半年ほど前に
アレンジャーの船山基紀サンについての文章をアップしたとき
本当は萩田光雄サンの話から書きたかったと書いた。
今回、その荻田サンの本「ヒット曲の料理人 編曲家 萩田光雄の時代」を
図書館で借りることができ
さっそく読み始めたのである・・・、
・・・が
(巻末のデータ集を除くと220pほどの本なのだが
188pからのクリス松村氏、196pからの佐藤剛氏へのインタビュー記事以外は)
何ともとらえどころのない本だった。
船山サンの本は結構面白かったのに
このギャップは何だろうか。
これは、萩田サンが
70年代歌謡曲の定番アレンジを
あまりにも簡単に創ってしまったために
萩田サン自身がその過程を説明できないからではないだろうか。
この萩田本は
本人による自伝部分と
関係者へのインタビュー、あるいは本人を交えての鼎談などで
構成されているのだが
その本人による自伝部分は
こんな感じで作りました、すると、もくろみ通りヒットしました
という類の文章の羅列になっている。
これは
(萩田さん本人が「おわりに」で書かれている次の言葉を信じるしかないが)
”最も忙しかった日々、おわかりいただけるだろうか?
前日やった曲のことは、もう今日は白紙にしなければならなかった。
脳のヒダに刻み込む余裕はなかった”
ということなのだろう。
船山サンの場合
それまでの歌謡曲にはこういうニュアンスがなかったので
こんな楽器を使って、こんな苦労をして、結局こうなりましたという風に
具体的な「進歩の過程」が分かるように書かれていた。
船山さんにしても、”超忙しい日々”を送られていたに違いないが
逆に言えば
後からでも自分の仕事を分析できる船山さんのほうが
凄いということなのだろう。
☆☆☆
まあ、それでも萩田サンの業績は
誰もが認めるところではあるので
今回読んだ本とは離れて(とは言いつつその本を参考にしながら)
個人的な感想を以下記すことにしよう。
萩田サンは、楽器としてはギターが得意であったので
そのせいもあって
アレンジのなかでギターが重要なポジションを占めている。
萩田サンがアレンジを担当したなかで最初のヒット曲は
高木麻早「ひとりぼっちの部屋」になるのだが
これなどギターの音色そのものが
曲全体のイメージを作っているといってもよいアレンジだ。
60年代までの歌謡曲ではなかなか聞けないカントリー調の良さを
醸し出すことに成功している。
徐々に洋楽っぽくなっていく70年代歌謡曲の典型かもしれないが
ここでのアレンジの力は大きいと思う。
(Wikipediaによればこの曲は40万枚売れたらしい。リアルタイムでこの曲を聴いた印象は
妙に明るい曲だなと思っていた。当時は、かぐや姫の「神田川」がチャートを独走して
いたが、あのウェットな曲調とは好対照だ。今聴くと、こんな色っぽい声だったっけと
自分の記憶の薄さに驚き。まあ・・良い曲です)
高木麻早 ひとりぼっちの部屋(1973年)
このギター重視のアレンジは
山口百恵「プレイバックPart2」、中森明菜「少女A」「1/2の神話」などの
大ヒット曲でも聴かれる(演奏者はいずれも矢島賢。当時の日本一のギタリスト)
萩田サンのアレンジが、それらの曲のイメージを決定づけ
大ヒットの要因となったはずである。
編曲者萩田サンは
作曲家筒美京平が、最も安心してアレンジを任せた相手だったが
その組み合わせで最も実験的、かつ音楽的にもクオリティの高いものが続いたのが
太田裕美への曲だったようだ。
なかでも彼女の8枚目のシングル「恋愛遊戯」は
数多い筒美作品でのなかでも屈指のメロディ展開になっており
萩田サンの仕事も
そのメロディを最大限に生かした職人技、即ち
変わったことは一切せず
旋律の美しさを引き立たせる”引き算のアレンジ”として秀逸だ。
ただし、筒美サンも萩田サンも
これはまだ日本の歌謡曲には早すぎるメロディ、アレンジかもしれないと
思っていたらしく
その予想通り、売上枚数的には芳しくない結果に終わってしまった。
数年後の松田聖子が歌う楽曲なら
もっとヒットしていたかもしれないが。
それにしても今聴けば
新しい時代の歌謡曲を開拓するぞという意気込みが
穏やかな曲調の奥底から伝わってくるような
佳曲に聴こえてくるから不思議だ(当時はそれほどの曲とは思わなかったのだが・・)
太田裕美「恋愛遊戯」 8thシングル 1977年5月
こうした萩田サン独特の”引き算のアレンジ”は
萩田サンの仕事そのものを見えにくくしているのも確かだ。
一見何もしていないように聴こえるからで
特に今のようなゴテゴテした編曲が普通に聴かれる時代にあっては
なおさらだろう。
さらにネットでの言論が普通になった今現在において
年代的な制約のせいで
60年代歌謡曲について深く語られることが少ないので(語れる人はネットと疎遠)
それらの楽曲を踏まえながら徐々に70年代の歌謡曲のイメージを革新していった
萩田サンの仕事の価値について
その真価を次の世代に伝えるのは難しいということもある。
とはいえ
萩田サンが安定した職人技”引き算のアレンジ”を見せ続ける一方で
その萩田サンを目標に船山さんが華々しい”足し算のアレンジ”を披露するという形で
70年代歌謡曲が進化していったことは
紛れもない事実だろうと思っている。
ニュース、出ましたねえ。
これから記事書きます。