津城寛文・匡徹の徒然草Shiloh's Blog

時事問題や世間話その他に関して雑感を記し、著書その他の宣伝、関係者への連絡も載せています。

羞恥心・倫理観・罪悪感を、「脱ぎ捨てる」から「研ぎ澄ます」へ

2024年04月15日 | 日記
 ポリティックスというのは、社会集団の公共事を仕切ることです。一つの家に譬えると、家族の働き手が生産した物品や、稼いだ現金を、家全体や非生産世代(年寄りや子供など)のために、どう配分するか、どの部屋を誰が使うか、共有部分はどう使うか、決めなければなりません。仕切り役は、表向きは世帯主、裏では主婦だったり、いずれにしても、愚かだったり、「自己中」だったりすると、他の家族は実害を蒙ります。実買いが大きくなれば、家計の仕切り役を変えねばなりません。

 一つの家くらいであっても、支払い、納税、貯蓄の手続き、家屋やガス、水道、電気機器のメンテナンス、場合によっては投資も考慮しなくてはなりませんが、日々の生活に直結するので、いやでもやらざるをえません。一国の政治も同様で、仕切り役(集団)が愚かで自己中だと、既得権益を持った利益集団以外の国民は、実害を蒙ります。実害が大きくなったら、国の政治や経済の仕切り役を変えて、少しでも立派な人に、いやでもやってもらわねばなりません。

 一家と一国が違うのは、「誰かやるだろう」という範囲が、一国では数百万倍になることですから、出たがりでない人は、敢えて引き受けようとしません。出たがり、目立ちたがりな人は、出やすいでしょう。出たがり、目立ちたがりだけなら、いいのですが、えてしてそういう人は、権力と地位と高給、プラス、賄賂と裏金その他が欲しい人が多いようです。

 稀に、視野が広く、責任感、使命感が強く、倫理的にも高潔な方もおられますが、立派だった人も、「人格を変えなければやってられない」と開き直って、 羞恥心・倫理観・罪悪感を脱ぎ捨てて、同じ穴の狢になることが少なくありませんでした。これでは、愚劣と悪行の再生産です。

 羞恥心・倫理観・罪悪感の強い人は、それを「脱ぎ捨てる」ことをしてでも、 もともと羞恥心・倫理観・罪悪感のない仕切り屋を、まずはその地位から追放することが、最初の一歩にはなります。根っからの恥知らず・不倫者・悪人が、これで少なくなっていきます。

 次の段階は、羞恥心・倫理観・罪悪感を「研ぎ澄ます」ことで、大義(本来の高潔な意味)のために小さな羞恥心を捨て、敢えて客寄せパンダにもなり、倫理観・罪悪感をさらに強化して、大義のために働く人が増えることです。

 第一歩の人も、次の段階の人も、これまでよりは多少とも立派な人が、あちこちに出てきて、仕切り役の新陳代謝が起こりはじめたようです。このような若い人たちがさらに活躍しやすくなるよう、われわれ年寄りは、それぞれの持ち場で、援護射撃をしなければなりません。
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