気が付くと、朝になっていた。
風呂から出てベッドに寝転がると、そのまま寝てしまったみたいだ。
鏡を見る。
まだ顔は腫れている。
俺は上司に連絡をして、会社を休む事にした。
一応美和にも伝えないとな。
携帯を手に取る。
「もしもし」
「おはよう」
「うん、おはよう」
「まだ、いまいち腫れが引かないから、今日も休む事にするよ」
「そう、大丈夫?」
「まあね。たまにはゆっくり休むのもいい」
「そうね。でも、私はさすがに今日は行かないと……」
「全然かまわないって、いってらっしゃい」
携帯を切り、再びベッドに寝転がる。
昨日一瞬だけ思いついた事。
それが何かはすぐに消えてしまったが、ずっと気になっていた。
うつ伏せになる時、顔の腫れている部分をかすり、痛みを覚える。
「いたたた……」
一昨日の二人組……。
ちくしょう。
痛みを感じるたびに、あいつらを思い出す。
もっと俺に力があったらな。
ん、待てよ。
そうだ。
俺は起き上がった。
昨日の事で、思いついた事。
それが分かったのだ。
例の公園の事だった。
近くにあのCさん(仮名)が、住んでいる可能性がある。
会って直接話を聞きたい。
そんな欲望があった。
待てよ、以前自殺した亀田。
あいつも確か、首吊りで亡くなったと聞いている。
何か繋がりがあるのだろうか?
俺のマンションと、あいつのアパートはすぐ近く。
その間に例の公園がある。
幸いに今日は一日暇だ。
亀田の住んでいたアパートへ行き、隣近所に聞き込みをしてみるのもいいかもしれない。
普通に考えて、亀田の自殺は不可解だ。
女には絶対に縁がない。
一生独身確定のオタク。
でも女を抱くだけなら風俗がある。
うちのデザイン会社と契約を結んでいた亀田…、金にはそんな困っていないはずである。
それだけの金をうちの会社は、あいつに払っていた。
亡くなった時、部屋に落ちていた一枚のパンティ。
前にも思ったがこれから自殺するような奴が、そんなところに放っておくのはおかしい。
いいチャンスだ。
あのDVDを見なければ、思いつかなかったと思う。
美和から聞いた防空壕の女の子の話。
そしてあの公園には近づかないでという忠告。
思い出すと少し気味が悪かったが、仕方ない。
亀田の件で探りを入れれば、何か不可解な出来事に遭遇するかもしれないのだ。
霊体験を俺はした事がない。
そんなんじゃ済まないって美和は言ったけど、やっぱり一度は経験してみたいのだ。
しかも家の近所でこんなネタが転がっているのである。
俺はワクワクした。
まだ、出掛けるには早い時間帯だ。
俺はソファーに腰掛け、時間が早く過ぎるのをそわそわして待った。
もう一度、『一般人投稿の不可解な映像』を見た。
俺は公園のシーンで何度も映像をとめ、丹念に画面を眺める。
うん、絶対にあの公園だ。
こんな近所で、不可解な事があったのである。
亀田のアパートは前に行った事があるので、場所は覚えていた。
時計は十時を回った。
もういいだろう。
俺は、マンションをあとにした。
まずは例の公園に行く。
親子連れが一組いるだけで、公園はシーンとしていた。四、五歳ぐらいの子供と、それを見守る母親。
俺が中へ入ると、母親が一瞬だけ、こっちを向く。
怪訝な目つきだった。
無理もない。
こんな時間帯に一人で公園に入ってくる男。
少しは警戒するだろう。
俺は、ブランコのそばに行きたかったが、やめておく事にした。
親子のほのぼのとした空間を壊したくなかったのだ。
公園を出て、亀田のアパートへ向かう。
どちらかというと、そっちのほうが興味あった。
小さな公園のすぐ目の前に立つ亀田の住んでいたアパート。
あのDVDに出演していた人妻も、この辺にいるのだろうか?
確か、亀田の部屋は二階だ。
俺は静かに階段を上がる。
二階に上がって左。
一番角部屋が、あいつの部屋だった。
軽く呼吸をする。
主のいない部屋をノックしてみた。
当たり前だが何の返答もない。
ドアノブに手をかける。
当然の如く鍵が掛かっていた。
亀田は、このドアを一枚挟んだ向こうのドアノブで紐をくくって首を吊ったのだ。
今、部屋の中はどうなっているのか?
