民協働、リスクコミュニケーション、地場産業や中小企業の活性化、環境ベンチャーの創業等において、さらに積極的な取組みが推進されることが望まれる。
"エコ"という接頭語を地域づくりに適用するならば、エコロジーという考え方が、そもそもシステム全体のあり様を問うものであることを重視すべきである。部分的な取組みに留まり、地域づくり全体への波及性を志向するものでなければ、それは"エコ"窃盗の謗りを免れないだろう。
*なお、本文中の省庁名は、全て省庁再編以前の名称をそのまま用いている。
(注1)1)西ドイツの建築家R.ルッツとT.クロッツは、次表のように、メトロポリスと対照させてエコポリスのイメージを示した。
メトロポリス
・自然を侵食しながら無秩序に拡大する都市域
・都心による郊外の消耗
・都市集中がもたらす気温の上昇
・発電所排熱による河川の熱汚染
・機械による画一的な耕地の大規模開拓
・直線的で画一的な区画整理
・保全されない台地の侵食/生態系の破壊
・下水道として利用される人工河川
・大規模交通網のための地表の浪費
・"国際様式"の画一された都市/建築のデザイン
・形式的に規定された一様で均質な建築デザイン
・住民に匿名性/孤立
・大地を覆いつくす人工物
・微気象の特性を無視したゾーニング ・建築形態
・植木鉢の自然
・機能的だが変化に乏しい広い道路/固い舗装
・機能的用途区分の徹底された空間
・人工的技術システムの支配
・周辺の自然から隔離された機械としての都市
・"死"のイメージ
エコポリス
・自然に適応し、生態学的に考慮された住宅計画
・対立が解消され、バランスのとれた都市と郊外の空間
・気候に適合した建築物や住宅地の計画
・分散型・生態系適合型のエネルギー供給システム
・自然に地形に沿って分割された耕地
・地形を尊重した区画整理
・自然の進化を維持する大地の保全
・再生能力/自己調整能力を保持する蛇行する河川
・適正な交通計画による地表の保全
・地域の特性・歴史性を生かしたデザイン
・住民の体験を重視した多様で変化に富んだデザイン
・共同的な隣人関係/コミュニティ
・自然の地表を残す工夫
・微気象に配慮したゾーニング ・建築形態
・都心における小生態園(ビオトープ)の保持
・楽しい歩行空間のデザイン/大地が呼吸する道路舗装
・住まいと職場と商業空間の混在統合
・人間、植物、動物のための生命空間の創造
・エコシステムを構成する要素が統合された都市
・"生"のイメージ
出典)小玉祐一郎、「住まいと環境計画と技術-アクティブな生活のためのパッシブなデザイン」住宅総合研究財団研究年報NO.17,15-27
【参考文献】
1.内藤正明「エコ都市づくりの系譜と現状」、環境科学会誌6(1):43-50(1993)
2.盛岡通「エコポリス-環境保全型都市の未来」、環境科学会誌6(1):51-58(1993)
3.小玉祐一郎「エコシティ-環境共生型都市の課題と展望」、環境科学会誌6(1):59-66(1993)
4.財団法人水と緑の惑星保全機構「里地セミナー レポート集VOL.1」2001.3
(文責:白井 信雄 2001年11月入稿)
洞爺湖サミットまでに、日本は環境対策を如何に進めるべきか方策を探していることと思います。そこで、私は日本国内のどこかに21世紀のパイロットモデルとなるエコシティ+研究施設群を作り、実験検証を行い、他市町村さらには他国の模範となるまちづくりを行うことが長期的視点では有効なのではないかと考えております。そして、その候補地として、東京都立川市・昭島市にある立川基地跡地70haが最適なのではと考えております。
実はこの土地には法務局が刑務所施設を作りたいと市側に申し入れているのですが、この提案はその反対運動としてではなく、この土地のより有効な利用方法の検討という流れから発展してきています。
(昭和記念公園と隣接。都内で唯一地下水が給水されていることなどの住みよい環境と新宿まで40分足らずという立地)
この提案を日本の地球温暖化対策の1つとして取り上げてもらおうと思っているのですが、白井さんはいかがお考えでしょうか?
こちらは不勉強なところも多く、実現性や有効性などを検討不足な点も多いです。白井さんの御実績やご経験などからアドバイスをいただけると助かります。
突然ブログ上で変なお願いをしてしまい、申し訳ありません。
http://pub.ne.jp/horiokam/
horiokam@gmail.com 堀岡 勝
白井です。はじめまして。
私は、産業や設備等のインフラをエコにしたエコシティやエコタウンより、生活がエコなエコライフ・ビレッジのモデルが欲しいと思っています。
エコライフを支える物質循環、コミュニティ、情報・学習システム等も含めて、モデルをつくる必要があります。
その場合、空き地に新たにクローズドな街つくるのではなく、既存の空間の改良やそれを支援することにより、エコライフ・タウンができればと思います。
つまり、既存の空間や活動をエコライフに変えていく支援機能を持たせられないでしょうか。
エコ住宅や新エネルギーの実験・常設展示・商談、大規模コミュニティ・ガーデン、自然生態系体感フィールド、エコベンチャーのインキュベータ、エコライフフェアのイベント会場 等。。。
。。あまり斬新なアイディアはないですが。。。