岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

1 ゴリ伝説

2019年07月16日 18時50分00秒 | ゴリ伝説


ゴリ伝説



 中学時代からの同級生であるゴッホこと岡崎勉は、今年で三十七歳を迎えようとしていた。
 とにかく女にもてない人生……。
 何故そこまでもてないのかといえば、理由は簡単である。
 まるでいいところがないのだ。
 外見…、これは第一印象と言い方を代えてもいいだろうが、ゴッホという仇名がつくぐらいだから、間違いなくイケメンではない。ゴリラが「ゴッホゴッホ」と言うような顔をしていたので、『ゴッホ』という満場一致の仇名が中学時代についたのである。本人はこの仇名を気に入っていないらしく、昔から不服そうにしていた。当初は『ゴリ』という仇名があったのだが、それではそのまんまじゃないかという意見もあり、『ゴッホ』に落ち着いたのである。
 自分では「巨人の松井秀喜に似てる」と言い張るが、どちらかと言えば一時ボクシングで一世を風靡した『マイクタイソン』のほうが近い。
 おつむの出来はというと、ハッキリ言って駄目駄目である。学生時代、クラスでもワーストスリーにはいつもランクインといった成績だ。努力をして駄目ならまだ同情の余地もある。しかし彼は、勉強のべの字すら忌み嫌う。今でこそ携帯主流の世の中になったが、飲み屋の女を口説く為のメールはものすごくマメに打つ。そういったやり取りは好きなくせに、「この本面白いから読んでみろ」と小説を薦めると、「俺、活字は嫌いだから」と目を通そうともしない。漫画も彼にとって同様で、「活字だから読まない」と言う。要は飲み屋のお姉ちゃんからのメールしか活字を見ようとしないのだ。
 では経済的余裕はというと、給料の大半を飲み屋で使ってしまう男である。当然貯金などない。また運の悪い事に、車をちょっと飛ばしているところをオービスに引っ掛かってしまい、免許取り消しになるような運の悪さも持ち合わせている。
 じゃあ男らしさはというと、友情の欠片もない。どう見てもうまく騙されているとしかいえない飲み屋の女に金を貢ぎ、ふられそうになって逆上するゴッホ。そんな状態でも男と飲み屋の女、どっちを取ると聞くと、「そんなの女に決まってんじゃねえか」と変に堂々としている。
 以前Jリーグ発足の時、まったくサッカーをした事も興味もなかったはずなのに、急にJリーグかぶれになった。当時、彼の車は様々なグッズでいっぱいになり、掛かける音楽も「オ~レ~オレオレオレ~……」という曲しか掛からなかった。流行を追うのが悪いとは言わないが、彼の場合、極端過ぎるのだ。「ちょっとこれはやり過ぎだろ?」と注意しても、「俺はこうだから」と聞く耳すら持たない。
 誕生日はバレンタインデーである二月十四日。もし彼女がいるなら、誕生日とバレンタインデーを同時にできるのだから、楽と言えば楽だ。だが、皮肉な事に彼の誕生日にチョコレートをくれる女性はいつも二人だけだった。自分の母親である『ゴリママ』と、保険に加入している為、保険のおばちゃんからしかもらえない。何故ゴッホの母親なのに、『ゴリママ』と呼ぶのか? それはただ単に『ゴッホママ』だと言いづらいからである。
 いいところを探そうとしても、見つからないのだ。それがゴッホという男であった。
 私、神威龍一は、そんな彼を何故か放っておけない。気がつけば、ついついゴッホの面倒を見るハメになってしまう。


 十九歳の冬、私とゴッホはレストランで食事をしていた。つい先日、女にふられたばかりのゴッホ。しかし特別落ち込んだ様子もなく食欲も旺盛である。
「なあ、もうスッカリ立ち直ったのか?」
「今週は夜勤だったから、あれ以来、俺も顔を合わせてないんだよ」
「そりゃそーだけど、今はそれを聞いてんじゃなくて……」
「もうどうでもいいよ、あんな女」
「ならいいけど……」