表札も何もかかっていない寂れた部屋。
新聞受けのところにはチラシや封筒が、多数突っ込んである。
亀田の自殺後、まだ誰もこの部屋を借りていない証拠のように見えた。
さて、これからどうするか。
思いついてきたものの、他に方法がなかった。
何かしら、あると思ったのにな……。
廊下から、公園の風景を眺める。
先ほどの親子が、ブランコに乗り遊んでいた。
多分あの母親は、例のDVDを見ていないのだろう。
まあ当たり前か。
こうして亀田も、よく公園の景色を見ていたのか。
車通りも少なく静かなので、住むにはいい環境だ。
俺のマンションとすぐ近くなのに、全然違う場所に来たみたいだった。
この辺りの環境や空気が羨ましかった。
俺もこのような場所に……。
ん……!
待てよ……。
俺が亀田の部屋にもし、引っ越したらどうなるんだ?
不可解な首吊り自殺のあった部屋……。
目の前の公園……。
ひょっとしたら俺自身、霊体験ができるかもしれない。
心が躍った。
何でこんな事、今まで思いつかなかったんだろうか。
確かに亀田の住んでいた部屋というのは気持ち悪いが、業者に頼めばいくらだって綺麗にしてくれる。
そんな事よりも、まず霊体験できそうな条件が揃っているのが素敵だ。
隣の住民に、不動産の連絡先を聞いてみるか。
頭の中は、この自殺のあった部屋に引っ越したいという気持ちでいっぱいになっていた。
美和の言っていた忠告など、とっくに頭から離れていた。
とりあえずここを管理する不動産に連絡しないと……。
亀田の隣の部屋。
俺はインターホンを鳴らしてみた。
表札は『香田』と書いてある。
「はーい」
しばらくしてドアが開く。
俺は出てきた女を見て、初対面でないような気がした。
「はい、何でしょうか?」
どこかで会ったような気が……。
一体、どこで………。
「……」
「あの……」
うーんと、どこで会っているだっけ。
最近、会ったような……。
「あっ!」
髪を束ねていたが、俺には分かった。
出てきた女は、『一般人投稿の不可解な映像』に出演していたあのCさんだ。
あの不可解な公園の投稿者。
もちろん、向こうは俺の事など知る訳がない。
テレビのモニタを通して、こっちが一方的に知っているだけなのだから……。
何と切り出せばいいのだろう。
まさかこんな形でCさんと出会えるとは、微塵にも感じていなかったのだ。
俺はただ、Cさんの顔を見ているだけだった。
「あの、すみません…。何かご用でしょうか?」
「あ、はい…。すみません…。実はこのアパートに空き部屋があると、人づてに聞きまして…。それで実際の場所を確認に来ました。それで不動産に借りたいと、連絡をしたいと思いまして……」
適当にでっちあげた。
だが、Cさんは俺の話に顔をしかめている。
何かそんな変な事を言ったのだろうか。
「あ、あの…、どうかしましたか?」
「あなた、知らないんですか……」
「は?」
Cさんは、目の前にある公園を指差した。
「あの公園って、以前の事ですけど…。ブランコで首を吊り、自殺した方がいたんです」
「え?」
「まあ、こんな目の前で住んでいる私が、言うのもおかしいですけどね」
「いえいえ、そんな事はないですよ」
あの公園で本当に自殺があった……。
DVDの映像と、実際の公園を交互に考える。
あの映像を実は見たんですと、Cさんに切り出すべきか?
