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[防衛計画の大綱]

2010-05-29 03:00:04 | 図書館
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[防衛計画の大綱]

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防衛計画の大綱(ぼうえいけいかくのたいこう)は、日本における国防政策の基本的指針。かつては国防会議を経て閣議決定されていた。現在は安全保障会議を経て閣議決定される。略して、防衛大綱とも呼ばれる。

目次 [非表示]
1 概要
1.1 昭和52年度以降に係る防衛計画の大綱について
1.2 平成8年度以降に係る防衛計画の大綱について
1.3 平成17年度以降に係る防衛計画の大綱について
1.4 2009年における改定の動向
1.5 2010年度の新防衛大綱の策定
2 大綱
3 中期業務見積もり
4 中期防衛力整備計画
5 基盤的防衛力
6 外部リンク
7 脚注
8 参考文献
9 関連項目


概要 [編集]
1957年(昭和32年)の国防の基本方針の制定と同時に作成されるはずであった防衛計画の大綱は、当時の防衛をめぐる深刻なまでの国論の分裂状況により、そのまま放置され代わりに防衛力整備計画が進められることとなった。しかし、回を重ねるにつれ増加する防衛費に世論は不安感を抱き、自衛隊内部でも正面装備優先で後方装備の遅れを指摘する声が上がっていた[1]。さらに1972年から始まった第4次防衛力整備計画はオイルショックとインフレーション、それに伴う大不況の影響を受け計画達成が困難となり、昭和51年度(1976年)予算では積み残し問題がでるのは確実であった。

このような情勢下でポスト4次防の問題もあったが、1976年10月に坂田道太防衛庁長官は昭和52年度以降の防衛力整備計画の具体的構想を長官指示でだす。これは「平和時の防衛力の限界」の上限を示す必要最小限の防衛力、すなわち「基盤防衛力」を明示するものであった。これまでは周辺国の軍事力に対応して所要の防衛力を整備していたが、平時の上限を示す方針への切り替えであった。これに対し制服組は有事即応の度合いが低下するとして不満があった。この構想は、第2次防衛力整備計画で総額1兆1635億円、第3次防衛力整備計画で2兆3400億円、第4次防衛力整備計画で4兆6300億円のペースでほぼ倍増していたこと、高度経済成長に蔭りが見え低成長の経済情勢の下ではかえって長期的な見通しが立ちにくくなったことが理由であった[2]。

昭和52年度以降に係る防衛計画の大綱について [編集]
三木内閣改造内閣は、ポスト4次防では期間計画方式から単年度計画方式に変更し、5次防は策定しないとし、代わりに昭和52年度以降の防衛の指針として防衛計画の大綱を定める事となる。そして1976年(昭和51年)10月29日に国防会議および閣議で決定された。

内容としては、それまでの4次にわたる防衛力整備計画で整備された装備などは正面装備に重点が置かれ、後方支援部門は停滞したままであった。このアンバランスの是正や、世論及び経済情勢などを考慮して拡大し続ける防衛力に一定の目安を示す事となる。これが「基盤的防衛力構想」として、独立国家に必要な最小限度の防衛力をより具体的に明示された条件としてあらわれる。

閣議決定の同日、経費に関する細部指針が決定される。これがGNP比1%枠となる。昭和52年度(1976年)から昭和54年度(1979年)までは単年度方式であったが、重視すべき事業に関して長期的視野に基づいた計画が求められ、防衛庁内に限る計画として1977年(昭和52年)4月に「防衛諸計画の作成等に関する訓令」が制定され、昭和55年度以降「中期業務見積り」が始動する事となる。

平成8年度以降に係る防衛計画の大綱について [編集]
1994年(平成7年)11月28日に安全保障会議および村山内閣の閣議で決定され、旧大綱は平成7年度限りで廃止された。

約20年ぶりとなる改定では、冷戦終結など国際環境の変化に対応し

基盤的防衛力構想の踏襲
日米安保が地域の平和と安定に寄与していることの再確認
大規模災害など各種事態への対処と安全保障環境の構築への貢献
を基本的考えとして、防衛力の見直しが図られる。規模はコンパクトに、質的にはハイテク化・近代化を、更に弾力的運用を目指す事となり、即応予備自衛官制度が設けられた。

平成17年度以降に係る防衛計画の大綱について [編集]
2004年(平成16年)12月10日に安全保障会議および第2次小泉改造内閣の閣議で決定され、旧大綱は平成16年度限りで廃止された。

約10年ぶりとなる改定では、大量破壊兵器の拡散や国際的テロリズムの激化など、前回の改定に比して国際環境の変化に応じ、抑止重視から対処重視に転換し、国際貢献活動を主体的・積極的に取り組めるよう基本任務に含まれる事が明示され、基盤的防衛力の有効な部分は維持したまま多様な事態に対応する事が求められ、即応性、機動性、多目的性を備えた防衛力を整備する事となる。これに伴い、2006年12月に海外派遣を通常任務とする改正防衛庁設置法・自衛隊法が成立し、防衛庁は防衛省に格上げされた。

