数学の基礎
珍しく、というか本職の数学について書きましょう。
中学3年間、高校3年間、順風満帆に、毎日絶好調!という感じにいけばいいのですが、数学の勉強というのはそう簡単にはいかない。
中学受験の算数もそうだよね。
誰にでも「数学無理だわ」そう思ってしまう時期ってあるんです。絶対に。
その時ってどうすればいいのかな?
そこで諦めればいいのかな?もう苦手科目って決めればいいのかな?
つまづいた単元をゆっくりと説明してくださいって先生に質問しにいく。うむ。
つまずいた単元の前の学年をもう1回復習する。うむ。
前者は「単元別学習」もともとはアメリカ型の学習法なんです。
後者は「系統図型学習」日本の昔からの学習法なんです。
寺子屋で江戸時代あたりから「読み・書き・そろばん」って多くの子ども達が勉強しだしました。
そこで使われていた教科書を「往来物」って言うんだけど、その地域の事、農民向けの書、商人向けの書、って色々な種類があったわけなんです。系統ごとに書かれていて学んでいたんだね。
読むこととそろばんを一緒に勉強なんて無理なので。
そんな教訓を生かして、今の時代でも復習をすれば乗り越えられる!のかな?というと、無理です。
はっきり言って意味ないです。
三角関数の加法定理を三角比から導きだせたら、そりゃつまずいていません。 それどころか、すごすぎます。
その単元にこだわって、ゆっくり理解しようとする、前の系統的な単元を復習する、どちらも効率が悪い、逆に遠回り。
重要なのは「基礎」絶対に。
「数学の基礎」 何をもって基礎というか、結構勘違いされやすいんですけど、数学の基礎、全単元の問題を解けるっていう事なんです。
中学生で言えば、2次方程式が解けません、その時に前にさかのぼって連立方程式の復習をすれば2次方程式解けるようになる??ならないです。
絶対にそんな事はないです。
ここで「基礎」
基礎って、その響きだけで結構甘く見られがちですよね。
「高校2年数学基礎講座」 予備校でこういう講座があったとして、どんな印象でしょう?偏差値50以下、そんな印象かな。
それは「基礎」ではなくて「入門」です。 問題集で「基礎」「標準」「応用・発展」があるとします。
この「基礎編」これを完璧にするだけで偏差値60はいきます。全範囲をサクッと解けるようになる、意外と難しいんです。全範囲、共通テストですよね、80点くらい、これが基礎です。
泥沼にはまらならいようにするには、難しいな、躓いているな、もう数学嫌だな、でも、そこで投げ出してしまったらもったいないじゃない。今までの苦労を一気に捨てる。
高校生ぐらいになるとそういう子も出始めます。
薬学部目指していました。数学が難しい。 「私、実は文系なの」でた~、というもったいない子、結構います。
そういう時はもう、その単元は「応用」こんなページは飛ばした方がいいです。
もう、手を付けない。
でも、そうすると、成績が下がるんでは、こういう不安に駆られます。 ないです、絶対にそんな事はないです。
中3でたすき掛けの因数分解ができない、たすき掛けの因数分解は「基礎」ではないですよね、飛ばします。やらない。手を付けない。
因数分解は基本的な「共通因数をくくる」「乗法公式を使う」で終わり、もう自信を持って次の単元へ行きましょう。
そして、章末問題など一定の区切りがいい所まで頑張れたとします。 そうすると「基礎」を理解できている子はなんとなくだけど展開からでも「たすき掛けの因数分解」に気が付きだすんです。
(3x+4)(2xー2)最初に6x^2がでますよね。 この6は言うまでもなく3×2、もしかして、3と2を書きだしたのは・・・あれ? こういう感じで気が付き始めるんです。
そういうタイミングを待って、何かひらめき始めたら「無理だな~」って難しく感じた単元に戻る、こうすると結構早く理解できるようになります。
難易度がA<B<Cとします。
みんな、それぞれ単元ごとにA、B、Cってできるようになって次、これは良く言えば「真面目過ぎ」悪く言えば「基礎をなめすぎ」
厳しいって感じたらA、A、Aで最後まで進める。総復習する。その時にA、B、Aとなってたら儲けもの。
そして進める、頑張る、次にB、B、Aとなってたら儲けもの。それでも頑張る、コツコツ頑張る、総復習する。B、B、Bとなっていたら儲けもの、というか、この時に成績が爆発します!