 ゴッホは煙草を吸いながら、煙を私の方向へわざと吹き掛けてくる。
「何しやがんだよ」
「そういえば、神威って小学校は第三小学校だったよな?」
「ああ、そうだけど。それがどうかした?」
「ほら、中学で第三小出身の館山留美江っていたじゃん」
「ああ、小一、ニと小五、六年一緒のクラスだったよ。中学では一緒にならなかったけど。それがどうかしたのか?」
「俺、中一の時だけ館山と同じクラスだったんだよ」
「ふんふん、それで?」
 また面白そうな展開になりそうな気配があった。
 この時点でまず間違いないのは、ゴッホが館山留美江に気があるという部分。それとも、まだ好きだった過去を未だに引きずっているかである。
「中学とかってクラスの仲いい女同士が三、四人で廊下とかによく一緒にいてくっちゃべってるじゃん」
「ああ、確か館山は山田洋子と新潟久美と仲良かったよね。あいつら小学から仲良かったし、いつも三人一緒だったな」
「それでさー、中一の時、俺が廊下歩いていたら、山田が館山にボソッと話してる台詞が聞こえたんだ」
「へー、何て?」
「『ゴッホさん、今、後ろ通ったよ』ってね」
「それから?」
 そこまで話してゴッホはしばらく余韻に浸っているような表情を浮かべていた。
「いやー…、館山って俺に気があったんじゃねえかなと思ってさ」
 危なく飲んでいたコーヒーを吹き出すところだった。
 何故、こいつはいきなりそこにワープするんだろうか。そういう考えに行き着く根拠や自信は、一体どこから来ているのか不思議でしょうがなかった。
 分かり易く説明すれば、中学時代、仲良し三人組の女が廊下でくっちゃべってるところにゴッホが通り掛かる。三人の内、一人がゴッホに気付き「ゴッホが後ろを通った」と言ったのかもしれないが、別にゴッホはモテモテだった訳じゃない。どちらかというと面白い存在の人が後ろを通ったから、つい口にした言うほうが理に当てはまる。何故それで、自分に気があるとなるのだろう?
 それに百歩譲って館山がゴッホに気があったとしても、中学一年の時の話なのだ。今、私たちは十九歳なのだから、ゴッホの話は完全にピントがずれている。
「どうしたんだよ、神威」
 まあいい……。
 大昔の勘違いであったとしても、一週間前にふられた電車の女の件を引きずられるよりはいい。ここはゴッホを元気付ける為にも、この話題で乗せるしかないだろう。
「いや、ゴッホの言う通りかなと思ってさ」
「そうかな?」
 自分で切り出しといて白々しい奴だ。「そうじゃない。それはハッキリ言って、おまえの勘違いだよ」と、私は心の中で呟いてみた。
「そうだよ。きっと館山はゴッホに気があったんだよ」
「うーん…、そうかー…」
 乗ってきた…。ゴッホが乗ってきた。
 この際、どうせ館山にいくなら、出来る限りうまくいったほうがいい。
 女の前じゃ口下手のゴッホより、私がうまい具合に誘い出してやるべきじゃないのか。そんな使命感に駆られてきた。先日ふられた電車の女の件とは違って、今回の相手は私の同級生でもある。初めから協力できるのだ。
「なあ、ゴッホ。館山とうまくいきたいか?」
「あ、当たり前だろ」
「じゃあさ、絶対に会わせる風にもっていくから、ここは俺に任せてみないか?」
「任せるって? いい方法でもあるのかよ?」
「そんなのいくらでも手はあるって」
「いや、出来れば自分の力で……」
 またこいつは余計な事を言い出した。くだらない事を言い出す前に、私は口を挟んだ。
「本当に自分で大丈夫なのか?俺のほうが小学からも一緒だし、向こうも話しやすいよな? 俺がうまく誘い出すから、ゴッホは実際に会い、それから自分の気持ちをガーッと伝えたほうが、うまくいくような気がするんだけど。それともやっぱ自分で全部やってみるかい?」
「ん…、ああ…。そ、そうだな、最初誘うのは神威にやってもらったほうがいいかもしれないな。じゃあ、お願いしようかな」
「ああ、任せておけよ。絶対に悪いようにしないから」

