~エピローグ1~
「やっと終わったぜ……」
私は、『ブランコで首を吊った男』の執筆を終え、大きく伸びをする。
原稿用紙で三百一枚。そこそこの長さだ。
私の初のホラー小説が、今ここに完成したのである。
ひと仕事終えたような気だるさを感じ、その日はゆっくり休んだ。
明日は、前から彼女が言っていたもの凄い霊媒師のところへ行く予定だった。
霊など何も見た事ない私が、よくもまあこんなホラー小説を考えながら書けたものである。
我ながら、素直に感心した。
後編の主人公早乙女には、私の霊に対する興味本位な性格をプレゼントしたので、非常に書きやすく、サクサクと執筆も進んだ。
今付き合っている彼女も、早乙女の彼女役である美和のモデルになっていた。
あいつは、妙に勘が鋭い時がある。
そんな彼女が、ある霊媒師のところへ行こうと言い出した時は、ビックリしたものの、楽しみでしょうがなかった。
時計を見ると、夜中の二時を回っている。
「草木も眠る丑三つ時ってか……」
明日、寝坊したら大変だ。
私は大人しく布団へ横になり、目を閉じた。
今私は、例の霊媒師のところへいる。
見掛けは単なるそこら辺にいる太ったおじさんだ……。
過度な期待をしていた分、ガッカリしていた。何かしら面白い事があるかもと思っていたが、この分では期待できない。
彼女からこの霊媒師は先の事まで丸見えだと聞いていたが、どう見ても胡散臭い。
とりあえず、自分の執筆した『でっぱり』と『ブランコで首を吊った男』を印刷し、製本した状態で持ってきた。
私の作品が今後、どうなるのか知りたかったからである。
「あの~、先生……」
「何ですか?」
「これ、見てもらえます? 私の執筆した小説なんですが……」
「ほうほう……」
「表紙の扉絵とかも、全部自分でデザインして描いたんですよ。私の小説、どうですかね? 世に出るべき作品だと思いますか?」
度の強そうな丸いメガネを掛けながら、霊媒師は私の小説をジッと見入っている。
「この『でっぱり』という作品…。何だか暖かいですね…。あなた、これはある人の為に書きましたね?」
「え……」
私の心臓は、大きな音を立てていた。
何でそんな事が分かるんだ?
「あなたの根っ子の部分が、この作品には伝わっていますよ」
「は、はぁ……」
実はこの『でっぱり』という作品を書くにあたって、ある人間を励ましたいという想いから、始めたものだったのである。
仲のいい先輩がいて、幸せな家庭を築いていた。
小さな可愛い子供と美人の奥さんに囲まれた先輩は、とても幸せそうだった。
ある日病気で子供が亡くなってしまい、美人だった奥さんはゲッソリ痩せてしまう。
見ていられないほどの痩せようだった。
私は近所で仲も良かったので、時間できる度先輩のところへ顔を出した。
馬鹿話でも何でもいい。
とにかく笑わせてあげたい……。
そんな想いから、この『でっぱり』の構想は始まった。
執筆を終え、印刷し本にする。
最初に先輩の奥さんにこの作品を見せた。
読んでいる内にまったく笑わなかった奥さんの口元がニヤけるのを確認した時、私はこれを書いて本当に良かったと心から思えた作品でもあった。
思ったより、この霊媒師は鋭い人なのかもしれないな……。
そのあとで霊媒師は私の処女作である『新宿クレッシェンド』を手に取る。
「これがあなたが初めて小説を書いたという処女作でしょうか?」
「ええ」
「ふむ……」
「どうかしましたか?」
「いや、近い未来かもしれないですが…。いいんじゃないでしょうか、この作品」
「…と言うと?」
「静かでクールな陰の作品なんですね」
「はあ? あの…、この作品をまだ読んでないですよね?」
「だいたい手に取れば分かりますよ」
「え……」
そう言って霊媒師は『新宿クレッシェンド』の表紙をジーっと見つめていた。
「この作品が陰なら、続編の『でっぱり』は陽。ふむ、表裏一体の作品に仕上げている訳ですね。陰の部分で己の過去を吐き出し、陽でフォローに回っている」
「……!」
私は言葉を失っていた。
何でこの人は、作品を読んでもないのにそんな事が分かるんだ?
