岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

05 鬼畜道(始めの一歩編)

2023年03月01日 13時25分54秒 | 鬼畜道 各章&進化するストーカー女

 

 俺は詩織さんとのやり取りをしつつ、執筆全開モードに入る。

 多い時で、原稿用紙三百枚近く書く日もあった。この時は、もう人間じゃないような生活だ。食事、風呂をする時間など一切なし。睡眠時間も取らず、唯一部屋から出るのがトイレの時ぐらい。しかも一日一回しか行かない。携帯電話が鳴り、女性からの誘いがあると「今すぐ股を開いてやらせてくれるのかよ? それができなきゃ電話すんな!」と怒鳴りつけて切ってしまう。

 そんな生活をしながら二月に入ると、原稿用紙二千九百枚以上も書けていた。そして作品をケータイ小説サイトの『野いちご』へ、すぐアップする。

 この作業は読者に見せるという意味合いでなく、縦書きの文章を横書きでアップする為、じっくり自分の作品を見直すいい推敲となった。

 あれは文学じゃないという意見の多いケータイ小説だが、普通の小説が敵わない点が一つある。それは読む読者に対し、時間を与えるという事ができる点に尽きる。普段なら改行というものは、ある程度の文章がまとまって、次の展開へ繋ぐ際使うもの。しかし、そういった固定概念がケータイ小説にはない為、読み易くした結果だろうが、何度も改行を重ねるというものだ。

 ほとんどのユーザー(読者)が携帯電話からアクセスして文章を読む。読者は携帯電話の十字キーを下に押しながら読む行為。つまり、改行を何度も重ねる事で、作為的に読者へ、時間というものを与える事ができるのである。

 これでどういった副産物が生まれたかと言えば、自分で執筆した文章に目を通し、よく見るという事。ここは時間を与えようと自分で判断するぐらいだから、句読点の付け位置もおかしな点が分かるのだ。

 これほど効率のいい推敲の仕方もないだろう。それに長い物語を書く上で、あの時の設定はどんなだっけという部分も、インターネットを通じて簡単に調べる事ができる。

 でも生活のほとんどを執筆時間に費やし、ネット上へアップしながら推敲。この作業を毎日行うと、気がおかしくなりそうだった。

 ごくたまに外の空気を吸いに行き、金を遣って散財してみる。昔ならあれほど楽しいと感じたキャバクラへ行って若い女と話をしていても、「ああ、帰って作品を書かないと」と頭の中で思う自分がいた。

 テンションが高くなった状態で作品を書く俺は、世界最速の執筆速度を誇る自信がある。せっかく過去最大の執筆モードに突入したのだ。あえてそれを落とす必要などないじゃないか。

 何故俺は執筆を中断し、外へ出掛けたのかを考えてみる事にした。

 生まれる時も死ぬ時も一人で終わる人間の生涯。言い方を代えれば孤独に始まり、孤独に終える。人生とはその間を指すものなのだろうが、生きている間、何で人間は他人へ寄り添うのだろう。

 孤独に始まり孤独に終わるのは誰でも分かる事。では生きている間、その孤独を人間は忌み嫌うからこそ、人に接しようとするんじゃないか?

 つまり一人でいる事を無性に忌み嫌ったからこそ、キャバクラへ行った。それだけじゃない。携帯電話を持つ事も、インターネットを通じて詩織さんとやり取りしている事も、友人を誘い食事へ行く事すら、すべてが孤独を忌み嫌うがゆえの行動なのだ。

 人生の基本が孤独を嫌うという事実。おそらくそれが無の状態から始まる本能的なものではないだろうか?