 それから私とゴッホは、それぞれお互いの家に帰る事にした。別れ際にゴッホはしつこく確認してくる。
「なあ、本当に大丈夫なんだろうな?」
「さっきから大丈夫だってあれほど言ってんだろ」
「でもさー……」
「じゃあ、勝手に自分でやればいいじゃん。別に俺の事じゃないしね」
「冷たいなー」
「何が冷たいんだよ? おまえがいつまでもしつこいからだろ?」
「分かった。じゃあ、これから家に帰っておまえが館山に電話するんだな?」
「ああ、さっきから何度もそう言ってるだろ。それで電話し終わったら、ゴッホにちゃんと連絡するから安心しろよ。な?」
「ん…、ああ……」
「俺に感謝してるのか?」
「ああ、そりゃーしてるよ」
「じゃあ、あそこのたこ焼き奢ってくれよ」
「何で感謝してるからって、たこ焼き奢らないといけないんだよ」
「細かい事抜かすなよ。ほら、四百円出しな」
 ゴッホはまだ納得していない様子だったが、私は彼から四百円を渋々出させ、たこ焼きを強引に奢らせた。
 家に着くと、中学校時代の卒業アルバムを見て、館山留美江の自宅の連絡先を調べる。電話機の前に立っても緊張も何もなかった。私はただ、自分の喋りでうまい具合にゴッホと館山を会わせるよう誘導すればいい。館山の自宅の電話番号を押し、受話器を耳に当てる。
「もしもし、館山ですけど……」
「もしもし、神威と申しますが、留美江さんいらっしゃいますか?」
「は、はい…。私ですけど……」
「あ、よかった。俺、神威だけど分かる? 久しぶり」
「あーあー、懐かしいね。中学卒業してから全然会ってなかったから、いきなり名前を言われても最初誰だろって思ったよ。ところで急にどうしたの?」
 よし、彼女の中で私の印象はそんな悪くないようだ。
「いや、あのね…。実は中学の時からさー、ずっと館山の事が好きだった奴がいるんだよ。もちろんあえてここでは名前を出さないけどさ」
「何で?」
「俺たちも、もう十九歳でしょ? それなのに未だに館山の事を引きずってるみたいでさー。この間、そいつと会った時に館山の事で相談を受けたんだ。そしたらそいつ、非常に怖いのか臆病になっててね。だから俺、言ったんだ」
「え、何て?」
「人を好きなのは悪い事じゃない、当たり前の事だってね。館山もまだ誰だかは分からないけど、そういう風にずっとおまえを好きな奴がいたんだよって言われても、別に悪い気はしないだろ?」
「うん」
 よし、これで館山も乗ってきた……。
「だからさー俺、言ってやったんだ。ちゃんと自分の気持ちを伝えたほうがいいって」
「それは一体、誰なの?」
「だから俺の口からは言わないって言ったろ。それは本人に直接言わせるから。ところで今、館山は彼氏いるのか?」
「ううん、いないけど……」
 第一関門クリア。ここで彼氏がいたら、話は始まらないところだった。
「じゃーさ、そいつのずっと大事にしてきた気持ちを尊重してやって、一度ぐらい会ってみないか? もちろん、一対一が少し抵抗あるなら、俺だって付き添うし二対二だって全然問題ないしさー。とりあえず今度、時間作って会ってみないか?」
「うん……」
「そうか、ありがとう。でもまだ不安あるんだろ?」
「うん、いきなりだから……」
「じゃあ、最初は告白とか重いんじゃなくて、俺も一緒に行くから館山も仲いい友達誘って食事でもしようよ。その時、館山がまだ名前分からないだろうけど、そいつの事見て無理だなって思ったら、俺にこっそり言ってくれればこっちで何とかするから。そのほうが、館山も気が楽だろ? 駄目かい?」
「うん、分かった。ごめんね、何だか色々気を使わせちゃって」
「とんでもない、こうでもしないとそいつ、ずっとウジウジしてるからね。じゃあ、いつまでも名前分からないんじゃ館山も嫌だろうから、この電話切ったらそいつから電話させるけど、それでいいかな?」
「うん」
「その時、多分向こうが食事に行かないかって誘うと思うけど、とりあえず会う約束だけはしてやってよ。そいつの気持ちに免じてさ。会ってみないと分からない事もあると思うんだ」