僕は、中学生の時は数学で「難しい」って感じた時はありませんでした。
でも、高校生、高校2年生だったかな、全然理解できない、意味わからない、どうしよう。そういう時期がありました。
そんな時に「漢文」とか勉強しだしてた。 そう「僕は文系かもしれないから」とか、わけわからない事言いだして。
今思えば、単元、単元で、深く深くって焦り過ぎてた。それは数学が苦手になる落とし穴なんだって今は断言できます。
高校2年で微分、なんか今一ピンとこない、でも、高3で微分がまた出てくる、この時には不思議なもので高校2年生で習う微分の範囲がピンとこない、こんな問題は解消されています。
知らぬ間に1年間分の数学の力が蓄積されているので、乗り切れてしまうんです。
「微分とは」が違う角度からも見れるようになっているから、とでも言っていいかな。
すり鉢型の学習、とも言いますよね。
新学年が始まって、今まで得意教科だった科目も一気に自信喪失、あります。
特に難関校を目指している子ども達は絶対にそういう時が来ます。
来ない子は、成績伸びてない子です。
それでも「基礎」のレベルだけは完璧!!これで満足して大いに結構!!
そこで逃げないことが一番大切。
3か月後、半年後、1年後かもしれない「こんな事だったのか、やらないでもよかったんじゃん!」こうなる。
この4月で受験生になる子ども達は特にね「基礎」
この大切さに気が付いて頑張っていきましょうね!!
都立高校入試まであと10日を切りました!!
僕の居る教室では中学3年生がほぼ毎日自習に来てラストスパートで活気づいていますよね。
都立高校の入試問題は国語の1⃣2⃣は漢字、数学はもうすべて同じ構成、仮に「数学は絶対ダメ!!」こういう受験生でも1⃣と証明問題を何が何でも書く、これだけで50点はいきます。
証明問題の解答欄が白紙、これはもう、ありえないです。ダメ、絶対にダメ!!
何でもいいから書く、本当に何でもいい、数学的な記述が全くできない、だったら作文みたいに時間の許す限り書く、これしないで「数学はダメ!!」これは無い。
中学生の数学では合同条件だの相似条件だの、それらを根拠として、だから、こう言えます。こういう証明の構成になるよね。でも、こんな事誰も決めてないのよ、実は。 書き方なんてど~でもいいの。
最初から最後まで読んで、採点官が「そうだよね」こう感じてくれたら満点、こんなものなの。
「条件」を使わなくても「背理法」「転換法」をはじめ、証明の書き方なんていくらでもある、中学校で習う数学はその入り口に過ぎなくて、自分で「これはダメだ」こう思ってしまう事が一番ダメだよね。
「仮定より・・・・」そんな言葉どうでもいいのよ、ホントに。
「題意より・・・・」これでいい。「題意」っていうのは問題文の意味、問題文で書いてあること、という意味なのね。どう書いてもいいんです。自分で決めない事、です。
受験生が諦めたら我々業界人は、誰も手助けしてくれない、確実に。
でも、最後の最後、1週間前、1日前、1時間前、受験生が諦めていないならとことん付き合うし、これ明日まで、これ明後日まで、いくらでも最短距離で引っ張っていきます。
なので、絶対にあきらめないで欲しいんだな。
さて、数学を指導する土台として体力と問題演習、特に自分で解答を作る。 これで、まあ、社員と言っていいレベルなのかな、という点まで記事にさせて頂きました。
今でこそね、偉そうに書いているけど、僕でも「やってられるか!」そう思いながらだった。でも、今の時期では受験生よね、まあ1年後、2年後、3年後、4年後の受験生と目の前の子ども達を見るならば、その思いは消える。
そういう意味では自分も子ども達から仕事のエネルギーをもらっているし、もっと上、もっと上、こういう思考回路にもなる。
弱気になる受験生もいるでしょう、一緒に弱気になってたらどうしようもないの。
と言っても激励、これはね、受験生からすれば
「聴き飽きました」
具体的に、を求めているのが受験生なので。
これは、自分が滅茶苦茶しんどい思いをしていないから、受験生が弱気になる理由もわからん。同じ目線に立てない。