 孤独を嫌い、人に接するのは本能。しかしそれを不用意に増やすと、社交辞令という余計な産物を生む。異性に接する場合、それが魅力的な女性だと、男は変に格好をつけようとしたり、お洒落なところで食事へ誘おうとしたりと欲が生まれる。最終的にはその女性を抱きたいからだ。だから人間は結婚し、子を生み、自分の種を育てるという事に趣を置く傾向にある。

 欲がなければ、子孫はできないし作ろうともしない。

 必要最低限の欲だけ持っていれば、人間争いもせず、平和に穏やかに暮らしていけるだろう。だけど欲というものは非常に厄介なものでもあり、人によってはいくらでも際限なく膨らんでいく。

 様々な欲が原因で争いも起き、今ほとんどの人が言うように世の中がおかしくなる。

 赤ちゃんを見ていると、欲というものがどういうものか、よく分かるはずだ。最初にできる事と言ったら、泣く事と目を閉じる事。つまり睡眠欲が生まれながらにして身についている。次に親が食べさせる事で、食欲が備わる。これに性欲を加えた三大欲求とよくいうが、睡眠欲と食欲に比べたら、性欲なんてまだまだ先の話だ。

 人間の基本は寝る事と食べる事。

 それ以外の欲に目を向けるから、どんどんおかしくなる。

 そういえば俺が新宿歌舞伎町時代、店に入ってきたばかりの新人を腹が減っていないかと、よく食事へ連れていった。あれも今なら何故そうしたのか分かる。寝る事は自然にできても食べていく事ができないから、仕事を探し歌舞伎町に流れ着いたのだ。その店の頂点にいた俺。親心で彼らの胃袋を満たした。じゃないと人間は生きていけないから……。

 ちょっと格好良く考え過ぎか? まあいい。過去の話だ。そうやって多少美化するぐらいがちょうどいいのかもしれない。

 社交辞令、あれは本当に無駄なものだ。その場をやり過ごす空返事をして結局何もしない。それに何の意味合いがあるのだろうか? 『神威整体』時代にしても、「今度行くから」と俺の顔を見る度言う人がいたが、一年間結局来なかった。『新宿クレッシェンド』にしてもそうだ。「今度買うからサインちょうだい」と同じように言うが、未だ連絡一つない。いい加減な人だなと俺は現在思っているし、その人が何か調子いい事を言ってきても、何一つ信用しないだろう。そんなつもりがないなら、始めから言わなきゃいいのだ。

 自分自身に置き換えてみる……。

 以前『神威整体』の看板を下ろした俺に、まだ診て下さいと施術を依頼してくる患者が数名いる。病院や他の接骨院、整体等行くように促すが、どこへ行っても体の様態が駄目で、酷い人になると一ヶ月仕事に行けない状態だと言う。面倒だが仕方なく俺は、そういった人たちの施術をごくたまに引き受けていた。

 病院に何度も行っても改善されない重症患者ばかりだ。困っている人を治したいから、整体を開業した。今はもうしていないが、その気持ちに変わりはない。俺じゃなきゃ治せないと頼られているのだ。

 家の中でスペースを作り、高周波を引っ張り出して患者の施術に当たると、あとで決まって家族からあんな場所で何をしているんだと文句を言われる。それがあまり患者を受けない原因となっていたが、それでも俺は患者を治すほうを優先した。

 患者も様々な職種の人が当然いるが、先日診た寿司職人で店長をしている人がいる。近所の後輩で双子の女の子がいたが、その片割れと結婚し、先輩である俺のところを紹介しれくれたのがきっかけだ。当初足を引きずりながら整体まで来たが、帰りは普通に歩けると笑顔で帰っていった。

 整体を辞めて二年以上、寿司職人の津田は、また痛みをぶり返し、重度の肩凝りと腰痛。症状が酷く一ヶ月間も店へ行けない状態らしい。

 指で触診し、患者の痛む箇所を聞いていく。左足外側に痛みが走る坐骨神経痛と判断した俺は、高周波を流れに沿って四点当て、徐々に電圧を強くしていく。その際指先で電圧の流れを変えるよう経絡を押し、手技二点療法も施す。高周波と手技の同時技を俺は、神威流三点療法と名付けた。ほとんどの患者の痛みをこの方法で改善できたからである。