いや、それじゃ気味悪くとられるかもしれない。
やめておこう。
俺は、心の底から出る好奇心を抑えるのに苦労した。
知りたい。
何があったのか、とことん知りたい……。
「それに私たちの隣の角部屋……」
そう言ってCさんは、とても嫌そうに隣を見た。
「あそこ、隣の住人が、首を吊って自殺したばかりなんです……」
Cさんはそれだけ言うと、暗く沈んだような表情になった。
DVDで見た通り、本当に綺麗な女だ。
ただ妙な陰りが、美人さを台無しにしている。
確かに暗くなるのも無理はない。
自分の住むアパートのすぐ近くで、二回も自殺があったのだ。
金銭的に余裕があるなら、引っ越したいところであろう。
Cさんには子供がいた。
映像で見て、何となく顔も覚えている。
子供の教育上、どう考えたってここは非常に良くない。
それでもまだここにいるという事は、生活が大変なのかもしれない。
さまざまな苦労が重なり、Cさんの表情に陰りがあるように感じるのかもしれない。
「うーん、小さいお子さんがいるのに、環境が良くないですよね」
俺の台詞に、Cさんは奇抜な表情をした。
「な、何故、私に、子供がいたなんて分かるんですか?」
Cさんの声は、警戒を含んだ冷たいものになっていた。
しまった……。
頭の中で考えていた事と話している事の隔てを忘れ、つい口走ってしまったのだ。
当然、警戒するだろう。
初対面で、いきなりそんな事を言われては……。
「いえ…、あ、あのですね……」
「し、失礼します」
Cさんは気味悪そうにドアをバタンと閉めた。
何度インターホンを鳴らしても、Cさんは応対してくれなかった。
完全に俺を無視している。
こうなったら持久戦だ。
俺は真実が知りたいだけである。
霊体験をしたい為に……。
しばらく通路で待つ事にした。
もし、彼女が出てきたら、ちゃんとあのDVDを見たって話そう。
隣で自殺した亀田は、仕事の兼ね合いで知り合いだったという事も。
俺に対して抱いた誤解を解きたかった。
「香田さん、お願いします。話を聞いて下さい。香田さん」
表札に書いてある名前を見ながら、大きな声で呼び掛けた。
「お願いしますよ、香田さん!」
時計を見ると、十二時を回っていた。
俺はずっと同じ行為を繰り返す。
必死の呼び掛けにドアが開く。
Cさんの顔が見えた。
まだ、警戒を抱いた表情である。
「警察を呼びますよ」
冷静に言われた。
冗談じゃない。
そんな事になる為に、俺は来たんじゃない。
「待って下さい。落ち着いて…。話を聞いて下さい」
「……」
「『一般人投稿の不可解な映像』って、ご存知ですよね?」
用件をいきなり繰り出す事にした。
「……!」
Cさんの表情が、驚きの顔に変わる。
「この間、レンタルビデオで俺、それを借りて見たんです」
「……」
Cさんは無言だった。
かまわず続ける。
「俺、実はホラー系の事、大好きなんです」
「……」
俺の目をCさんは真剣に見ていた。
「あのDVDに映っていた映像。あれって、あの公園ですよね?」
俺は公園を指差しながら言った。
「自分もすぐ近くに住んでいたので分かったんです。まさか、こうしてCさんに会えたのは思いませんでした。それは本当に偶然です」
「そう……」
「ええ」
「見たんだ……」
下をうつむいたまま、静かに口を開くCさん。
「はい、見ました。それに驚かないで下さい」
「何を?」
「隣で自殺があった部屋。その人間を自分は知っているんです」
「え?」
「落ち着いて下さい。自分は現在デザイン会社にいます。仕事を発注していたのが、偶然にも、隣に住んでいた亀田さんなんです」
「そ、そうなの?」
「ええ、だから自殺したというのも、会社で人づてに聞きました」
「……」
「俺、亀田さんの担当の一人だったんです。不思議だったんです。彼が急に自殺したなんて…。何故か、不可解に思いました」
ドアが大きく開き、Cさんが通路に出てきた。
「ねえ、少し時間とれる?」
「はい」
「ここじゃなんだから、近くでコーヒー飲みながら話をしたいわ」
「はい、いいんですか?」
「うん、何かあなたなら、色々と話できるかなと思って……」
「すみません、Cさん……」
「Cさんはやめてよ。静香って名前があるんだから……」
いつもの喫茶店まで、何も話さずに黙々と歩いた。
聞きたい事、話したい事は山ほどある。
でも、頭の中で整理をしていた。
多分、静香もそうなのだろう。
色々なものが今、繋がろうとしている。
非常に俺はワクワクしていた。
喫茶店に到着して、コーヒーを注文する。
静香は紅茶を頼んだ。
