枚岡神社だより

河内国一之宮
枚岡神社の最新情報をお知らせしていきます

オガタマノキ

2010年10月13日 | 日記


御垣内、御本殿前のお堀の中に樹が植えられています。一殿二殿前(南側)には「」、三殿四殿前(北側)には「オガタマノキ」があります。
明治30年代頃までお堀の中に御本殿がありましたが、一段後方(東側)にお遷しされ、その際、社殿跡地に一対の「オガタマノキ」が植樹されました。
オガタマノキは、神様をお招きする神籬(ひもろぎ)とされ、「招霊」オギタマがなまってオガタマになったといわれています。当時の関係者の「社殿跡地」にたいする、特別な気持ちがあったことを伺い知ることができます。その後、南側の樹は何らかの理由で松に変わりました。





毎年、秋郷祭を行う今頃になると、実が熟してピンク色となって樹を鮮やかに彩ります。綺麗に熟してきましたが、今年は例年より少しだけ遅いようです。
このオガタマノ実の形を真似てつくられているのが「神楽鈴」です。よく神社で巫女さんが鈴を鳴らしていますが、あの鈴の原型はこのオガタマの実だといわれています。



オガタマの実は、鳥の大好物で、特にカラスがものすごい群れでやってきて食します。また、神職がお祭り前食す「潔斎食」にこの実を使う神社もあります。神職がかぶる黒い帽子「烏帽子」(えぼし)=「カラスぼうし」と書きます。おもしろいですね



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昔も今も

2010年10月12日 | 日記
ここのところ秋郷祭関連の記事が続きますが、今もあちらこちらから太鼓の音が聞こえてきて、氏子地区のお祭りにむけての心の高ぶりが感じられます。
多くの地区において、10月1日から毎晩太鼓の練習が行われ、主に小学生・中学生の子供達が太鼓を叩く練習をしていている様です。




昭和27年に生駒山の上から撮影された写真です。戦後の大変な時代の風景を写した貴重な写真です。





昭和27年の秋郷祭の写真です。上の写真は、太鼓台が参道を進んでいる様子を写したもので、、参道手前には豊かに実った稲穂が写っています。白黒なのでわかりませんが「金色」に輝いた稲穂だったことが想像できる秋祭りらしい一枚です。
その下の写真には、御神幸行列の様子が写されています。当時の神職が馬にのっている後ろに巫女さんの姿があります。いつの時代から始まったのかわかりませんが、今も尚この「巫女行列」が受継がれ、今年も行列に加わります。





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おまつり

2010年10月10日 | 日記
 
                    神津嶽から枚岡山


 神社には、社殿・拝殿等の建造物が建てられ、それらを取囲むように森(杜)があることが多いですが、社殿が建てられはじめたのが7世紀になってからといわれています。もともと社殿は無く」や「」など大自然の中のその場所そのものが神聖であり、神が依る場所、神が宿るところとして大切に守られていました。その神聖な場所でお祭りを行い、神様を依り代にお招きして、もてなし感謝を捧げることで、神様は喜び御神威が一層増して、人々はその恩恵をかがふることができ、そのお陰で人間が本来もつ元気な心と身体「元の氣」へ甦ることができると昔の人は考えていたのではないでしょうか。枚岡神社の第一殿御祭神である「天児屋根命」は、神話「天の岩戸開き」において、はじめてお祭りを行った神様であることから「神事宗源」の神様と称えられ、お祭りの大宗の神様です。
 
 もうすぐ行われる「秋郷祭」では、太鼓台を担ぐ中で発せられる氏人の感謝のエネルギーが太鼓の音に乗せられ、清浄な祈りとなって神の坐す(もり)に届くような気がします。また太鼓台の布団の四隅に「トンボ」と呼ばれる白い結びが付けられていますが、これは神の依り代そのもので、太鼓台に神を迎えるための神聖な部分であり、ここから太鼓台に迎えられた神様が氏人のエネルギーにより大きくなって元のに帰られると考えられたのではないかとも思います。いずれにしても氏人の清浄な祈りによって枚岡大神様はより大きな神様となり、人々はその恩恵をかがふる事ができるのでしょう。枚岡さんが神氣満ち満ちた神社であるのは、秋郷祭のお陰によるところも大きな要因なのではないでしょうか。