「本当に楽になりました。ありがとうございます」

 深々と頭を下げる患者。その笑顔を見るのが好きだから、今でもこうしてたまに診ているのだ。

「先生、料金は」

「五千円でいいですよ」

「だって三時間は診てもらいましたよ?」

「そのぐらい診ないと治らないほど重症だったからですよ」

「まったく先生は変わらないなあ」

「だから整体を潰しちゃうんですけどね」

「また開業して下さいよ。あ、じゃあ、これ…、お釣りはいりませんから」

 寿司職人の津田は一万円札を取り出し、笑顔で渡してきた。

「申し訳ありません。では今度、津田さんのお寿司屋さんへお邪魔させていただきます」

「ぜひ待ってますよ」

 そう、津田を診たのが去年の暮れ。整体に来た時も、俺は同じような事を言っていた。二年以上経っても行っていない現実。社交辞令を嫌う俺自身が同じ事をしている事実に気付く。

 どうせ外へ出てキャバクラなどでくだらない金を遣うぐらいなら、一度でいいから津田の寿司屋へ行かないと……。

 時刻は夜の八時過ぎ。まだやっているかな? 俺は『鬼畜道~天使の羽を持つ子~』の執筆を中断し、外へ出掛ける事にした。社交辞令を使っていた自分が嫌だったのである。

 川越のクレアモール、旧サンロードと呼ばれた数キロほど真っ直ぐ一本道の商店街を歩く。このまま行けば東武東上線川越駅にぶつかる。そこにあるデパートのアトレ。そこの最上階にあるレストラン街に、患者である津田の寿司屋はあった。