子ども達の前で演技するな!そう思えてしまうんですよね。
「20校7年間、解き終わった?」「別の問き方で20校7年間」これ最初に上司に言われた時は嫌がらせなのかな?とか本気で考えてましたよね。これ無理じゃないかな、僕もスタートはそこから。
学生気分の勘違い授業という訳にはいかないので。
授業の準備はあるし、会議はあるし、なんなんだよ!これが20代の自分の本音でしたかね。
でも、絶対に財産になるので、2回目の解答作り、これは参考書を見ながらでもいいの。 やってみてください。やらないでもいいけど、だったら時間講師でいいかな、ってなってしまうので。
土台を自分で作り、その、土台を授業で活かせなければ話にならないよね。
授業中、という事に次はなりますかね。
予備校では「講義」授業ではない、講師が一方的に話し、受講生が着いていく、これが基本です。だから色んな講師、色んな講座があるんだろうね。
塾業界では「授業」です。そして授業である以上、こちらから説明もすれば子ども達からもどんどん話してもらうようにする、この空間を作る。
これは簡単なようでかなり難しい、なので別の記事にします。
授業中の僕の思考回路を書かせてもらいますね。
教科が違うと、参考にならない部分もありますので、その点はご容赦を。
問題を解かせて、一定時間の間を開けて、順に答えてもらう。
自信満々で答えてくれても違う、誤答、珍しくない光景です。
「違うな、誰か自信のある子いる?」
それで、正解を答えてくれた所で終わり、その後は
「いいね!」「すごいね!」「よく頑張ったね!」「できるようになったじゃん!」」単純にバカです。
やや難しめの問題に取り組み、考え方も完璧
”いい””すごい””よく頑張った””できるようになった”
そのまんまです。
この場合、子ども達の数学の力はupしてません。むしろ時間の無駄で、次に進んだ方が良かった。
ここなんですよね。ここで「ほめて伸ばす」この意味がわけわからない、と書かせてもらったのはここなんです。
問題解かせて、完璧に正解できた、これはただの確認です。むしろ、例題を説明している時間に子ども達の反応をみて演習時間を削るべきです。
その段階で「ここはいけるな」予測できる筈なんです。予測できるように子ども達を見渡してください。
あの~、どんな場面でも意味のない事をしている時間、これほど苦痛なものはないんです。
極端な例でですよ。ラーメン屋さんでね、注文を取りに行きます。メニューを見ながら
「ええ、ラーメンは600円ですか?」「はい」
「ええ、炒飯は700円ですか?」「はい」
「餃子は550円ですか?」「はい」
これ、なんなんだこいつは!そう思わないとしたら神様、仏様ですよ。
それと同じ事を悪意はないのかもしれませんが、若いうちは子ども達にしてしまいがちなんです。そんな確認の為に通塾させているのではない!!これ親御さんの本音ですよ。 絶対に意味のない時間です。
成績、模試、見て下さい。こんな授業していたら絶対に上がってない筈です。 サルが芸やって出来たら餌あげるとは訳が違うんです。
面倒くさい、つまらない、でも解けるようになりたい。 これは親御さんのみならず子ども達の本音。
ささっと解けてしまう子ども達に対して「すごいね!」全然すごくないです。 成長してないので。
授業中では「自信満々で答えてくれたけど間違えてしまった子」この子がキー、僕はそう考えています。
そう考えています、というか、そう考えながら授業して何十年、それで結果出しているので、そうなんでしょうね。
例えば、文章題において
「時速30㎞です!」
この時に「違うんだな~」だから何? 内向的な子だと少し自信なくしちゃいますよね。
この「30」という数字がどうしたら出てくるのか、それを話しながら頭の中で考えるんです。
瞬時に思いつかない時もあります。これ仕方ないです。
「もう1人聴いてみるかな~」
語弊があるかもしれませんが時間稼ぎです。その間は頭の中はフル回転で「30」これが出てくる数式を全部考えまくります。
分速と時速を合わせてないのかな? 式書いて掛算割算の部分先に計算したか?