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大幟たてました

2010年10月09日 | 日記
昨日「のぼり」を立てました。幟に使うは毎年の方にお願いして切らせていただいています。10m以上の竹を峠から下ろしてくるのは一苦労ですが、綺麗な水をすって育った竹がいいのでご無理を願っています。



正面階段前の「注連縄掛柱」に一対、「参道入り口」に一対立てました。

 

 

毎年この「大幟」を立てると祭りだなぁ~とあらためて思います。


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枚岡山湧水

2010年10月09日 | 日記
枚岡神社境内の6割は「枚岡山」なる森林です。かつて御神域は40町歩余(約12万坪)あったとされ、神津嶽からの二尾根すべて境内でありました。明治の上知令を経て、戦後の諸事情によりその面積は約6分の1になりましたが、枚岡神社「神奈備」山であることには違いありません。この神奈備から湧き出る水は、古くより枯れることなく湧泉となり、御本殿周辺をはじめ境内を常に清らかにしています。出雲井地区・豊浦地区を流れている川の水源は、御本殿裏や御垣内「照沢池」の底から湧き出た清らかな自然水なのです。

  
 御本殿真裏から湧き出た水       鏡のごとく空や木々を映し出します

 
           両側と本殿真下を通り池に流れ込みます

 



三筋の流水。「・・・浦島太郎が玉手箱を開けると三筋の煙が立ち上がり太郎は鶴となって空に飛び立った。」という昔話がありますが、何か意味があるのでしょうか?考えすぎですね…

 

照沢池」お堀になっています。

昭和40年頃まで、家に水道や井戸がなかった氏子さん達が、この池の水を汲みに来られて生活用水にされていたと聞きました。



               枚岡梅林より望む

こんな時代には、お米を作るための農業用水としても欠かせない水であったでしょう。「自然の恵み」「神の恵み」と氏人達は感謝されたに違いありません。
」の有難さを忘れがちな現代にあって、枚岡神社の姿は「」を見直すべき基になるのではないかと思います。

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枚岡神社とは東大阪市の近鉄奈良線枚岡駅の東側にある神社で
河内国一之宮で由緒ある神社です。

秋祭りは【秋郷祭、しゅうごうさい】と言い、毎年10月14日、10月15日
に開催されます。

東大阪市の重要無形文化財に指定されている「注連縄掛神事」別名
『お笑い神事』が毎年12月25日に開催されます。

ぜひご参加下さい。

公式ホームページが
 → http://www.hiraoka-jinja.org/

gooでの枚岡神社ブログ
 → http://blog.goo.ne.jp/shinkimichimichi

交通のアクセスは
 → http://www.hiraoka-jinja.org/access/index.html

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枚岡神社秋郷祭本宮祭について

2010年10月08日 | 日記
本宮祭当日、午前5時に御本殿の御門を開門します。その後境内清掃、祭典準備を行い、朝の潔斎食をいただきます。
午前10時「秋郷祭本宮祭」を斎行いたします。祭典は大祭式で行い、修祓(お祓い)、宮司一拝、本殿御扉を開き、神饌を供し、宮司祝詞を奏上します。そして氏子総代が奉幣使として氏子を代表し氏子幣帛を献じて祭詞を奏上します。神楽奉奏、宮司・奉幣使、参列者が玉串を奉り拝礼、神饌を撤し、御扉を閉じ、宮司一拝で本宮祭をとりおさめます。
秋の実り、秋の収穫は大神様のお陰と感謝を捧げ、御神威益々の高揚をお祈りいたします。










午前9時から鶏鳴殿にて、お稚児さんの受付並びお化粧着付けが始まります。
化粧着付けを済ませたお稚児さんは、12時30分参道広場に集合し御祓いを受けて行列出発に備えます。



  

午前11時より参集所にて、御神幸行列供奉者の受付並び着付けを行います。
12時30分「御神幸祭」を斎行、御神輿に御神霊を御遷し、御神幸行列を行います。















氏子地区を御神輿が渡御した後、神社に還幸し「還幸祭」を斎行、御神霊を御本殿に御遷しいたします。(午後2時半ごろから)