 こんな俺の腕を信じて何度も整体に通ってくれた患者である。社交辞令にしない為にも、俺はそう感じたら動いてみよう。

 のれんを潜ると真正面のカウンターに津田の姿が見えた。彼は突然来た俺を見て驚いている。まさか俺がここへ客として来るなんて想定していなかったのだろう。

「お邪魔しちゃいました。えーと、ウイスキーのストレートと、チェイサー代わりにレモンサワーもらえます?」

「先生……」

「ひょっとしてもう営業時間終わりですか?」

「いえ、まだ一時間ちょっとありますんで大丈夫ですよ」

「じゃあ、飲み物はそれで、あとマグロをもらえますか」

「はい、すぐ握ります」

 出されたウイスキーを飲み、タバコへ火をつける。

 ギリギリ時間内に間に合って良かった。畳の席が左手にあるが、一組の客を除きあとは誰もいない。

「はい、どうぞ」

「すみません。自分、本当に申し訳ないんですが、マグロの赤身しかお寿司食べられないんですよ」

 おばあちゃんが生前、小学生の俺を寿司屋に連れて行ってくれたのが初めてだった。あの時食べさせてくれたマグロ。唯一食べられるネタである。

「全然構いませんよ。今日はどうしたんです?」

「いや、津田さんのところ、行く行くって社交辞令になっちゃっていたなあと思いまして」

「何を言ってんですか。先生も色々と忙しいでしょうし。ところで今、何をされているんですか?」

「先日携帯電話会社のドソアを辞め、今は失業保険をもらいながら、のんびり執筆していますよ」

「私としては、ぜひまた整体を先生にはやってもらいたいんですけどね」

「整体だと、逆に自分の首を絞めてしまうんですよね。あまり料金も取れないし」

「難しいものですね。でも、私はおかげさまでこうして仕事もできるようになりましたからね。また何か機会あれば、その時はよろしくお願いします」

「印税がたっぷり入ったら、ボランティア感覚でやりたいとは思っています。困っている患者さんを治すのは嫌いじゃないんで。まだ先の気の長い話になりますけどね」

「そうなるよう願っています」

 俺は何度もマグロを食べ、ウイスキーを流し飲む。カウンターのケースの中にあるサラダ巻きのサラダのようなものが目に入る。

「すみません、それってサラダですか?」

「ええ」

「海老とかそういう魚介類入ってます? 魚介類苦手なんですよ。寿司屋に来ておいて申し訳ないんですが」

「少しだけ入ってますが、味見してみません? それで大丈夫なら注文すれば」

「そんな…、悪いですよ」

「いえいえ、どうぞ」

 津田は愛想良くサラダを小皿に盛り、出してくれた。少しだけ箸でつまみ、恐る恐る口に入れてみる。うん、大丈夫だ。

「すみません。じゃあ、サラダを単品とサラダ巻きと、マグロをもらえますか」

「ハハハ、先生は本当にマグロのみなんですね」

 マグロだけで三人前は食べただろうか。さすがに腹一杯になってくる。そろそろ閉店時間だし、勘定をしてもらうか。

「遅くまですみません。そろそろお勘定をお願いできますか?」

「はい、ちょっと待ってて下さい」

 残ったウイスキーを一気に胃袋へ入れる。そういえば今年になって酒を飲むのも、これで二回目か。昔は浴びるほど毎日のように飲んでいたのに、今はそう飲まなくてもいられる。歌舞伎町時代新宿から帰る際、特急小江戸号の中でグレンリベット十二年をボトルごとラッパ飲みしていたあの頃。ずいぶんとムチャクチャだったなあ……。

「先生、三千と二百円になります」

「え? ちょっと待って下さいよ。マグロだけで三人前は食べているし、サラダも…。あとウイスキーとレモンサワーを三杯ずつ飲んでいますよ? そんな安い料金の訳ないじゃないですか」

「いえ、これでいいですから」

 こんなに安くしてもらったのでは顔向けできない。何度も押し問答をするが、津田はその料金でいいの一点張りだった。仕方なく俺が折れる事にする。

「気を使わせてしまい、本当に申し訳ありません」

「いえいえ…、先生、また自分の体の調子が悪くなったらよろしくお願いします」

「任せて下さい。ご馳走さまでした」

 何度も頭を下げながら店を出る。デパート内は蛍の光が流れ、人もあまりいない。

 外へ出るとまだ肌寒かった。黒のコートのポケットに両手を入れ、夜道を一人寂しく歩く。すれ違う通行人の顔は、ほとんどが酒を飲んで酔っているのか笑顔だ。二、三人のグループを見る度、俺は孤独だなあと実感する。

 地元川越でゆっくりするようになって約三ヶ月が過ぎた。

 その間、俺と関わりを持とうとする人間が何人いるか?

 中学時代の友人である岡崎勉ことゴッホと、飯田誠。先輩の月吉さん。今じゃ関わりがあるのはそんなもんだ。よく連絡あるのがドソアで同僚だった水崎。彼は俺と一回りも年が違うのに、何故か懐いている。礼儀正しい彼は俳優の仕事一本じゃ食っていけず、ドソアで生計を立てていた。何とかこの世の中で一気に浮上し、水崎を主演にできるぐらいの力がほしいものだ。

 四名だけか、実質よく連絡を取り合っているのは……。

 家の隣にあった小料理屋『よしむ』にいた長谷部さんは、自分の店を持ったが立ち退きに遭い、今じゃサラリーマンをしている。もうそろそろ会っていない期間が一年以上。久しぶりに電話でもしてみるか。

「お客さん、お一人でしょうか?」

 サンロードを歩いていると、客引きが声を掛けてくる。川越も変わったものだ。昔じゃこんな呼び込みなど考えられないぐらい固い街だったのにな。普段なら「邪魔だ」と蹴散らしているところだが、津田の寿司屋で丁寧に対応されたせいか機嫌がいい。

「おう、一人だ。キャバクラの呼び込みか?」

「いえ、お触りです。ちょっとどうでしょう?」

「ふ~む……」

 そういえばここ最近女との接触がないな。川越祭りの時、機長からスチュワーデスの子を紹介されたが、金があまりない状況の為、ほとんど連絡すらしていない。これだけ女と関わりがない時間を送っているのも珍しかった。

