恋の方程式が解けません in goo

よくわからないまま引っ越してみた?

去年の暮れから 1

2024-04-08 22:00:32 | 日記
どうも。前回が去年の五月というね。

令和も六年ということで、最近、去年の暮れあたりからのばたばたを記しておきます。
多分、読むこともないとは思うけど、未来の自分に書こうと思ってます。文章的におかしいところがあるかもしれませんが、自分宛なんで御容赦くだされ!

去年の暮れ

 親父が亡くなった。後から思い当たるふしがないわけでもないが、突然の出来事だった。夕飯時に食卓のこたつに入ろうとした親父が、コロンと転がるように倒れた。母と自分が驚いていると、イビキをかきだした。これは!っと思い考える暇もなく携帯で119を押していた。
十年ほど前に、脳梗塞を患ってからは救急車にお世話になることも度々あったので、さほど慌てることもなく救急隊員さんたちにおまかせすることにした。少々、時間はかかったものの近所の市民病院が受け入れてくれたのでそこへ母と向かう。集中治療室へ入り、色々と検査などをしてもらっている間に看護士さんに入院する際の説明を色々と聞いていた。まあ、何度目かの入院なんでそこそこ省いてもらってもよかったのだけれど、一生懸命に説明してくれるので申し訳なくもきちんと聞いていた。色々と書類にも母と自分も記名したし、次の日以降の準備の段取りもしていた。それから、二時間、いや三時間は待っただろうか。検査を終えてお医者さんからの病状の説明を受けることになった。母も自分も結構疲弊していたが、この説明を受ければ一旦帰れるんだろうなーとは感じていた。集中治療室に通され、担当(当直?)の若いお医者さんに説明を受けることなった。少し離れたベッドで父は寝ている。
 父は、細菌性の肺炎だった。確かに、父の息遣いがヒューヒューと小さく音をたてることもあったが、自分たちは同じような高齢の人がいるので、勝手に老人になったときに出てくる症状なのかと思いこんでいた。若いお医者さんは、淡々とMRIなどの画像を見せてくれながら、これからの治療方針やいざというときの延命処置の程度などを話しながら、決めていった。かなり、危険な状態なので
覚悟は決めておいてくれと言われているように感じた。が、自分の中での防衛反応だと思うが、説明中に父をチラリと見てから、
「寝てるみたいやけど、意識はあるんですよね?」
 正直、もう聞きたくないが本音だった。脳みその処理能力がついていかなくて、拒否を始めた。と、今にしたらそう思う。
 「だったら、この会話、父にも聞こえてるかもしれないし、母もびっくりして疲れてるんで、話の続きはまた明日とかにしてもらえないですか?」
 明らかに、とりあえず、この場から逃げ出したいという想いでしかなかった。

 そこからは、帰宅して夕食で作りかけてたお鍋を食べたという記憶。まあ、初めての入院じゃないから、明日からのことは明日になってから考えよう。元気だそうってそこそこ気楽な午後十時。

床について、午前二時頃、電話がなっていた。数時間前までいた病院からだった。

つづく。