2009年における改定の動向 [編集]
2009年、核実験やミサイル発射を行なう朝鮮民主主義人民共和国や航空母艦建造計画に代表される軍拡著しい中華人民共和国、軍事力が復調傾向にあるロシアなど日本周辺を取り巻く安全保障環境の変化への対応や、増加する国際平和協力任務に、自衛隊が予算と人員の不足に伴う縮小傾向のままでは対応しきれないとして、自由民主党が大綱改定の提言案を政府に提出する動向があった[3]。陸上総隊の新設や、武器輸出三原則の見直し、集団的自衛権の解釈変更などが焦点となっていた。しかしこの提言の実現は自民党政権の崩壊と民主党政権の誕生により棚上げとなった。

2009年8月の第45回衆議院議員総選挙において民主党政権が発足した。政権発足当初の9月、鳩山由紀夫内閣は防衛大綱の改訂作業に積極姿勢を示したため年内の改定を目指して作業が始まったが[4]、わずか三週間後の10月9日に改訂を2010年末まで1年先送りすると発表し[5]同月16日に正式決定した[6]。

2010年度の新防衛大綱の策定 [編集]
2010年2月18日、鳩山首相は自身が主催する「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」の初会合において、2010年度に策定される新防衛大綱の策定に関し「タブーのない議論をしてほしい」と要望した。北沢防衛相は懇談会において「装備産業の基盤整備をどう図るか議論してほしい」と武器輸出三原則の見直しを要望したことを明らかにした。武器輸出三原則の見直しは新防衛大綱に反映される[7]

大綱 [編集]
昭和51年に定められた大綱は以下の6項目からなる。

目的・趣旨
平時においては「十分な警戒体制」をとり、有事においては「限定的かつ小規模な侵略」までに有効に対処しえるを目標にし、またその防衛力を持って「災害派遣等」を通じて民生安定に寄与するように配慮する。
国際情勢
防衛の構想
侵略の未然防止と侵略対処に2つの構想を示す。

未然抑止については「いかなる態様の侵略にも対処しうる防衛体制」を構築し侵略を抑止、核兵器の脅威についてはアメリカ合衆国に依存するとした。
侵略対処については「極力早期にこれを排除する」とし、短期決戦・早期排除を日本防衛の戦略方針、軍事ドクトリンとした。
更に「限定的かつ小規模な侵略」に対しては独力排除を原則とし、それ以上の規模については「米国の協力」をもって排除するとし、独力では短期決戦、アメリカ共同では攻勢防御による早期排除をドクトリンとした。つまりアメリカ軍増援が到着するまでは自衛隊が一定期間持久することを前提としている。但し、アメリカ軍の到着が遅れた場合や二正面作戦になった場合「強靭な抵抗」をもって持久戦があり得ると想定した。
防衛の態勢
上記においての「限定的かつ小規模な侵略」に対処できる防衛力に必要な6つの態勢を明示。

「警戒のための態勢」 警戒監視、情報収集など
「間接侵略、軍事力を以ってする不法行為等に対する態勢」 ゲリラ・コマンド、騒擾および領空侵犯など
「直接侵略に対する態勢」 限定小規模侵略やそれ以上の規模
「指揮通信及び後方支援の態勢」 中央と各自衛隊の指揮通信システム、輸送や整備などの兵站活動など
「教育訓練の態勢」 自衛官の教育訓練や部隊練成など
「災害救援の態勢」
陸海空自衛隊の体制
上記の防衛の態勢を実現するための所要兵力、いわゆる「基盤的防衛力」の定め。

昭和51年度に示された分については限定・小規模侵略に対処する防衛力について基盤的なものとされた。

防衛力整備上の方針
中期業務見積もり [編集]
大綱が示されて以降、防衛力整備は期間計画方式から単年度計画方式に変更されたが、主要事業に関しては5年程度の見積もりが必要とされ防衛庁内部の参考との位置づけで中期業務見積もりが策定される。初回は1978年(昭和53年)に昭和55年度以降を対象とした「五三中期業務見積もり」が作成された。

以後、3年に1度の見直しを図るとして1981年(昭和56年)に1回目の見直しが行なわれ、これが「五六中期業務見積もり」となる。1984年(昭和59年)に2回目の見直しが行なわれ、これが「五九中期業務見積もり」となる。この59中業をもって昭和61年度から正式な政府計画とすることが決定され59中業は中期防衛力整備計画として改めて策定される。以後、政府計画として中期防衛力整備計画は大綱に定められる目標の達成を図ることとなる。

中期防衛力整備計画 [編集]
防衛力整備を防衛庁内部の参考である中期業務見積もりから、正式な政府計画として中期防衛力整備計画は1985年(昭和60年)9月18日に国防会議および閣議決定された。