「よろしければどうです? 若い子いっぱいいますよ」

 たまには若い女の乳でも拝むか。性欲がなくなった訳ではないのだ。

「よし、行こう。但し、ワンタイムだけだぞ?」

「ええ、もちろんですよ」

「いくらだ」

「前金で八千円になります」

「ここで渡せばいいのか?」

「いえ、お店の中で……」

「駄目だ。おまえが今受け取れ。あとで清算って形にすると、ズルズル行っちゃうからな」

「でも……」

「何だ? じゃあ、行かないぞ?」

「分かりました。お預かりします。では、こちらへ」

 薄暗い階段を上り、三階へ。けたたましい音楽が鳴り響く店内へ入る。真っ暗な状態の中、チカチカ光るスポットライトが場内を忙しなく動き回っていた。

 俺は店員にアテントされ、席へ着く。目の前に小さなガラスのテーブルには、グラスを置くコースターと灰皿があるだけだ。

「お飲み物はどうしますか?」

「ウイスキーストレートで」

 三人は座れるソファーへ深く腰掛け、タバコに火をつけながら辺りを見回す。世の中不況のせいか客足もまばらだ。四人ぐらいしか客の姿が見えない。煙を大きく吐き出してから、運ばれてきたウイスキーに口をつける。

 遠くからほぼ下着姿の女がニコニコ笑いながら近づいてくるのが見えた。

「いらっしゃーい」

「ああ、どうも」

「やだ、お客さん、渋い」

 年齢は二十代前半ぐらい。茶髪で毛先だけパーマが掛かった感じの女は、仕事柄なのか妙に笑顔だ。とても綺麗な顔立ちをしている。昔ならすぐこの場で口説いていただろう。

「横、座っていい?」

「ああ」

「仕事は何をしているの?」

「プーだ」

「アッハッハ…、やだー、いきなり冗談言わないでよ~」

 女はツボに入ったのか、大袈裟に笑い転げている。本当の事を言っただけなんだけどな。

「そんなに受けるなよ」

「だって…、アッハッハ……」

 しばらくそのままにして、俺は酒を飲む事にした。

「やだ、お客さん。ウーロン茶なんか飲んじゃって。ちょっと一口ちょうだい。私、喉が渇いちゃって……」

「馬鹿、やめとけっ!」

 女が飲みかけのウイスキーへ手を伸ばしたので、慌てて止めた。

「何で?」

「飲んでもいいけど、絶対にブハッて吐き出すから」

 歌舞伎町でよくお触りパブへ行った時、このように俺の酒をウーロン茶と勘違いして飲む馬鹿な女が結構いた。口に入れて初めてウイスキーと分かり、みんなその場で吐き出すのだ。酒で服を汚されるのも嫌なので、何度かそのような体験をしてから止めるよう心掛けていた。

「ひょっとしてこれ、ウイスキー?」

「ああ」

「お酒強いんだね~。私、そのまま飲んでいる人、初めて見たよ。今日で何軒目?」

「まだここで二軒目」

「へえ、前はどこへ行ってたの?」

「寿司屋」

「いいなあ。私も行きたかった」

「そりゃ無理だ。だって今こうやって知り合ったばかりなんだから」

「お客さん、変わってるね」

 女は珍しそうにジロジロと俺を眺めている。

「何で?」

「だって席について、普通に話しているんだもん」

「他の客は違うの?」

「うん、ほとんどすぐおっぱいとか触ってくるよ。女の人に興味ないの?」

「なかったらこんな店に来る訳ないだろ」

「あ、そっか…。じゃあ、上に乗っていい?」

「好きにしろ。ただ、このタバコが吸い終わってからな」

「何か渋いなあ」

 お触りパブは、もちろんおっぱいを触る店である。ただ過去の経験から言えば、いkなりおっぱいにむしゃぶりつくよりも、自然体でいるほうが女の受けはいい。歌舞伎町の人気店『エンジェルキッス』。ワンタイムで四人も女が十分毎に入れ替わるあの店では、そのやり方で口説いていたら、四人中二人とプライベートでデートをし、ホテルで抱いた事がある。焦って行動するよりも、冷静でいるほうが得する事もあるのだ。

