korou's Column

2024.5.1 音楽ブログとして再スタート。

マーラー「交響曲第9番」(バーンスタイン&VPO)

2024-05-30 | クラシック音楽

今回は、ごく個人的なメモで

しかも内容はクラシック音楽ということで

ほぼほとんどの方についてスルー推奨・・・・

 

例えば・・・

長渕剛の歌を聴いて

シンプルに愉しむというより

人生そのものを考え感激するという聴き方をする人を

今まで少なからず見てきたような気がする。

(芸能人でそういう人が多いような気がする)

 

あるいは・・・

洋楽の世界でも

1970年代後半の英国で注目されたパンク・ロックとか

1990年代前半に出現したグランジなどに啓発されて

アーティストとしての生き方、活動の仕方にまで

影響を受ける人々も居るようだ。

 

自分は

ポピュラー音楽については

もっと気楽に聴いているので

そこまで深く聴き込むようなことはしない。

そうした深い思いとか

音楽への真剣な立ち向かい方については

十代の頃から

もっぱらクラシック音楽を聴くときに

考えるようにしている。

 

十代の頃は

やはり

ベートーヴェンの音楽に感動していた。

フルトヴェングラーという精神性の高い演奏をやってのける指揮者に

とことんいれこみ

実際、実生活でも救われることは多々あった。

 

そして、今。

ベートーヴェンの音楽を聴いて

さあ必死で頑張るぞ、と声高々に宣言するような元気は

はっきり言って、もう残っていない。

それよりも

もっと世界の深層に踏み入って

じっくりと「何か」を体験したいという

思いのほうが強い。

 

そんなことを考えるようになったのは

ブルックナーの交響曲を

退屈せずに

(ブルックナーではよくあることだが)思わず居眠りすることなく

聴き続けることができるようになって以来である。

そして

このところの心境として

特に「交響曲第9番」の世界、どこまでも深い瞑想の世界というか

音楽でそんな深いところまで辿り着くことができるのかという驚きと発見に満ちた

その世界に埋没したがっている自分がいる・

 

さらに

最近になって

やっとマーラーの「交響曲第9番」の深い世界にも

感性が馴染むようになってきた。

マーラーの音楽を聴き込むには

独特の感性が必要だが

「交響曲第9番」については

もっと普遍的な世界が展開されていて

自分のような鈍い感性の人間にも

何度も繰り返し聴くことによって

伝わってくるものがあるのだ。

 

というわけで、今は

ブルックナーとマーラーの

(たまたま曲名が同じだが)「交響曲第9番」を聴くことに

救いと喜びを同時に感じている。

それは

アイドル歌謡曲とか

甘く切ない洋楽のメロディを聴くのとは

まったく別の次元で聴く音楽なのである。

 

音楽にジャンルなんてない、「いい」と思ったらそれがすべて、とか

いう考え方が

結構根強く存在するが

そんなわけがない。

雑に言えば

「ランダムに楽に聴く」音楽と

「求めた上で真摯に聴く」音楽とは

ジャンルが全く違い

その聴き方、感じ方も全く違うと

個人的にはそう思っている。

 

1950年代までは

ごく一部の人だけにしか知られていなかったマーラーの音楽を

世界中に広めていった最大の功労者である

指揮者レナード・バーンスタイン。

彼のマーラー「交響曲第9番」が

youtubeで聴けるとは!

一応リンクしておきます(でも、いきなり聴いても

何も分からないと思います。それでいいのです)

 

GUSTAV MAHLER SYMPHONY NR 9 Bernstein

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