怪談 黒の森 20

「……さて、ケリをつけに行こうかの」
　坊様は言うと、数珠と錫杖を手に立ち上がった。
「……うむ……」
　藤島は食べ終えた串を囲炉裏に投げ込むと、立ち上がりざまに刀を腰に手挟んだ。
「それで……　わたしらはどうすれば……」おくみが囲炉裏端に座ったままで不安な眼差しを坊様に向けた。「まさか、お千加さんと二人でここで待てなんておっしゃらないでしょうね」
「いや、そのつもりでおったのだが……」
「イヤですよ！　何かあったらどうするんですか！」
「何もないはずじゃがのう……」
「お坊様は、はずじゃとか、かもしれんとかばかりで、頼りないじゃありませんか！」
「いや、そう言われると、面目ない……」坊様はぽりぽりと頭を掻いた。「じゃあ、どうするね？」
「一緒に行きますよ！」
「それは止めた方が良い」藤島がお千加を見ながら言う。「万が一、憑かれぬとも限らぬ」
「それはここに居ても同じでしょうよ」おくみが二人を見る。「それに、何かあっても、藤島様やお坊様がいらっしゃれば心強いじゃありませんか」
「……わたしも、ここに居るのは恐ろしいです」お千加は言って、ちらと藤島を見る。「頼れる方の傍に居たい……」
「お坊様、決まりですね」おくみが勝ち誇ったように言う。「こうなりゃ、諦めてくださいな」
「ははは、おくみさんには負けるわい……」
　坊様は言うと座り直し、床に転がっている手拭いを二つに裂いた。それから、先端が炭になった小枝を囲炉裏から掴み出し、裂いた手拭いに小枝の炭で何やら書き出した。それが終わると、小枝を囲炉裏に放り込み、手拭いをおくみとお千加に差し出した。二人は受け取った。おくみがそれぞれを見比べると、どちらにも幾つかの文字が人の形を作るように並んでいる。
「お坊様、これは……？」おくみが不思議そうな顔を坊様に向ける。「……なんだか薄気味悪いですよ……」
「そんな事を言ってはならんぞ」坊様は言うとにやりと笑う。「これは護符だ。いざと言う時には守ってくれる。肌身離さず持っていることだ」
「護符で……」
「そうじゃ」坊様はうなずき、藤島を見る。「藤島さんの袂にも入っておるよ」
「……ほう、いつの間に」
　藤島は袂に手を入れて探ると、おくみたちと同じく手拭いを裂いたような布が出てきた。おくみは、坊様が邪教の法を使う際に硬くなった藤島の袂に入れた話を思い出し、くすっと笑った。藤島はぎろりとおくみを見る。おくみはすっと視線を避けて下を向いた。
「さあ、行こうかの……」
　坊様は言うと再び立ち上がった。おくみもお千加も立ち上がる。
　途端に地が大きく揺れ、小屋が軋った。女たちは悲鳴を上げた。
「御坊！」藤島が壁に手を付き、揺れに耐えながら叫ぶ。「やはり、森の主とやらが邪魔をしておるのか？」
　坊様はそれに答えず、揺れの中で微動もせず立っている。低い声で念仏を唱え始めた。揺れが激しくなった。坊様以外は座り込んでしまった。お千加は悲鳴を上げながら藤島に縋り付いた。おくみは頭を抱えて四つん這いになって尻をつんと突き上げた格好のままで悲鳴を上げている。坊様はそれらに構わず、ずっと念仏を唱え続ける。唱えながら錫杖を高く持ち上げ、一気に床に突き立てた。揺れが止まった。
「さ、行こうかの」
　坊様は何事も無かったかのように言うと、引き戸を開けた。引き戸から陽が強く射し込んで来る。坊様はふうと息を吐くと外に出た。藤島は立ち上がると坊様の後に続いた。お千加は座り込んだままで顔を藤島に向ける。おくみはようやっと頭を上げた。
「お千加さん、大丈夫かい……」
　おくみは言う。お千加は藤島からおくみへ顔を向けた。
「はい、何とか……」お千加は言いながら立ち上がった。「わたしたちも行きましょう」
「そうだね」おくみも立ち上がったが、ふらふらとよろけてしまった。「ははは、腰が抜けちまったようだ。大丈夫じゃなかったのは、わたしの方だねぇ……」
　お千加が肩を貸し、何とかおくみは外に出ることができた。
「おや、どうしたね？」坊様が二人を見て言う。それからおくみに笑いかける。「おくみさん、腰が抜けたかい？」
「はい、何とも、足手纏いで……」
　坊様はおくみの背後に回ると、短く念仏を唱え、おくみの腰をぽんぽんと二度軽く叩いた。
「あら！」おくみは驚いた顔で坊様に振り返る。「驚いた……　腰がしゃんとしましたよ！」
「それは良かったのう」坊様は笑顔でうなずく。しかし、すぐに真顔になった。「……では行こうかの。藤島さん、案内を頼みますよ」


つづく