 俺がタバコを吸い終わるのを見計らって、女は「失礼しまーす」と俺の足の上に跨ってくる。

「お客さん何歳?」

「何歳に見える?」

「うーん、二十代後半」

「外れ、若く言い過ぎだ。三十八歳」

「えー、嘘?」

「嘘ついたってしょうがないじゃないか。君はいくつ?」

「二十三歳!」

「一回り以上も年下なのか。一番おいしそうな年頃だな」

「やだ~、何かすごくいやらしい言い方。ね、キスしていい?」

「ああ」

 女の顔がどんどん近づき、俺の唇に触れる。しばらくして女の舌が口内へゆっくりと侵入してきた。俺は舌先で女の動き回る舌を撫で、動きを止める。それから少しずつ舌を這わせ、女の口内へ入れていく。先を軽く上に丸め、女の歯の裏辺りを丁重に滑らせていった。

 思わず吐息を漏らす女。俺の手首をつかみ、自分の乳房へと持っていく。小気味良い柔らかな感触。時間を掛けてブラジャーの中へ指先を忍ばせ、優しく乳首を撫でた。

「あん…、お客さん…、すごいキスうまい……。感じちゃう……」

 女は一度顔を離し、俺に抱きついてくる。そして手が俺の股間に伸びてきた。

「すっごく固くなってる……」

「そりゃそうだろ、君みたいな美人な子がこんなに接近してんだから」

「興奮する?」

「もちろん」

 指先で乳首をつまむと始めに比べ、固く大きくなって女は身をくねらす。

「ねえ、お願い…。口で舐めて……」

 形のいい豊満なバストが目の前に来る。俺は無言のまま乳首へ舌を這わせた。

「あ……」

 熱い吐息が耳に掛かり、俺の首へ回している両腕に力が入る。乳首を軽く噛みながら、右手の指先で女のパンティを触ってみた。やっぱり本気で感じているのか、下着はビッチョリに濡れている。

 本来お触りパブでは、ディープキスと胸だけしか触ってはいけない。下はお触り厳禁なのだ。しかし、ついた女が黙認していれば、何の問題もない。二十三歳の女は、俺が指で触っているのを分かりながら、そのまま黙って身を預けていた。

「すごい上手……、感じちゃう……」

「じゃあ、このまま入れちゃっていい?」

 耳元でおどけながら囁く。

「駄目……。お店の中でしょ……」

「分かっているよ。言ってみただけだ」

「もう……」

 通路に従業員の姿が視界に映る。そろそろチェンジの時間か。さりげなく手を離し、女を隣へ移動させた。

「ねえ、指名してくれたら、今度いい事してあげる」

 耳元で囁く女。

「……」

 プライベートで会えば、口説き抱く自信はあった。こんないい女が誘いを掛けている。昔なら迷う事なくその場で指名していただろう。なのに何故俺は、こんなに考えているのか…、帰って『鬼畜道~天使の羽を持つ子~』の続きを早く書きたいと……。

 この女とプライベートで会うようになれば、夢中になるのを自覚していた。本音を言えば猛烈に抱きたい。だけどそれをしてしまっては、せっかく執筆モードに入った自分のテンションが一気に下がってしまう。

「失礼します。このみさん、お借りします」

 従業員が席まで来て、声を掛けてくる。その後ろには若い女が立っていた。この子が次に俺へつく女だろう。二十三歳のこのみという女は、俺をジッと見つめている。指名をしなければ、彼女は去ってしまう。考えている内にこのみは席を立ち、代わりに別の女がつく。ちょっともったいない事をしたなあ……。