「そうだね、分かったわ。神威君、色々とありがとね」
「いえいえ、どういたしまして…。じゃあ、これから電話を掛けさせるね」
「うん、分かった」
 電話を切り、小さくその場で私はガッツポーズをしてみた。一つの仕事をきり良く仕上げ終わった感じだった。
 でもまだ終わりじゃない。これからゴッホに電話を掛けさせないといけない。きっと館山も、自宅の電話の前でドキドキしながら待っている事だろう。
「もしもし、ゴッホか?」
「ああ、どうだった?」
「おまえ、すぐに館山に電話しろ」
「え?」
 今度はゴッホを乗せる番だ。
「早く、電話しろ。それで食事でも誘っちゃいよ。あいつ、彼氏いないみたいだからさ」
「そ、そうなんだ」
「ああ、でも本当に中学校以来久しぶりだから、向こうも緊張してるだろうからさ、『最初は二対二ぐらいで食事でもどうかな?』って誘ってみたらどうだ」
「えー、でもさー……」
「じゃあ、これから俺が断りの電話を館山に入れるよ」
「や、やめろよっ!」
「じゃあ、すぐに電話しろって。電話して食事に誘えよ」
「そ、そうだな」
「よし、じゃあさっさと電話掛けて来いよ。切るぞ」
「分かった」
 これで多分、館山も会うぐらいは承諾してくれるだろう。そこから先は二人の問題だ。私はゴッホに奢らせた冷めたたこ焼きを口にした。

 私は自分の部屋でゆっくりクラシックの音楽を優雅な気分で聴きながらくつろいでいた。ドビュッシーのベルガマス組曲、月の光。舞曲、スティリー風のタランティア。それぞれの曲を比べると、テンポも雰囲気も全然違うが、私の心はどんどん癒されていくようだった。
「兄貴、岡崎君から電話だよ」
「ああ、分かった。今、行くよ」
 早速ゴッホから連絡だ。果たして吉と出たのか、凶と出たのか……。
「もしもしー、ゴッホ。どうだったの?」
「いやー、神威。ありがとう。ありがとう」
 どうやら館山は私の忠告をちゃんと聞いてくれて、ゴッホと食事に行くのをOKしてくれたらしい。よしよし、いい子だ。
「どうしたんだよ?」
「いや、二日後に食事行く事が決まったんだよ。ただ、二対二でだけどね。本当は一対一がいいけど、最初だからまあしょうがねーかなーと思ってさ」
 さっきまでビクビクしていた野郎が完全に図に乗ってやがる。まあこのぐらいは大目に見るか。まだ食事がOKというだけなのだから……。
「それで神威も明後日一緒に食事に来てくれないか?」
「ああ、いいよ。いや、待てよ…。やっぱ駄目だ」
「何でだよ」
「明後日、俺の仕事のほうで大事な打ち合わせがあるから、帰ってくるの遅くなるんだ。だいたい館山と食事行くっていっても何時なんだよ?」
「昼の三時」
「おまえなー、有給休暇でも取らない限り、行ける訳ないだろ。何、考えてるんだよ」
「俺は電話切って今さっき、会社に電話して有休取ったよ」
 自分の事だからそれは分かるが、そんな事で私にも有休を取れと言っているのだろうか。長年付き合っていても、こいつのそういう無神経さは、未だによく分からない。
「じゃあ、俺も有休取れって? 無理に決まってるだろ。第一、館山はどうなのよ?」
「ああ、彼女は短大生で就職も内定が決まってるから、何時だっていいんだよ」
「でも俺は平日だから仕事だろ。無理だよ、そんな早い時間は」
「何だよ、冷てーな。じゃあ、他の奴、誘うからいいよ」
 ここまでお膳立てしたのは誰だ? このクソ野郎…。何てメチャメチャ自分勝手な言い草なんだ。
「おい、ゴッホ。嬉しくて浮かれるのは分かるけど、一つ言っておくぞ」
「何だよ?」
「今日もそうだけど、明日まで館山に電話をするなよ」
「何でだよ?」
「いいか、浮かれているのは分かるけど、まだ付き合うって決まった訳じゃないだろ? それにおまえは女に対して口下手だ。明後日は会うと決まったけど、向こうはゴッホの事をよく知らないんだぞ? 会う前からベラベラ話しても、マイナスにしかならないぞ」