移項で符号変えないと・・、色んな事を考えまくってます。
頑張って「30」という答えを出した、間違い。
「どうしてそうなったの?」
その理由を聞いても「違うのかな?恥ずかしいな?」こう思ってしまったら子ども達は「わからなかった」「なんとなく式作ってみた」こんな言葉で本音は言わない。
照れ隠し、とでもいうのかな。
2人に当てると、答えが違う、最初の子が間違えてればこうなる訳で。クラスに1人でも間違えていれば「みんなで考えてみるか」これでいい。
解説しながら「ああ、これ、単位合わせないと・・、おお!そうか、二人の答えが違ったのは、ここからか???」子ども達に気が付かせる事、その方が成長幅が格段に大きいんです。
コーチング、まではいきませんけど。自分でもあえて間違える方向で解説を進める技術。
子ども達は大人が間違える、そうしますとね「違うじゃん!何言ってんの先生!!」色んな反応を示してくれます。
この間に最初に間違えてしまった子も「やべ、先生と同じことした」こうなってくれたらそれでいい。
そういう授業スタンスの方が時間内に個々の弱点が解り、説教的に発言してくれるようになり、次の授業ではもっともっと個々の弱点を把握する時間が短くなる、こうなるんですね。
授業中は、頭フル回転。
受験直前の講義形式、これなら今の僕でも120分3コマ連続、とかできますけど、こういうスタンスだと1コマ70分、3コマ連続の時間割ですとそれが限界。
最初は頭かなりしんどいですけどね、慣れれば体で覚えます、やってみてください。
子ども達には「間違い」という言葉を使わないで「なるほど」と答えつつも、何とかその誤答になるように誘導、そして子ども達の口から「違うじゃん!!」「先生何やってんの?」こう言わせるようにするんです。
その方が、授業楽しいじゃんね。
授業の時間って、先生がいかにすごいか、こんな事を示しても何にもならない。半年後、1年後、だまされてた、こういう恨みを買う時もあります。
自分を見てもらって「何やっってんだよ、先生!!符号が違うじゃん!!」「ああ、そうか」
子ども達は、絶対に時間と共にたくましくなっていきますよ。
参考にしてください。
最後までに読んでくれてありがとうございますね。
この記事は、受験生は読んでいるのかな?
こんな記事読まないでいいから漢字問題復習せい!!
最後まで気を抜かないようにして下さいね。
2024年2月1日、ブログをはじめてみようかな。
僕の最初の授業はもう、32年前、だね。
今、思うと、ボロボロ、あれは授業ではないね。かなりまずい、ぼったくり。
本当に申し訳ない授業が自分の第一歩だったな、と思います。
中学2年の数学だよね。説明しても子ども達の理解力はそれぞれな訳です。
進学塾って成績順でクラスを決めるじゃない。7クラスある中の7番目の数学、これが最初に任されたコマでした。
たしか、方程式の文章題の復習の時だったかな。
「わかんね~。」
こう、連発されてしまう訳です。
本人が「わからない」と言っているので、こちら側の説明が悪い、これは絶対。そうでないならば解答でもコピー、配って「読んどけや!」これでいい訳なんだよね。
でも、どこが解らないのかも解らない。とにかくわからない。日本語の授業に最終的にはなっちゃってた。
今の自分ならばね「問題文整理するぞ~」って導入からは入れるよね。
そこまでの余裕がなかったんだな、ここが若さゆえ、かな。
もう、そうすると子ども達も受け付けなくなる。
「あのさ、先生さ、本当に大学でてんの?」
「本当は何の教師?全然わかんね~んだけど」
もう、ここまでくると収拾がつかなくなるわけ、最悪の展開。
これが僕の最初の授業だったかな。
でも、今思えば良かった。最初の授業がこれでよかった、と思う。
自分が解っている事、当たり前の事でも、子ども達にしてみれば「わからない事」こうい事はいくらでもある。
「時計の長針が短針に追いつき・・・」
デジタルの時計に慣れてしまっている子からしてみれば、こんな事想像できるわけない。
「そんな奴いるのかよ」
こうも思いたくもなるが、それは自分の物差し。それで人の事も図るな、って話。
そんな授業から、今ではベテラン、ベテラン?ただのじじいなんだけど。
よくここまでやってこれたな、と思う。
今は、必要とされればどこにでもお邪魔しています。
やっぱり学校が1番ひどい、これは確実。 授業見学してて「これは子ども達理解できない」断言できる。
学校の教員でしっかりとした授業ができる教員は会った事ないな。
これはある意味致し方ないと同情する余地もあるかな、それはまた書かせてもらうとして。
まあ、思うがまま、忖度なしで、色々綴っていこうかな、そんなブログにしていけたらと思います。
宜しくお願いしますね。