「いらっしゃいませー、杏奈です」

 肉付きの良かった豊満な肉体なこのみとは違い、杏奈は体の線がとても細い。このみとはまた別のタイプの美人である。

「どうしたの? 私の顔をジロジロ見て」

「ん? いやあ、この店は本当に美人が多いなあと思ってね」

「やだぁ~、お客さんってうまいんだから」

 ビシャッと肩を叩いてくる杏奈。

「別にお世辞なんて言わないよ。これでも腐るほど女は見てきているし」

「またまたうまいなあ~」

「何歳なの?」

「十九っ!」

「ずいぶんと若いんだな」

「お客さんは?」

「三十八」

「うっそーっ!」

「嘘ついたってしょうがないだろ。どう見えようと、三十八年間生きている事には変わりはない」

「へー、私、年上結構好きなんだ」

「俺じゃ、年上過ぎるだろ」

「そんな事ないよ。同世代の男たちって、子供過ぎるんだもん」

 確かにこういう店で働いていれば、この器量なら月に百も二百も稼げるはずだ。同じ年の男なんて、青臭いガキにしか感じないだろう。

「ね、ね…、何をしている人?」

「うーん、書く人」

「何? 書く人って?」

「マスをかく人」

「もうっ! ねえ、上に乗っていい?」

「ああ、どうぞ」

 腿の上に乗ろうとした時、杏奈はバランスを崩す。

「おっと危ないな」

 咄嗟に肩をつかみ、体を支える。その時、指先の感触で分かった。

「ありがとう」

「なあ、おまえ…、相当凝り性だろ? 偏頭痛とかしてないか?」

 俺が尋ねると、杏奈は驚いた表情になる。

「えー…、何で分かるの?」

「今、指先で触ったから」

「何で触ると分かっちゃうの?」

「う~ん、前にそういう仕事をしていたからかな」

「ひょっとしてお医者さん?」

「違う違う。まあいいや…。おまえ、運動とか全然していないだろ?」

「そういえば全然していないかも…。何でそんな事まで分かるんですか?」

「まず指先で触った感覚だと、若いくせに血行が悪過ぎる。それと…、ほら、ここのところ押すと、痛みを感じるだろ?」

 話しながら杏奈の首周辺を触る。

「痛いです…。何かマズいんですか?」

 さっきまで気安く話していた杏奈の口調が、いつの間にか敬語になっていたのが妙に面白かった。

「いや、マズくはないが、だから肩凝りや偏頭痛あるだろって聞いたんだ。ちょっと上から降りろ。特別に診てやるよ」

「はあ……」

 彼女は不思議そうに隣へ腰掛ける。

「そうじゃない。背中を俺に向けろ。じゃないと診れない」

「あ、はい……」

 まずは肩の筋肉がある右脇の付け根の小円筋(しょうえんきん)を左親指で押さえる。

「これ、痛いか?」

「痛いです」

 相手の右肘より手首側にあるとう測手根屈筋(とうそくしゅこんくっきん)を親指で押さえ、その裏側にある部分、短とう側手根伸筋(たんとうがわしゅこんしんきん)あたりを残りの指で固定する。

「まだ痛いか?」

「あれ? 全然痛くないです……」

 痛いトリガーポイントを押さえながら、別の箇所の経絡を押し、痛みをなくす。その痛みをなくした部分を指先でマッサージしながら、悪い部分の凝りをほぐしていく。指先で相手の血行の流れを感じないとできない技だった。一分ほどその状態を続け血液の流れを良くする事で、悪い箇所を自然治癒させていく高度な技術。これを二点療法と呼ぶ。今は行方が分からなくなってしまったが、家の近所の整体の先生が当時俺に伝授してくれた手技の一つである。