行列渡御の後を追うように、午後2時頃「一の鳥居」より太鼓台・地車の宮入がはじまります。一の鳥居宮入からは台車を使わず、すべて担いで参道をあがっていきます。距離にして約1㎞、何も持たず普通に歩くだけでも息が上がる勾配で、尚且つ狭い道路を練り担ぎ上がってくる太鼓台を見ると、氏人の心意気に感動を覚えずにはいられません。

昨日に同じく午後4時前、二の鳥居からの宮入がはじまります。

午後3時氏子地区各老人会の皆様を招待し、御神前で正式参拝後参集所にて直会を開き観覧席で太鼓台宮入をご覧いただきます。


社報最新号(秋郷祭)です。 ※画像をクリックすると拡大されます。





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枚岡神社秋郷祭宵宮祭

2010年10月07日 | 日記
先日より各地区の太鼓台や地車を紹介してきましたが、今日は神社を中心とした「秋郷祭」について紹介したいと思います。
10月14日午後2時半「宵宮祭」を斎行いたします。氏子総代・崇敬会・敬神婦人会・氏子青年会・神社関係者又ご来賓の皆様ご参列のもと、御神前において明日秋郷祭斎行の由を大神様に申し上げ恙無くご奉仕できること、氏子が感謝を込めて太鼓台を担ぎ宮入を奉仕すること、又無事にお祭りをおさめられる様にと祈りを捧げる祭典を行います。













祭典終了後「鶏鳴殿」で直会を行い、引き続き、ご来賓の方々には観覧席より太鼓台宮入をご覧いただきます。


宵宮祭当日の朝は、太鼓台・地車運行安全清祓奉仕のため、神職が手分けして各地区へ出向いたします。
また、午後1時から氏子総代(各氏子地区の代表)が参集し「御神輿」の飾付が行われます。


鳳凰の口には氏子より奉納された「新穀」(稲穂)が取り付けられ、明日の「御神幸祭」(神輿渡御)に備えられます。

午後4時前、二の鳥居より太鼓台が各地区順番に宮入をはじめます。宮入がおさまった地区毎に、拝殿前にて地区役員はじめ担手の皆さんの参拝奉仕と太鼓台のお祓いを奉仕いたします。地区によってはこの後お神楽を奉納されますので随時奉仕いたします。



太鼓台宮出が終了する午前0時過ぎ、御本殿の御門を閉門します。神職は「参籠」精進潔斎し翌日の「本宮祭」を迎えます。

つづく

太鼓台御守りなど

2010年10月05日 | 日記
秋郷祭まで後10日となりました。夜はそこかしこで太鼓を叩く練習の音が響き、氏子の皆様の心も浮き立っておられるようです。
 社頭では、秋郷祭の太鼓台に因んだ御守りを授与しております。ご縁のあった御守りをどうぞお受け下さい。

★太鼓台ミニ絵馬御守(房色:黄・赤・白・紫) 

 

★太鼓台御守(左:大、右:中) 

 

★太鼓台御守(小 布団締め:金・白) 



★担手守 

(太鼓台を担ぐ方の安全をご祈願したお守りです。)



他にも秋郷祭の2日間、数量限定の太鼓台ミニチュアもございます。

★太鼓台ミニチュア(上:2基セット 、下:1基 布団締め白・金 )

 










松原地車

2010年10月04日 | 日記


松原地車です。松原地区は英田地区内ですが、古くより枚岡神社の氏子であり、明治5年には松原の鎮守神社「春日神社」「八幡社」が枚岡神社に合祀されており、今も枚岡神社の氏子地区です。
現在の地車は、昭和53年に淡路島から購入された地車です。高さ4m以上あり、近鉄奈良線ガードをくぐることができないため、宮入せずガードより手前まで曳行し帰っていました。近年は参加者人員不足の傾向があり、秋郷祭前の土曜日・日曜日に地元を中心に曳行を行っています。曳行前の地車運行安全祈願祭には当社より出向奉仕しています。そして、秋郷祭当日には、松原氏子より奉納された松原地車1/10模型御神輿模型を御神前に配し、地元関係者が毎年ご参拝されています。