「Cさん…、いや、静香さんって呼んでもいいでしょうか?」
「はい」
「どちらから先に話しますか?」
「どうぞ」
「分かりました。まず、自分から言います。DVDを見たというのと、亀田さんとは仕事の繋がりでというところまでは、話したと思います」
「ええ」
静香の顔を見ていて、不思議な気分だった。
昨日テレビのモニタで見た知らない他人が今、こうして目の前で俺と話している。
偶然とはいえ何かを感じた。
「何故、彼の死因が不可解かという点です」
「他殺だったとか?」
「それは分かりません。ただ、自殺はおかしいなって、素直に思ったんです」
「何故?」
「ま、まあ、女性には言いづらいですけど、ドアノブに紐をくくりつけて首を吊ったという点から言います」
「はい」
「普通、首を吊るとしたら、どこでと考えますか?」
「うーん、やっぱり天井とか、木の枝からとかじゃないかしら?」
「ええ、自分もそう思います。自分の身長よりも、高い場所からって思うのが普通です」
「うん、そうね」
「でも、彼はドアノブから首を吊りました」
「それはあの人は、体重も重そうだし、天井からっていうのを避けたんじゃないの?」
「その仮説もありますよ、もちろん。ただ、引っ掛かるのは次の事なんです」
「次?」
「たつ鳥あとを濁さずって、言うじゃないですか?」
「はい」
「普通、部屋で自殺するなら、身辺の整理ぐらいはすると思うんです」
「うーん、そうかも……」
唇を尖らせながら考え事をする静香の顔は、魅力的に映った。
「彼の部屋には、女物の白いパンティが一枚落ちていたそうです。床に……」
一瞬だけだが、彼女は体をピクッと反応させた。
「そこが不可解に感じるんですよ。確かに彼は男から見ても、女にもてないなって感じた人です。でも…、いや、だからこそなんです」
「だからこそ?」
「大抵の人は、亀田さんの事を容姿で気味悪がります。自分も正直に言うと、そう思ってました……」
「……」
「見掛けはどう見てもオタク。不快感を覚えるような感じです。本人は溜まったもんじゃないと思いますよ。見かけで判断しやがってと、いった感情もあったかもしれません」
「うん」
「だとしたら、自殺するとしても、そんなパンティとかは、最初に処分するんじゃないかなって…。そんなものがあったら、変態っぽく見られるの仕方ないじゃないですか?」
「そこまでの余裕が、なかっただけかもしれないじゃない」
「かもしれません。どうせ、死ぬんだから、どう見られてもいいという開き直り」
「ええ、私は隣で、少しは接してたから、多少、亀田さんの事は分かるわ」
静香の表情は、店に入った頃とは違っていた。
怒っているような、それでいて悲しみも感じさせるような表情。
何か、静香と亀田の間に合ったのかもしれない。
コーヒーと紅茶が運ばれてくる。
俺はそのまま、ブラックで一口飲んだ。
静香は砂糖を五杯も入れていた。
極端な甘党なのか。
それじゃ糖尿病になっちゃうぞ……。
初対面の女に対し、変な心配をしてしまう俺。
美和も俺に対していつもこんな風に思って忠告してくれているのかもな……。
「何か、亀田さんとあったんですか?」
「……」
静香は黙って唇を噛んでいた。
亀田と静香がセックスする想像をしてみる。
とてもじゃないが想像もつかない。
美女と野獣。
不釣合い過ぎる。
亀田が静香の私生活を覗き見。
リアルに想像できた。
亡くなった者を悪く思うのはいけないが、それでも亀田は変態という言葉がとてもよく似合う男だ。
「あなた、あのDVDを借りて見たって言ったでしょ?」
「ええ、それが何か?」
「あの子供の映っている映像。亀田さんが、私に持ちかけた事なの……」
「え……」
頭の中に一瞬の閃きがあった。
亀田があのビデオカメラをDVDに変換したとしたら、充分にあの映像は合成できるんじゃないか。首吊り映像を……。
「自分の子だから、楽しく見ていたわ。亀田さんの作ってくれたDVDは……」
「ええ」
「だから、あの首吊り死体みたいなものが映っていたのを見た時、あまりのショックに声も出ませんでした」
「分かりますよ」
「うちの主人にも、相談したけど取り合ってくれなくて……」
「亀田さんに相談したと?」
「ええ、彼は知らないと言ってました。そんなものが映っていたんですかと、逆に驚いたぐらいで……」
静香はこの時点で騙されている。
そう感じた。
でも、黙って話を聞く事にする。
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