「ん…、ああ……」
「俺はゴッホの事をちゃんと思って言ってるんだからな」
「まあ、確かにそうだよな」
「そうそう、浮かれるのはまだ早いって。明後日が本番なんだから」
「分かったよ。明後日までは電話、控えるよ」
 言い方が少しきついなとは自分でも自覚していたが、ゴッホの事を考えると、そう伝えるしか他に方法がなかった。

 一日経ち、その日は仕事が本当に忙しかった。企画関係の会社で働く私は、客との打ち合わせや商品の確認、企画書の作成などやる事が多過ぎて、猫の手も借りたいぐらいだった。そんな調子だったから、あっという間に仕事の時間は過ぎ、夕方になっていた。
 できれば明日、有休取ってゴッホの協力をしてやりたいが、この忙しさじゃとても休みを取れそうもない。
 今頃、あいつは浮かれて薄ら笑いを浮かべているのだろう。
 仕事を終えて家に帰ると、弟が話し掛けてきた。
「なあ、兄貴。岡崎君から何回も電話あったよ。大事な用件でもあったんじゃないの?兄貴が帰ってきたら、連絡くれるように伝えて下さいって言ってたよ」
 急激に何故かすごく嫌な予感がした。
 もしかしてあいつ、あれほど言ったのに、館山へまた電話しちゃったんじゃないのだろうか……。
 その時、家の電話が鳴り出した。私はそれの電話がゴッホからだろうと直感的に感じる。
「もしもし…、ああゴッホか。どうかしたか?」
「神威、わりー……」
 そのひと言で、先ほど感じたものが私の中で確信に変わった。
「何も言わなくていいよ。どうなったか当ててやろうか?」
「ん…、ああ……」
「ズバリ館山に電話してしまい、明日の食事行く約束を断られたんだろ?」
「おまえはエスパーか? 何で分かったんだよ? それとも館山から電話でもあったのか?」
「いっぺんに質問するなよ。まあいいや。一つ一つ答えてやるよ。まず俺はエスパーじゃない。館山から電話はあれから一度もない。でも浮かれてるはずのおまえが、何度も家に連絡をしてくる。以上をまとめると、それしか考えられなかっただけだ」
「鋭いな……」
「鋭いなじゃねーよ、馬鹿。人のお膳立てをすべて台無しにしやがって……」
「ああ、わりー」
「…で、一体何をやらかしたんだよ」
「いやー、昨日すげー嬉しくてさ、おまえもそれは分かるだろ?」
「ああ、分かるよ。それで?」
「神威に念を押されてたけど、つい今さっき、館山に電話しちゃったんだよね」
 確かに生まれてから十九年間…。いや、正確に言えばゴッホの誕生日は皮肉にもバレンタインデーなので、まだ十九年経ってないけど、その期間、女関係で一切報われてこなかったのだ。デートすらした経験もないのだから、同情する予知はあった。
 そんなゴッホに対し、私まで責めてしまったら可哀相過ぎる。
「それでどうしたの?」
「電話したはいいけど、何を話していいか分からなくなっちゃってさー、三十分電話してて、その内の二十五分は、お互い無言になっちゃったんだよね」
「駄目じゃん。それってほとんど電話してる意味がないじゃん。何ですぐに切らなかったの?」
「いやー彼女のほうから、用事あるからって、俺の電話を切ろうとするから、ちょっと待ってよって粘ってみたんだよ」
 本当にこいつは大馬鹿だった。昭和の生んだ大馬鹿だ。
「もし、そこで電話切られたら、明日の食事、すっぽかされちゃうような気がしちゃってね。でも、今になって冷静に考えると、ちょっとまずかったかなって思ってるよ」
「ちょっとじゃねーだろ。ちょっとじゃ……」
「でも最後に『本当は好きな人がいるから、明日はやっぱ会えません』って言われちゃってさー。そんなんだったら始めからOKするなよって感じだよ。あの女、あんなに性格悪かったんだ」
 ゴッホは自分に原因がある事を何も理解していない。適切なアドバイスをして、もう少し女の子の気持ちってものを教えてあげたいが、今の件を分からせるだけでも一年以上の時間を必要とするだろう。いや、それだけ掛けても分からないかもしれない。
