指導日誌

日々の感想、備忘録、指導履歴など、気の向くままに綴っていきます

僕が「子ども達」という言葉を使う訳

2024年02月01日 21時08分23秒 | 日記

 僕は今でもそうなんだけど、いつごろからだろう?それは覚えてないんだな。

「生徒」という言葉が非常に無機質に感じてしまい使いません。

使えません、口から出てきません、どっちだ? まあ、まず使いません。

保護者会でも、学校現場でも、教育委員会でも「子ども達」という言葉を使います。

教育業界では「体罰」まあ、数年でね、非常に意識が高まってきた感がありますよね。

「ハラスメント」これも結構、意識が高まってきたかな。大体の人が説明できるでしょう。

 

一方で「虐待」これは意外と知られているようで知られていない。

身体的虐待は、誰でもぱっと見で判るかな、とは思うんですけど。

虐待、これは要は子どもの人権を侵害する行為なんですよね。

そこでね「子どもの人権って言えます?」こう質問すると、この日本では成人した人の半分も答えられない、ホントに。

 

「子どもの人権」これは日本だけではないのね、世界共通で決められているんだな。

言えます?

僕も、もし教育学部で児童福祉の単位など取ってなかったら知らない、今でも、多分ね。

 

子どもの人権というのは4つですよね。

「生きる・育つ・参加する・守られる」

こう書くと、非常にシンプル。

でも日本の大人達は、国連から再三再四、注意されまくり、これが現実です。

学校現場でも「虐待」教職員は全く気が付いていないんでしょうが、日常茶飯事。

 

例えば、小学校3年生くらいまで、とか特別支援学級などで給食の時間がありますよね。

頑張って配膳する訳です。不慣れながらもご飯をよそって頑張ってるわけです。

でも、たまに、器を落としてしまった、何回も僕も見てます。

そこで怒る、これは当然だと思う、しっかりとお皿もって、注意してお盆にのっけて、どこかで気が抜けてしまったんでしょう。

火傷でもしたら大変だから、二度と無いように、こう思いながら叱ってくれる、これはあるべき姿。

問題は、その後、その後どういう指導をするか、ここで違ってくる。

「もう、危ないから席に戻ってなさい!!」

こう言ってしまう教職員が非常に多い、自分の経験では7割ぐらいの教職員がこう口にする。

でも、これね、虐待なんです。完全にアウトです。

結構驚きますよね、というより「んな訳ないだろ!」これが率直な感想じゃないかな。

でも、残念ながらそんな言い訳は通じないの、虐待は虐待。

それが世界から非難を受けている日本の教育の現状です。

 

学校現場でもこうして平然と教職員が虐待をしているのが日本という国なの、異常です。

大人達がいかに子ども達を軽視しているか、もうここに表れてる。

これはどんだけ反対意見述べても、世界の基準なので、勝手にほざいてろ!で終わり。

「参加する」

要は、この人権が守られてないんですよ。

こぼしちゃった、落としちゃった、まだ小さいんだもん、仕方ないじゃない。

いきなり完璧にできたらスーパー少年少女だぜ、それはないんだな。

 

だったら教職員が器を持ってよそう事だけ頑張らせる、その逆でもいいですよね。

器を渡す係、教職員が火傷防止の為によそう。

こう少しずつ成長させないといつまでたっても何もできない子どものまんま、こういう所にも教育的要素は転がっているんです。

それが教育の本質で、はっきり言って受験に必要な数学だのなんだの、そんなものの成績伸ばすのは簡単、余裕。

若かりし頃の自分は、四苦八苦していましたよね。

今は簡単、ほとんど参考書だか教科書に載っているような説明はしないね。

もう何十回、何百回と恥をかいて完成させたものなので。

 

僕も「教室長」とか、色んな肩書を経て、部下を抱えて、今があり。

その時に口にしていたのは「時間制限付き保護者」という言葉かな。

 

塾に子ども達がいる間、この時間、何かあったら自分で子ども達を守らなくてはならない、これ常識なんですよ、無理なら授業料だの施設料だの貰うな、って話なので。

そう考えると目の前にいる子ども達を「生徒」とは呼べないでしょ。

家で宿題教える時は生徒になるの?ばかだろ、そりゃ。

 

「働き方改革」昨今よく耳にします。

忙しいという基準は人それぞれでいいと思う。

でもね、子ども達の命を預かっている時間、これを緩めよう、だったら教員辞めた方がいいです。

僕も学校現場に勤務していた時期もありました。はっきり言って「暇です!!」

育児に頭抱えているお母様方もいる訳じゃない、そこでノイローゼ気味になっちゃうお母様もいる訳でしょ。

その子ども達が成長して、その子ども達の一部分の時間、命を預かるの、その重責をよく考えて欲しい。

生徒、なんだそりゃ。

やっぱりね、一時でも影響を与える訳です。先に生きている「先生」だから。

肝に銘じれば子どもは子ども。

それ以上でもそれ以下でもない、少なくとも自分にとってはね。


はじめに

2024年02月01日 10時23分04秒 | 授業

 2024年2月1日、ブログをはじめてみようかな。

僕の最初の授業はもう、32年前、だね。

今、思うと、ボロボロ、あれは授業ではないね。かなりまずい、ぼったくり。

本当に申し訳ない授業が自分の第一歩だったな、と思います。

中学2年の数学だよね。説明しても子ども達の理解力はそれぞれな訳です。

進学塾って成績順でクラスを決めるじゃない。7クラスある中の7番目の数学、これが最初に任されたコマでした。

たしか、方程式の文章題の復習の時だったかな。

「わかんね~。」

こう、連発されてしまう訳です。

本人が「わからない」と言っているので、こちら側の説明が悪い、これは絶対。そうでないならば解答でもコピー、配って「読んどけや!」これでいい訳なんだよね。

でも、どこが解らないのかも解らない。とにかくわからない。日本語の授業に最終的にはなっちゃってた。

今の自分ならばね「問題文整理するぞ~」って導入からは入れるよね。

そこまでの余裕がなかったんだな、ここが若さゆえ、かな。

もう、そうすると子ども達も受け付けなくなる。

「あのさ、先生さ、本当に大学でてんの?」

「本当は何の教師?全然わかんね~んだけど」

もう、ここまでくると収拾がつかなくなるわけ、最悪の展開。

これが僕の最初の授業だったかな。

でも、今思えば良かった。最初の授業がこれでよかった、と思う。

自分が解っている事、当たり前の事でも、子ども達にしてみれば「わからない事」こうい事はいくらでもある。

「時計の長針が短針に追いつき・・・」

デジタルの時計に慣れてしまっている子からしてみれば、こんな事想像できるわけない。

「そんな奴いるのかよ」

こうも思いたくもなるが、それは自分の物差し。それで人の事も図るな、って話。

 

そんな授業から、今ではベテラン、ベテラン?ただのじじいなんだけど。

よくここまでやってこれたな、と思う。

 

今は、必要とされればどこにでもお邪魔しています。

やっぱり学校が1番ひどい、これは確実。                                    授業見学してて「これは子ども達理解できない」断言できる。

学校の教員でしっかりとした授業ができる教員は会った事ないな。

これはある意味致し方ないと同情する余地もあるかな、それはまた書かせてもらうとして。

まあ、思うがまま、忖度なしで、色々綴っていこうかな、そんなブログにしていけたらと思います。

宜しくお願いしますね。