いのち ありき
地は形なく
むなしく
やみが淵のおもてにあり
神の霊が水のおもてをおおっていた
神は「光あれ」と言われた
すると 光があった
マルシェ
秋澄むや天平よりの機の音
爽涼たる時候に響く音景色
宇咲冬男の五七五
ぼくらの「秋」とはそもそも
そういう心地よさ
そういうさわやかさ
そういうすがすがしさ
巷間に暮らす時間がぼくらの日常を
いつに変わりなくたおやかに
和気あいあいと流れていく
それが ぼくらの秋
なのに いま
ぼくらが息するマルシェの空気に時候のおもむきは
ない
いにしえからの機の音はない
心地よさも さわやかさも すがすがしさも
ない
たおやかさや和気あいあいは ない
突然わき出た騒ぎの音 音 音・・・
おのが名を叫ぶ拡声器の声
罵倒し合うあの国とかの国の領袖ふたり
チビのロケットマンと狂つた老いぼれ
勇ましくも威勢のいい面持ちがテレビをジャックし
巷をにぎわす
好戦的な言葉がこれでもかこれでもかと飛び交う
やさしかつた自然もこれに与するのか
わたしのあの人があそこで
ぼくのかの人もあつちで・・・
あなたまで恐ろしく猛々しい形相をして挑みかかるとは
きようもまた
それらのかたわらで
一つのいのちが置き去りにされていく
「命」が失われていく
そして「いのち」も失われていく
愛するため
いつのことだつたか
ふたりのため 世界はあるの
と 世間はわが身の幸いを謳歌した
佐良直美だつたろうか 歌つたのは
いつのことだろう
きみは愛されるため生まれた
と おのが身の幸いを告げる歌が教会にあふれ始めたのは
ゴスペルだつたろうか 事の始まりは
そう
ぼくらはだれもが享受したい
人生を
ぼくらはだれもが愛されたい
だれかしらから
それがなくつちや
そう
それがなくつちや
でもね
あれからもう五十年もたつてるんだぜ
佐良直美のボーイッシュから
そう
あれからもう何年たつか知つてるかい
ゴスペルの甘美から
もうそろそろ次の一節に進むころじやないだろうか
世界のため ふたりはいるの と
ぼくらは愛するため生まれた と
受けるよりは与えるほうが幸いである
と あの方も言つておられるわけだし
そして 聖書の福音というのは結局
信ずる者たちをそこにまで押し出していくんだろうから
そうでなければ
教会つていつたい何なんだろう
ご利益の救い場でなし 安価な癒やし場でもなし
趣味の歌声広場でなし 休日のお食事処でもなし
ぼくの行きたいところは 自分を満たすその先のあるところ
そこにあることがすなわち みずからを満たすことであるところ
与えることがつまり 受けることであるところ
自分を超えたなにがしかに目をやりたい
自分を引き上げてくれるなにがしかを見たい
でも それでもしも愛してもらえなかつたら?
うん 愛してもらえないかもね
でも 問われているのはこのぼくがどうするか
どうこうしてもらいたいを超えて
ただそれだけなんじやないかなあ
先駆ける
生命軽視 貧困 反民主主義 反知性 精神的なるものの希薄化 徒党
ポピュリズム 権力欲 利己 議論の忌避 全体主義 軍靴の音 格差
人工知能の越境 サイボーグ 中央集権 数の論理 憲法軽視 裏工作
狡猾 排除 弱者の切り捨て 人権侵害 憎悪 対立 保身 虚偽 隠蔽
自己顕示 差別 レッテル 力学 人心操作 威嚇 恫喝 愚弄 偏見
支配 煽動 野心 詭弁 ポーズ パフォーマンス 言論封殺
思想・信条・良心の自由の抑圧 理想の揶揄 好戦 即物 効率主義
成果主義 国粋主義 形式偏重 内実軽視 歴史無視 人間性の劣化
生命倫理の欠如 人間の物化 現状肯定 異論の締め出し 小手先の安定志向・・・
時代はいま
混沌のなかに
このとき
先を照らす光はどこに
行く手を導く時代の光源はどこに
教会に それを期待しうるだろうか
教会に それを期待してもよいだろうか
へびのように賢い
鋭く深く的確な現状認識と
はとのように素直な
信ずるところへの真つすぐさとを
キリストの教会というそのところは かつて
光をそのようにかざしていた
戦前も戦後も 光源をそのように灯してきた
何度もくりかえして
このとき いま一度
そのように期待させてくれるだろうか
混沌に「光あれ」と そこから声が聞こえてくるのを
時代の良心はもちろん
知性の出現をも期待しつつ
こうして
いのちの秩序を取り戻すこと
いつだつて すべては「命ありき」で
そして「いのち ありき」なのだから
ぼくは期待させてほしいのだ
キリストの十字架が立つ教会に
いのちの十字架の立てる教会に
光の十字架の立てる教会に
救いの十字架の立てる教会に
そして
希望の十字架の立てる教会に
十字架はいのちを先駆けるのだろうから
©︎綿菅 道一、2017
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