「さっきから何、黙ってんだよ。俺がふられたのが、そんなに面白れーか?」
 一体、私がゴッホに対して責められるような何をしたというのだろう。考えれば考えるほどイライラしてきた。
「神威は、俺に慰めの言葉の一つも掛けられねーのかよ?」
「ザマーミロ……」
 心の中で呟いたはずが、つい口に出てしまった。
「何だって?」
「ザマーミロ、ザマーミロッ!」
「何だってんだ、チキショウ」
「あまりにもおまえが馬鹿過ぎるからだよ」
「向こうがなってないじゃねーか」
「俺から送る言葉は一つだけだ」
「何だよ?」
「ザマーミロ」
 こうして中学校時代の同級生『館山留美江事件』は、静かに終わりを告げた。

 まだ私たちが二十歳の頃、「ゴッホに彼女を作る会」というくだらない組織を立ち上げた事があった。もちろん私が会長で発起人でもある。
 何をするのかというと、純粋に飲み会を開き、ゴッホにより多くの女の子と知り合わせようというものだった。メンバーはほとんど同級生のみで結成され、総勢ゴッホも入れて七名だ。
 何度か飲み会を開き、たくさんの女の子と知り合ってきたが、当然の事ながらゴッホの彼女になろうという奇特な子はいない。そこでまず会の名前が悪いのではないだろうかと、大真面目に話し合い、名称を変えてみた。
 伝説を作ろうじゃないのという意気込みから、『クリエイト・パーフェクト・レジェンド』という横文字の名前にしてみる。頭文字をとって『CPL』と呼んだ。
 やる事は変わらない。出来る限り女の子との飲み会を取ってくるだけなのだが、十数回飲み会をしている内、私はある事に気付いてしまった。
 私以外のメンバーは、この会に入っていれば、よく飲み会に誘って女の子と逢えるぐらいにしか思っていない事に……。
 自分が気に入った子がいれば口説き始め、酷い奴になると、金も払わずその場から消える奴だっていた。ほとんどのメンバーがゴッホにというより、自分がおいしい思いをしたいというだけなのである。
 それに気付いた私は、『CPL』という組織を作った事を悔やんだ。私だって今まで出逢った子の中でいいなあと思う子はいた。しかし、立場を考え自粛してきたのが馬鹿みたいである。次第に情熱は覚めていった。
 週に一度やっていた飲み会は、次第に回数が減っていく。それに気付いたメンバーの一人が会の危機感を覚え、初めて私以外にも飲み会の約束を取ってきてくれるようになった。私利私欲に走る人間が多い中、私の考えを分かってもらえたという喜び。落ち込んでいた分、嬉しさは倍増した。
 そんな調子で一人一人が徐々にだが変わってきた感じがする。みんなで集まり、真面目に討論する機会も自然と増えた。
 ゴッホに彼女を作ってあげようという基本コンセプトの中で、ただ飲み会の回数を増やすだけでは意味がない事に気付く。
 いかにゴッホが素晴らしい男であるかのアピールは、私たちがサポートしながら異性に伝えなければいけない。実際いいところなど何もないゴッホであるが、嘘でもいいから彼の良さを教え、彼女を作らせたい。
 まず飲み会を始めるにあたりゴッホの紹介の仕方だが、簡単な職歴、趣味などをいかに好印象で女性陣に伝えられるかを話し合う。
 ゴッホは印刷業の中の製本という仕事をしている。それは誤魔化しようのない事実であり、逆に将来的に見れば安定した企業で働いている強みにもなる。唯一の欠点は、仕事柄爪の部分が油汚れで真っ黒になってしまうところだけど、飲み会前日によく手を洗わせ爪を切ればクリアできる部分だ。
 面倒なのか、いつも爪の真っ黒なゴッホ。彼をを呼び出し、飲み会前日には綺麗にしておくよう注意する事にした。すると彼は口を尖がらせながら反論をしてくる。
「ゴッホさ、せめて飲み会の時ぐらいは爪の先まで綺麗にしてきてよ、な?」
「おいおい、これは仕事をいかに頑張っているかという勲章でもありな……」
 遠くを見るような目で格好をつけているつもりのゴッホ。