心の奥底に眠っていた過去の忌々しい記憶。
それを私はこの『新宿クレッシェンド』の主人公である赤崎隼人で表現したつもりだ。
もし、この作品が世に出たとしたら、私はちょっとした罪悪感を覚えるであろう。
そういった事も踏まえ、続編の『でっぱり』は逆に明るくテンポ良くスムーズに書き、そして前作とのテーマを相対するものとして仕上げたつもりだった。
二つの作品を読んだのなら、まだ分かる。
しかしこの先生は本を手に取り、表紙を見ただけなのである……。
徐々に恐ろしささえ感じていた。
「では、先生…。この『ブランコで首を吊った男』はどうです?」
昨日、完成したばかりの作品を手渡した。
先ほどの陽気な表情とは打って変わり、難しい顔をしだす霊媒師。
「あなた、これ…。本物のホラーを書いたんですね……」
「はぁ?」
何が言いたいのか分からなかった。
これは私が閃いて、初挑戦したホラー小説である。
構想からキャラクターまですべて自分で考えたものだ。
それを本物のホラーとは、まるで意味が分からない。
「お言葉ですが、この作品は私が、一から最後まで考えて作ったものです」
「あれ、分からないで書いていたんだ?」
「は?」
「あなた、これ…、ある霊の力を借りて出来上がった作品ですよ」
「何を言ってんですか? これは自分ですべて考えた作品です!」
いきなり何て事を言い出すのだ。
さすがに私はイライラしていた。
「この作品のタイトル…。すごいこだわりがあったでしょ?」
「『ブランコで首を吊った男』ですか? それはありますよ! でもですね、他の作品のタイトルだって同じようにこだわりありますよ。自分自身が生み出したものですからね」
「う~ん、私の言い方が分かり辛かったか~。言い方変えるけど、じゃあ何で『ブランコで首を吊った男』なの?」
「そんなのは読めば分かりますよ!」
「いや、そうじゃなくてね…。何であなた、首を吊るのにブランコなんだって?」
「えっ……」
「普通に首を吊るとしたら、どこを連想します?」
首を吊る場所……。
それでパッと普通に思いつくのが木の枝や、部屋の天井などだった。
「あっ……」
「普通、ブランコでなんて連想は出てこないですよ?」
「……」
「それにね、この扉絵…。普通、ブランコって言ったら、一人乗りのポピュラーなものを思うでしょ?」
「ま、まあ……」
「何であなたは、この扉絵のブランコ、二人乗りの向かい合うタイプにしたの?」
「わ、分かりません…。何の意識もせず、普通に違和感なく描いてました……」
「過去を振り返ってごらんなさい」
振り返る必要など何もなかった。
私は、過去の忌々しい記憶を思い出していた。
家のすぐ近所にあった蓮馨寺。
今考えると不思議な寺で、境内にゲームセンターがあり、ブランコやジャングルジムなどがあった。
当時松本清張原作の『鬼畜』の撮影シーンにも使われ、その時の背景は未だ映画の中に映像として残っている。
幼き頃、弟とそのお寺で二人乗りのブランコを向かい合わせで漕いで遊んでいた。
やっている内に物足りなさを感じ、二人とも立ち漕ぎでブランコを漕ぎだす。
もの凄い反動がついた時、弟がブランコから放り出された。
ブランコの軌道上に落ちた弟。
その額目掛け、非常にもブランコは弟に向かう。
「ギャー……」
恐ろしいほどの恐怖に歪んだ悲鳴と、おびただしい出血。
弟は、額に五針を縫う重症となった事がある。
調子に乗って漕いでいた兄である私のせいだった……。
その後、そのお寺では自然と遊ばなくなっていた。
私が中学生に上がる前だっただろうか。
その二人乗りのブランコで自殺があったと噂で聞いた。
その事件以来お寺にあったブランコは撤去され、今では桜の木が埋まっている。
「灰色のスーツを着たサラリーマン風の男性…。なるほど…。あなたに自分の存在を書いてもらい、世に知ってほしかったんだね……」
「えっ?」
「まあ、あなたはいい事をした訳ですな」
「あ、あの~…、先生って『ブランコで首を吊った男』、読んでないですよね? 表紙を見ただけですよね?」
「ええ」
「じゃあ、何で灰色なスーツの人って分かるんですか?」
「ああ、それは今さっきあなたから、その人が離れたのを見たからですよ」
私は『ブランコで首を吊った男』の冒頭の部分を思い出していた……。
目の前にサラリーマン風の男がいる。視線は地面のどこか一点を見据えているようで、僕などまるで視界に入っていないみたいだ。
