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怪談 黒の森 23

2020年04月28日 | 怪談 黒の森(全30話完結)
 坊様は平然と立っている。……お坊様にもあの黒い霧が見えないの? おくみははらはらしながら坊様を見ている。
 不意に坊様は手にした錫杖を再び地に突き立てた。それから、小馬鹿にしたような表情で自分の足元を見下ろした。……お坊様には見えていたんだ。おくみはほっとする。坊様のその雰囲気に気圧されたのか、霧が坊様の足から離れ始めた。
「祠の意を借る大たわけ者が!」坊様は足元の黒い霧を叱りつける。「為す術を失うと、直の攻めしか浮かばぬか! 所詮はこの程度の大たわけじゃ!」
 坊様は祠に向き直る。黒い霧は祠を包み込んだ。そして、行き場を失ったかのように蠢いている。
「ははは、何が『我が地を荒らす者ども』か! 何が『許さぬ』か! 祠に祀られておる神を騙る不届き者めが!」
 坊様は馬鹿にしたように笑い飛ばす。祠が揺れ始めた。祠の中から唸り声が立った。
「ははは、悔しいか? 大たわけの小者風情めが!」
 坊様はさらに囃し立てた。祠の揺れが激しくなり、唸り声も増した。
「藤島様!」
 おくみは、お千加の横に片膝を付いている藤島の傍に寄った。
「どうしたのだ?」藤島は怪訝な顔をしておくみを見る。おくみの目は祠の怪異に釘付けとなっている。藤島はその視線を追い、祠を見た。「何があったのだ?」
「……藤島様にはあれが見えないんで?」
「祠か?」藤島は戸惑いの表情を濃くする。「……御坊が一人で何やら言っておるようだが……」
 やっぱり、藤島様には見えていないんだ! おくみはぞっとした。……あんな恐ろしいもの、わたしだって見たくも聞きたくもないよ! おくみは両手で耳を塞ぎ、目を閉じた。
「おくみ、どうしたと言うのだ?」
 藤島は立ち上がって、おくみの肩を掴むと揺さぶった。しかし、おくみは頭を左右に振るばかりだった。
「御坊!」藤島が坊様に大声で言う。坊様が振り向いた。「おくみの様子が変なのだ!」
「……いえ、大丈夫、何ともありゃしませんよ!」
 おくみは言うと、両手を耳から放し、目も開いた。塞いだ耳でも藤島の大きな声は聞こえていた。今はお坊様と祠の魔物との戦いの最中だ、わたしのせいで台無しになっちゃあ申し訳がないわさ、おくみは怖さよりもその思いが先に立った。
「そうかい、大丈夫かい」
 おくみの様子を見て、坊様は言うとにやりと笑った。……ひょっとして、お坊様はわたしがあれこれ見えていることに気が付いているのかもしれない。おくみは思った。襟元に入れてある護符を上からそっと抑える。
 坊様は再び祠に向き直る。
「どうした? 今が絶好の攻め時であったろう? 拙僧が他所を向いたと言うのに、何一つ仕掛けられなんだのか? 姿が分からぬうちはあれほど居丈高であったと言うに、こうして目の前にすると、何一つ出来んのか? この大たわけの小者めが!」
 坊様は祠に向かって愚弄の言葉を続ける。祠を包んだ黒い霧は炎のようにいきり立っているが、すぐ目の前に立つ坊様には伸びて来ない。明らかに坊様の威圧に気圧されていた。
「勝った!」
 その様子を見て、おくみは思わず声を上げた。
「どう言う事だ?」
 藤島は坊様とおくみを交互に見ながら言う。合点が行かぬようだ。
 坊様は首に掛けていた数珠を右手に持った。目を閉じ、念仏を唱え出した。黒い霧は坊様の低い声で唱えられる念仏に縛りつけられるように、そのいきり立った動きを弱めて行く。呻り声も細くなって行く。
 不意に坊様は念仏を止め、目を見開き、数珠を持った右手を高々と上げた。
「観念せい!」
 坊様は一喝すると、祠に数珠を打ち付けた。祠を包んでいた黒い霧が四方へ飛び散り消えた。細くなった呻り声も止んだ。
 坊様は数珠を首に掛け直すと、改めて祠の観音開きになっている扉に手を伸ばした。


つづく

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