「別に仕事を真面目にやろうが、やらなかろうが、どっちにしても汚れる仕事だろ? 気持ちは分かるけど、女の子には不潔な人って印象しか与えられないぞ」
「その程度でしか分からない女じゃ、駄目だろ?」
「おまえな…、今まで何回飲み会やってきたと思う? 誰一人そんな屁理屈を理解するような子なんている訳ないじゃん」
「う、ああ……」
 言葉に詰まった時に出る彼の口癖、「う、ああ……」。
「要は飲み会の時ぐらい、清潔感を漂わせてくれってだけなんだから、そんなムキになる事ないだろ?」
「ま、まあな」
「彼女ほしいんでしょ? 作りたいんでしょ?」
「ん…、ああ……」
「じゃあ、頼むからこれぐらい言う事聞いてくれよ」
「分かったよ」
 不服そうに返事を返すゴッホだが、考えてみれば何故この男はここまで偉そうな態度でいるのだろうか? 少しぐらいこちらに感謝を感じても良さそうなものだが……。
 まあ仕方ない。これが彼独特のゴッホイズムなのだから。それを承知で私も長年付き合っているのだ。

 メンバーの一人である深沢が、飲み会の話を持ってきた。相手は女子短大生らしい。私たち『CPL』のメンバーは歓喜の声を上げ喜んだ。
「いいか、みんな。あくまでも主役はゴッホだぞ? それを忘れないでくれ」
 飲み会前日にメンバーを集め、私は一人一人の顔を見ながら言った。
 静かに頷くメンバーたち。彼女いない歴二十年のゴッホに彼女を作るという目的意識を忘れてはならない。自分でも何故こんな馬鹿げた事に必死なのか分からないが、これも若さたるゆえんであろう。要は今が楽しければそれでいいのだ。
 当日になり飲み会が始まる。目の前にはキャピキャピした可愛い女子短大生のグループが五名。私はゴッホに小さな声で「誰がいい?」と聞いてみた。
「う~ん、一番右の子かな。あ、真ん中の子もいいね」
 ゴッホのお気に入りをチェックしてみる。どちらも甲乙つけがたいほどの美人だった。右の子はソバージュが似合う切れ長の目をした美人。真ん中の子は、中学生と言っても通じるぐらい童顔で愛らしい笑顔を振りまく可愛い系。この男、非常に面食いなのだ。
「飲み会を開始したら、うまく席を移動させるから。ちゃんと自分をアピールしてくれよ。こっちもフォローに回るからさ」
「あ、ああ」
「それと『二頭を追う者、一頭も追えず』ということわざがあるだろ?」
「はあ、何だそりゃ?」
「聞いた事ぐらいあるだろうが」
「いや、まったくねえ」
「じゃあ、聞いた事なくてもいいよ。分かり易く言うと、どちらか片方に標準を絞れって事。分かった?」
「何で?」
「逆に聞くぞ? もし、女のほうからゴッホの事いいなあって寄ってくるとするだろ?」
「ああ」
「その子が、俺にも同じように色目使ってきたらどう思う」
「ケツの軽い女だなって思うね」
「だろ? さっきのことわざはそういう事」
「何で? 二頭追うと、ケツが軽いの?」
「もうその話はいいよ…。とにかく一人に絞っとけよ」
「分かったよ」
 こうして飲み会は始まった。
 双方簡単な自己紹介をしながら、ゴッホの番になる。
「あ、はじめまして、名前は岡崎です。仕事は帝国印刷ってところで、製本の仕事をしているんだけど、分かり易く言うと……」
 ゴッホはそう言いながら、テーブルの上に置いてある紙ナプキンを一枚取り、どうでもいい説明をしだした。しかもあれだけ言ったのに、爪の先は真っ黒のままである。
「まず、このナプキンっていうのは変形の四つ折りってもので、これを機械でどうやって折るかと言うとね。まずこれをこう折り込んで、さらに……」
 ヤバイ。女の子たちが何だこの男はといった表情で呆れている。私は途中で割り込む事にした。
「あ、みんな、ごめんね。ゴッホ、そういうのはあとでいいから。えっと、簡単に彼を紹介します。彼は岡崎勉。仕事は印刷業をしているんだ」
「いや、違う!」
 ゴッホが逆に割り込んできた。
「何が違うんだよ?」
「俺がやっているのは製本」
 何をこいつはそんな事にこだわっているのだ?