その男は、全身の力が抜けたかのように両腕をダランと垂らしていた。頭の上に見える紐。その紐を上に追っていくと、ブランコの上の棒にくくりつけてあった。
静寂に包まれた空間の中での異質な状況。
頭の中がどうにかなりそうだった。
僕はその場に汚物をぶちまけたかったが、懸命に堪えた。しばらく地面に座り込んでから、ゆっくりと男のほうへ振り返った。
グレーのスーツの男はブランコの場所で、こんな夜中に首を吊っていたのだ。
地面から三十センチほど宙に浮いた足。その足元には糞尿など様々な老廃物でいっぱいだった。異臭の元はこれだったのだ。
「……」
その霊媒師に対し、何の言葉も出なかった。
「まあ、あなたはいい事をしたんですよ。人助け…、いや、霊だから、霊助けってとこですかね」
そう言って霊媒師は、大袈裟に笑った。
私の体全身には、ブルブルと鳥肌が立っていた。
この作品を書くに当たって、メインの違う主人公を二人考えた。
一人は「亀田の章」に出てくる四十歳男の亀田である。
彼に関しては、とにかく自分にないものをと考えながら、気味の悪い男を書いていった。
こんなのがもし身近にいたら、嫌だな……。
女性が読んだら、気持ち悪いという作品にしたい。
相手が嫌がるには、どうすればいいだろうか。
そんな事を一生懸命考えながら執筆した。
逆に「早乙女の章」に出てくる二十三歳の早乙女は、女にモテるように設定し、亀田とは正反対のキャラクターとして考えた。
だが、それさえも私はブランコで首を吊った男に、書かされていたというのだろうか……。
私には、何が本当なのか、未だに分からないでいる。
~エピローグ2~
ふと『首吊り』という繋がりで、自分自身を振り返ってみた。
私が生まれる前、いやお袋が小さかった頃、お袋の親父つまり私にとっておじいちゃんだが、風呂場で湯船に浸かろうとして心臓麻痺を起こし亡くなったらしい。
幼い頃、私は母方のおばあちゃんからそう聞いていた。
小学校二年生の冬、お袋は俺を捨てて家を出て行った。
私が二十五歳の時、おばあちゃんが亡くなり密葬をすると聞いたので駆けつけた。
「ねえ、このおばあちゃんの旦那さんって若い頃、自殺したんでしょ?」
「うん、近所には黙っていたけど、そうらしいんだよね」
その時参加していた人たちが、小さな声で囁いていたのが聞こえた。
私は密葬が終わるのを待ち、その人たちに聞いてみる事にした。
「あの、すみません……」
「はい、何でしょう?」
「先ほどおばあちゃんの旦那さんが自殺って言ってましたが……」
「ええ、かなり前らしいけど」
「本当に自殺だったんですか?」
「ええ、自分で首を吊って亡くなったらしいわ」
「……」
ここでも『首吊り』……。
「ちょっと、この子、お孫さんでしょ? 余計な事言わないほうがいいわよ」
もう一人のおばさんが小声で私に聞こえないよう話をしていた。
何故おばあちゃんは、生前私に心臓麻痺だなんて誤魔化して言っていたのだろう。
湯船に浸かって心臓麻痺だなんて、滅多にないはずだ。
幼いながら不思議にずっと思っていた事でもあった。
この人たちの噂話を聞き、見た事もない母方のおじいちゃんは首を吊って亡くなったんだと感じる自分がいた。
思い出せば、おばあちゃんは一度だって私におじいちゃんの生前の写真を見せてくれた事がなかったのだ。
自分の身内が自殺だなんて、孫に言えなかったのだろう。
そう思うと、秘密を一人で抱えながら亡くなったおばあちゃんがとても不憫に感じた。
おばあちゃんが亡くなってから十年以上経つ。
私は整体を開業し、日々患者さんを施術していた。
ある日、よく来る常連患者さんと酒を飲む機会があり、色々とお互いの事を話し合った。
その患者さんは、私よりひと回り上である。
しかし生活感がまったく感じられなかった。
ちょうどいい機会だと思い、結婚をしているのか聞いてみた。
「そういえば、波田さんってご結婚されているんですか?」
「あ、私ですか。実は今、独り者なんですよ」
実は今という言い方が妙に引っ掛かった。
「失礼ですが、離婚されたっていう事でしょうか?」
「……」
波田さんはそこでしばらく黙ってしまった。
「すみません。失礼な事を聞いてしまって……」
「いえ、実は女房、自殺してしまったんですよ」
「……。そうだったんですか……」
波田さんは、とても暗い表情になっていた。
当時を思い出しているのだろうか?