    




四條太鼓台並び地車

2010年10月04日 | 日記


四条太鼓台です。四条地区には、大太鼓1台、小太鼓4台、地車1台があります。大太鼓台は、およそ百数十年の歴史を持つ大阪型のオンダイコです。特徴は、太鼓のかがみが三尺三寸あり、打ち鳴らす音は境内の人々の心を魅了します。中垣には、かぶら形の紅提灯がつけられ、中に蝋燭の火を灯した姿は四條の歴史の古さが感じられます。長い歴史を刻んできた四條太鼓台は宮入のとりをつとめます。


          四條大太鼓



        四條棚林小太鼓台



  四條東小路小太鼓台



        四條末広子供太鼓台



        四條瓢箪山小太鼓台



        四條親友会地車



河内太鼓台

2010年10月04日 | 日記


河内太鼓台です。河内地区には大小2台の太鼓台があり、特徴は大太鼓、小太鼓ともに、奉納される太鼓台の中で唯一四つ房が四隅から欄干のギボシの下まで提げられていることです。かがみには河内地区四町の名前も入れられ、正面には保存会会長の住む町名が入ります。また、前後の胴締めのつけが長いのも特徴です。小太鼓は末代まで受継がれるようにと、土台は上質の欅で組んであります。





            河内小太鼓台

客坊太鼓台

2010年10月03日 | 日記


客坊太鼓台です。客坊には、大小2台の太鼓台があり、大太鼓の特徴は重心が下にあり、バランスのとれた大阪型の布団太鼓であることです。彫物も素晴らしく、狭間4面は退治者、また高欄には十二支が彫られています。縁葛の下にも力神の彫刻があり、さらに布団台、虹梁、架木には黒檀がつかわれ、金物には透かし彫がなされています。先代の大太鼓は約100年前から受継がれてきましたが、昨年大太鼓が新調されました。担手の法被にも特徴があります。




            新調時の写真


五条太鼓台

2010年10月03日 | 日記


五条太鼓台です。五条太鼓台は、大太鼓、小太鼓ともに大阪型の太鼓で、大太鼓は平成16年に大改修、小太鼓は平成14年に新調されました。大太鼓の舞台柱の上にある「ざくろ彫り」、狭間の「一刀彫」の彫刻が特徴です。また、担ぎ方では、とんぼに付いている房、布団に付いている房が風にそよいで一定方向に揺れる稲穂のように担ぐのが特徴と云われています。




喜里川太鼓台

2010年10月03日 | 日記


喜里川太鼓台です。喜里川太鼓台は、全国で唯一「銀糸の龍」をあしらった布団締めをつけ、その手には「水晶」を握っています。また隠し額には、一枚板から彫られた般若の面がつかわれ、布団の下に位置する彫物は川原啓秀作の三段彫りになっています。小太鼓は総欅作りで一部唐木、最高級といわれる紫檀材を使用しています。名工岸和田の木下けんじ氏による彫刻で、布団台は七福神と唐子遊び、狭間部は前後竹虎、左右は唐獅子牡丹で仕上げています。








枚岡神社とは東大阪市の近鉄奈良線枚岡駅の東側にある神社で
河内国一之宮で由緒ある神社です。

秋祭りは【秋郷祭、しゅうごうさい】と言い、毎年10月14日、10月15日
に開催されます。

東大阪市の重要無形文化財に指定されている「注連縄掛神事」別名
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豊浦太鼓台並び地車

2010年10月02日 | 日記




豊浦太鼓台です。豊浦地区には、地車1台、親太鼓1台、小太鼓2台があります。親太鼓は土呂台から布団台にかけて随所に細かい彫が施されています。枠組みは大音(だいおん)八尾服部川作で、彫刻は淡路の名工「松田正幸」師作で、大変価値のある太鼓台です。




豊浦地車です。緻密な歴史絵巻の彫刻が施されていて、特に目を引く大屋根右下桝合の「夫婦麒麟」は一見の価値ありです。
祭の両日期間中、二ノ鳥居参道入り口西側に据えられ、全ての地区の太鼓台宮入を見守ります。