「だから印刷業の製本でしょ? 印刷業でいいじゃねえか」
「違う。製本!」
 まずい。どんどん場が白けていくのが分かる。
「とりあえず乾杯しましょう! はい、みなさん、グラスを手に持って。では、カンパーイ!」
 私は強引に乾杯をさせて、飲み会を開始させた。

 酒が入ると人間誰でも陽気になるもので、和やかな空気が辺りに充満する。この飲み会を持ってきた深沢は、お目当ての子に猛烈なアタックを開始していた。深沢は酒が入ると酒乱の気があるので、いつもこちらは神経を尖らせておかないといけない。ある程度で酒を止めておかないと、あとで警察沙汰になるぐらいの事は日常茶飯事なのだ。
 ゴッホは黙々とビールを飲んでいた。
「おい、少しは女の子に話し掛けなって」
「う、ああ……」
 この男、一対一になるとまるで口下手になってしまうのだ。
「どっちの子がいいんだよ?」
「うあ……、やっぱ俺はあの子かな」
 そう言ってゴッホは可愛い系の子を指差した。仕方ない。ここは協力しないとな。私は、ゴッホ指名の子のそばに行き、明るく話し掛けた。
「どうも、神威で~す。グラス空だけど、何か飲むかい?」
「う~ん、ビールあまり好きじゃないから、チューハイがいいかな~」
「ゴッホ、彼女にメニュー取ってあげて」
「う、あ、ああ……」
 さりげなくゴッホを彼女の隣へ呼び込む事に成功。
「ほら、色々メニューあるでしょ。何がいい? あ、そういえば何ちゃんって呼べばいいのかな?」
「あ、私、薫っていうの」
「へえ、薫ちゃんって言うんだ。ゴッホ、いい名前だと思わない?」
「あ、ああ、いい名前だよね」
「薫ちゃん、この男はね。○○子とかそういう名前じゃなくて、薫ちゃんみたいな名前の子が大好きなんだよ」
「え~、何で~」
「おいおい、俺はそんな事ひと言だって言ってねえじゃんかよ。話を勝手に作るなよ」
 この大馬鹿野郎が…。こっちはおまえの為に少しでも盛り上げようとしているのに。
「あ、薫ちゃん、何を頼む? 甘い系が好き? それともさっぱり系かな?」
 慌てて私はフォローに回る。するとゴッホは無造作にメニューの上に手を乗せ、ビールを指差しながら言った。
「中生がいいんじゃないの?」
 さっきこの子が自分でビール苦手だと言っていたのをもう忘れたのか……。
 しかもゴッホの指先は油汚れで真っ黒けである。薫ちゃんの表情が少し変化したのを私は見逃さなかった。
 私は深く溜息をつき、トイレへと向かった。
 ゴッホの身勝手さを直さないと、うまくいくものもいかなくなる。それは今回の飲み会でもハッキリ分かった。たまには俺自身、普通に楽しむか。

 

 

2 ゴリ伝説 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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