深い悲しみ。
それは私がいくら考えても到底及ばない。
沈んだ瞳は、辛さを物語っていた。
「普通に仕事して帰ってきたら、部屋で首を吊っていたんです……」
そう言って波田さんは黙々と酒を飲み続けた。
波田さんと知り合った同時期に、ネット上を通じて知り合いになった小説家がいた。
その人も偶然な事に波田さんと同じ年で、私よりひと回り年上である。
価値観が合うというか性格が似ているので、よくお互いの近況を話し合った。
不思議に思ったのが、奥さんの話がまったく出てこない点である。
失礼を承知で聞いたが、波田さん同様過去に奥さんが首を吊って亡くなったと、その小説家は静かに言った。
同時期に知り合ったひと回り年上の二人。
その二人とも、奥さんが首を吊って亡くなったという事実。
私はここまで書いて『首吊り』というキーワードが繋がっていくのが怖くなった。
『ブランコで首を吊った男』。
この作品は、どうやらこの辺で執筆をやめておいたほうがよさそうだ……。
私はそうしたほうがいいと本能的にそう感じ、この作品について関わるのをやめた。
後日、例の霊媒師から言われた事があった。
「まだ数年後でしょうけど、あなたはいずれ『天使の羽を持つ子』、そしてさらに先の話ですが、『神の棲む家』という作品を書くでしょう」
当然心当たりはあった。
己の過去を振り返り、自分と向き合う為の作品が『天使の羽を持つ子』。
本当のテーマは私の根底に深く根付いている憎悪の浄化である。
以前この題名で作品に挑戦した事があったが、原稿用紙四千六百十枚まで書きながら途中で頓挫した。
自分をテーマにしてしまうと、いくら書いたところでキリがない事に気付き、『新宿クレッシェンド』の続編である『新宿プレリュード』以降の作品などと話が被ってしまう恐れがある。
よって今は断念していた。
そして『神の棲む家』……。
過去二度に渡って輪廻転生をテーマに書いてみた事がある。
一つは『群馬の家』であり、原稿用紙百五十二枚まで書きながら何故か途中で断念。
次に『その先に見えるもの』と題名を変え、原稿用紙で九十二枚まで書くも、今の自分ではまだこのテーマを書くには早過ぎると感じ、また断念する形となっていたのだ。
まだまだ他の作品を書き続けている内に、自然とこの二作品は勝手に生み出されるのだろう。
そんな気がする。
いずれにせよ、『天使の羽を持つ子』と『神の棲む家』は、まだ今の俺では完成までもって行けないのだ。
まだまだ精進が必要である。
ここまで書いて原稿用紙三百十三枚。
更新した日時は三月十三日……。
奇妙な偶然に、妙な薄気味悪さを覚えた。
何か嫌だな……。
私はもう少しだけ加筆する事にする。
現在、霊媒師のところへ行った彼女とは別れ、今も俺は小説を書き続けている。
そんなある日、幼馴染の同級生とバッタリ出くわした。
その幼馴染と食事へ行った時の事である。
「ねえ、岩上。あなたの従兄弟で○○さんっていたでしょ?」
「ああ、それが?」
「私さ、○○さんが岩上の従兄弟だなんて子供の頃知らなかったんだけどさ。変な噂を聞いたの」
「噂? 何の?」
「いや、ちょっと言いづらいんだけど……」
「何だよ? ここまで言っておいて」
「いや、○○さんの…、あ、岩上のおばあさんでもあるんだっけ。その旦那さんの話なんだけど……」
「……」
幼馴染の話を聞いた俺は非常にショックを受けた。
またこれで一つ何かが繋がった。
そんな気がする。
ここでそれを書こうとは思わない。
この話は俺が心の奥底にしまっておき、墓場まで持っていく事にしよう……。
もうこれ以上、この作品に関わるのはやめたと決めたはずである。
やるせなさを感じた。
この後、余談ではあるが、私の処女作である『新宿クレッシェンド』は、霊媒師の予言した通り、二千七年の夏に『第二回世界で一番泣きたい小説グランプリ』を運良く受賞し、現在全国書店やインターネットにて発売されている……。
本当に怖い作品……。
そんな小説を書いてみたかった。
そして完成した今……。
この小説は曰く憑きの作品となりました……。
―了―
作者 岩上 智一郎
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