 あくまでも二点療法は、指で押さえた部分の凝りしか治せない。だから少しずつ位置をずらし、徐々に悪い部分を緩和していかなければならなかった。

 次に鎖骨の上にある肩甲挙筋(けんこうきょきん)を左親指で押す。これはほとんどの人が痛がる場所でもある。

「い、痛い……」

 すぐ右の親指を除く四本指を大胸筋と腕の三角筋の繋ぎ目である部分へ押し込む。

「どうだ、まだ痛いか?」

「首の根元は痛くないけど、胸と肩の付け根のところが痛いです」

「こっちは我慢できないほどの痛みじゃないだろ? さっきみたいに一分もしないで楽になるから、ちょっと我慢しているよ」

「は、はい……」

 二点療法を行う際、視界は却って邪魔になる。神経を指先にだけ集中させる為、俺は静かに目を閉じた。左の親指だけで、彼女の血液の流れを把握しなければならないからだ。

 その部分の血行が良くなり、凝りが緩むと次は首の後頭部の根元である頭板状筋(とうばんじょうきん)を押し、最初に押さえた脇下の小円筋を押さえ、痛みをなくす。

 この三箇所を二点療法でやると、ほとんどの人の肩凝りや首周りがスッキリする。だが、あくまでもまだ右側の部分のみだ。

 簡易に凝りを解消させる最後は、背中の右肩甲骨へ、左手の貫手を体内へ差し込む。かなりの力を使う荒業であるが、仰向けに入れた指先を外側に向かって少し曲げ、徐々に奥へ進ませていく。そして体内から肩甲骨をつかむような形で外へ向かって引っ張っていくのだ。

 始めは痛がる人間も、時間と共に痛みは緩和していく。

 この荒業を終えたあと、受けた人間は背中に翼が生えたかのような軽さを感じられるだろう。

 ここまでで最低五分間の時間は要する。

「ちょっと首や腕を回してみな。楽になっているはずだ」

 杏奈は立ち上がり、クルクルと腕を回す。

「あれー、何で? すっごい肩とか首が軽いっ! 背中も張っていたのが、すごい軽い」

「少し魔法を掛けただけだ。まだ右側だけだけどな」

「本当にすごい! 左側もお願いできますか?」

「診るのはいいけど、おまえの乳を触ってからな」

 おどけながら言うと、杏奈はその場で服を脱ぎ、上半身裸になった。

「ええ、いくらでもいじって下さい。上に乗りますね」

 彼女の乳首を弄びながら、俺はふと思った。馬鹿だな、俺は……。

 診るのを理由に連絡先を聞き、プライベートで会ってやっちゃえば良かったのに。いや、それだとさっきのこのみのほうがどちらかといえばタイプだし、あいつの誘いを俺は無下にしているのだ。小説に集中したいが為に……。

 そう思っていたはずなのに、杏奈をデートに誘おうと考えているって事は、こっちのほうがタイプだと潜在意識が訴えているのか? 本当にそうか? 顔もスタイルもさっきのあんなのほうがいい。杏奈も美人ではあるが、俺にしてみればただのガキに過ぎない。でもこいつがやらせてくれるって言ったらどうする? やっぱ喜んで抱くよな……。

「ね、ね。左側もやってほしいなあ」

 一体俺はここへ何をしに来ているんだ? おっぱいを触る為じゃないのか。しかし二点療法を自分の体で味わってしまった杏奈だ。左側もやってもらいたいと思うのは当然だろう。

「あ、ああ…、じゃあまた俺の横に座れ。背中を向けてな」

 仕方なく先ほどと同じ要領で施術を開始する。十九歳と若いだけあって、血行の戻りも早い。しかしこの施術の欠点はすぐ凝りの緩和をできるが、これだけじゃ二、三日もすれば凝りが戻ってしまうという事だ。時間にして十分ぐらいしかしていないのである。日頃の不摂生が巻き起こす凝りの為、この程度の時間だと効き目は薄い。

 高周波もあり、患者がうつ伏せで寝られる寝台ベッドと環境がそろって初めて俺の本来の施術なのだ。

 杏奈は再び立ち上がり、上半身裸のまま「すごい、すごーい」と両腕をブンブン回しながら感動している。その度に小ぶりのおっぱいがプルンプルン揺れていた。暇な店であるが、他の客から見れば「こいつら何をしてんだ?」と思ってんだろうな……。

 だいたい俺は金を払ってお触りパブへ来ているのに、何故施術なんてしている?

「お客さま、そろそろお時間となりましたが、よろしければ延長をなさいませんか?」

 従業員が近づき、にこやかに声を掛けてくる。

「するわきゃねーだろっ!」

 俺は立ち上がり、とっとと店を出た。女の裸を見れば興奮するし、抱きたいとも思うのは分かった。今は女がどうのこうのよりも、純粋に小説へ専念したいだけなのだ。

 

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