計画は5ヶ年で進められ3年目に見直しが図られる事となる。 中期防衛力整備計画 (1986)を皮切りに中期防衛力整備計画 (1991) 、中期防衛力整備計画 (1996)、中期防衛力整備計画 (2001)、中期防衛力整備計画 (2005)の計5回立案されている。

基盤的防衛力 [編集]
基盤的防衛力とは平時に保有すべき「常備兵力」のことを示し、有事にはこれが初期戦力となる。基盤的防衛力では有効に対処できない中規模以上の侵略に対しては、必要量に応じて防衛力を拡大し、迅速に対応できる態勢を整えるとした。

基盤的防衛力の変遷 自衛隊 配備 1976年 1996年 2005年 2010年
陸上自衛隊 平時配備 12個師団
2個混成団 8個師団
6個旅団 8個師団
6個旅団 未定
機動運用 1個機甲師団
1個特科団
1個教導団
1個空挺団
1個ヘリ団 1個機甲師団
1個空挺団
1個ヘリ団 1個機甲師団
中央即応集団 未定
主要装備 戦車 約1200両
特科装備 約1000門/両 戦車 約900両
特科装備 約900門/両 戦車 約600両
特科装備 約600門/両 未定
海上自衛隊 基幹部隊 4個護衛隊群
地方隊配備 10個隊
潜水隊 6個隊
2個掃海隊群
哨戒機 16個隊 4個護衛隊群
機動運用 7個隊
潜水隊 6個隊
1個掃海隊群
哨戒機 13個隊 4個護衛隊群
機動運用 8個隊
地域配備 5個隊
潜水隊 4個隊
1個掃海隊群
哨戒機 9個隊 未定
主要装備 護衛艦 約60隻
潜水艦 16隻
作戦用航空機 約220機 護衛艦 約50隻
潜水艦 16隻
作戦用航空機 約170機 護衛艦 47隻
潜水艦 16隻
作戦用航空機 約150機 未定
航空自衛隊 基幹部隊 28個警戒群
要撃戦闘 10個飛行隊
支援戦闘 3個飛行隊
航空偵察 1個飛行隊
航空輸送 3個飛行隊
警戒飛行 1個飛行隊
地対空誘導弾 6個高射群 20個警戒群
8個警戒隊
要撃戦闘 9個飛行隊
支援戦闘 3個飛行隊
航空偵察 1個飛行隊
航空輸送 3個飛行隊
警戒飛行 1個飛行隊
地対空誘導弾 6個高射群 20個警戒群
8個警戒隊
戦闘任務 12個飛行隊
航空偵察 1個飛行隊
航空輸送 3個飛行隊
空中給油・輸送 1個飛行隊
地対空誘導弾 6個高射群 未定
主要装備 作戦用航空機 約430機 作戦用航空機 約400機
(うち戦闘機 約300機) 作戦用航空機 約350機
(うち戦闘機 約260機) 未定

外部リンク [編集]
平成8年度以降に係る防衛計画の大綱について
平成17年度以降に係る防衛計画の大綱について
脚注 [編集]
^ 黒川「近代日本の軍事戦戦略概史」P267-268
^ 藤原「日本軍事史 下巻」P202-203
^ MSN産経ニュース自民の防衛大綱提言の最終案、防衛費縮減の撤回を要求2009年6月2日
^ 防衛大綱、改定作業が加速…鳩山政権が積極姿勢 - 読売新聞 2009年9月23日
^ 防衛大綱見直し、来年末に先送り…政府方針 読売新聞 2009年10月10日
^ 読売オンライン防衛大綱の改定先送り正式決定2009年10月16日
^ 中国・北の脅威対処、新防衛大綱へ議論開始 2010年2月19日読売新聞
参考文献 [編集]
草地貞吾『自衛隊史1984年度版』日本防衛調査協会、1984年
藤原彰『日本軍事史下巻 戦後篇』社会批評社、2007年
黒川雄三『近代日本の軍事戦略慨史』芙蓉書房出版、2003年
廣瀬克哉『官僚と軍人 -文民統制の限界』岩波書房、1989年
田村重信・佐藤正久『教科書 日本の防衛政策』芙蓉書房出版、2008年
関連項目 [編集]
防衛省
国防会議
第1次防衛力整備計画
第2次防衛力整備計画
第3次防衛力整備計画
第4次防衛力整備計画
中期業務見積り
中期防衛力整備計画 (1986)
中期防衛力整備計画 (1991)
中期防衛力整備計画 (1996)
中期防衛力整備計画 (2001)
中期防衛力整備計画 (2005)
中期防衛力整備計画 (2010)
中期防衛力整備計画 (2011)
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E8%A1%9B%E8%A8%88%E7%94%BB%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%B6%B1」より作成
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最終更新 2010年4月3日 (土) 13:05