1月27~29日、京都大学の鎌田東二教授を代表とする科研(科件A、「身心変容技法の比較宗教学」)の研究会その他が、京都大学その他で行われ、3日間参加してきました。細かい内容はホームページをご覧ください。
初日が公開シンポジウム、2日めが研究会、3日めは法然院における「ありがとう念仏」の実習に参加させていただきました。どれもすばらしかったのですが、とくに3日め、早めに宿を出て百万遍の知恩寺の前を通りかかり、中に入ると、法然上人の御影像があり、20分ほど、参拝者がほかにいない時間を過ごさせていただきました。法然上人はハンサムな方で、いろいろなエピソードがあるとおり、端正なお像でした。3日目は、鹿ケ谷にある法然院で、町田宗鳳先生のご指導による「ありがとう」念仏を実習させいただきました。断片的なエピソードを見る限り、私は日本仏教では、法然上人と一遍上人に心引かれておりますので、今回ははじめておそば近くに寄らせていただいた気がしました。町田先生と鎌田先生のご対談では、応仁の乱の話なども出て、12世紀に思いを馳せました。
帰りの新幹線で、弁当を食べから、しばしうとうとしていると、寒気、悪寒、吐き気、腹痛が強くなり、上げるわ下すわで何度もトイレに駆け込みました。おそらく、寒さその他の疲れに加えて、お参りや称名で積年の穢れ(の一部)が出たのと、都の戦乱の記憶の一端に触れたのではないか、などと想像しながら、やっとの思いで東京郊外に帰り着きました。
鎌田先生の科研は、私なりに単純化すると、宗教の実践と理論をどう組み合わせるか、という研究だと思います(偏った勝手な見方で、叱られるかもしれません・・・)。実践と理論を組み合わせるのは、1つの宗教研究のあり方として基本であると、ずっと思っておりますので、理系と文系が参加したこの科研は、出席が苦にならない研究会です(出席が苦になる研究会も多いので・・・)。
この報告書が年度末には出ることになっており、私は原稿をすでに出しました。「早いのが取り得」というギャグが昔ありましたように、私は原稿の締め切りを破ったことがなく(例外は勘違いして出しおくれた1回のみ)、「執筆者の鏡」と自賛しております。報告書は鎌田科研のホームページ上で見ることができますので、そちらをご参照ください。
その原稿を、知人の新進気鋭の臨床心理学者に読んでいただいたいのですが、「宗教そのもの」という捉え方、「今ここ」の批判に関して、批判、疑義を呈されました。
「宗教そのもの」という言葉については、「宗教」は組織宗教の連想が強く、抑圧的になるのではないか、また心理学も同じような問題を扱っているので、用語として狭すぎるのでは、といったご指摘でした。
じっさい「宗教」に代えて、古くは「信仰」、最近では「スピリチュアリティ」などの価値語が工夫・提案されているわけですが、どのような言葉でも、同じ問題がいずれ出てくるように思いますので、私は個人的には、「所属」や「専門」の問題もあって、「宗教」という言葉でいいのではないかと思っております。他方、臨床心理学にも、宗教的な修行や治病儀礼と区別のつかない実践があり(というより、宗教をヒント、背景とする、宗教色を脱色したものがあり)、文脈の違い(濃淡)だけで、「宗教」がひきずる恐怖や抑圧のある文脈よりは、「心理学」のほうが無害かもしれないとも思われます。
名称や看板は、一種の政治になるとはいえ、重要でもあります。用語の問題は、これかれも論じ続けられるでしょう。
もう1つは、私が随所で悪口を言っている「今ここ」主義批判についてです。拙著『社会的宗教と他界的宗教のあいだ――見え隠れする死者』(世界思想社、2011)以来、私はウィルバー批判と絡めて、これを言い続けています。ウィルバーだけ責めるのはたしかに言いがかりですが、一番のビッグネームではあり、一味の代表者として、ターゲットにしました。
瞬間を努力するという価値観はすばらしい一方、永遠の広大な世界が「今ここ」に縮減するため、とくに達人ならぬ一般人(私自身を含めて)の宗教性(スピリチュアリティ、信仰その他)の成長・成熟には、かえって抑制的になることがあるように思います。永遠を「今ここ」凝縮できるほどの達人は、例外的であろうと思います。簡単にいうと、「今ここ」主義は、十牛図の結論に居座る口実になりがちです。死後その他のプチ非日常を思うことで、私たちのような怠惰な(霊的な意味で。現世的な意味では、結構多くの人がモルモットのように休み無く車輪を回しています)者どもも、少しは広い世界に一歩を踏み出すことになるようです。すくなくとも、死後にはじまる遠く長い旅を考えることで、私自身の生き方は、そうでないときよりも、密度が高くなっております。周囲の凡人たちの生き方と考え合わせても、死後を思うことは、ベターな態度であろうというのが、現時点の私の個人的な結論です。
初日が公開シンポジウム、2日めが研究会、3日めは法然院における「ありがとう念仏」の実習に参加させていただきました。どれもすばらしかったのですが、とくに3日め、早めに宿を出て百万遍の知恩寺の前を通りかかり、中に入ると、法然上人の御影像があり、20分ほど、参拝者がほかにいない時間を過ごさせていただきました。法然上人はハンサムな方で、いろいろなエピソードがあるとおり、端正なお像でした。3日目は、鹿ケ谷にある法然院で、町田宗鳳先生のご指導による「ありがとう」念仏を実習させいただきました。断片的なエピソードを見る限り、私は日本仏教では、法然上人と一遍上人に心引かれておりますので、今回ははじめておそば近くに寄らせていただいた気がしました。町田先生と鎌田先生のご対談では、応仁の乱の話なども出て、12世紀に思いを馳せました。
帰りの新幹線で、弁当を食べから、しばしうとうとしていると、寒気、悪寒、吐き気、腹痛が強くなり、上げるわ下すわで何度もトイレに駆け込みました。おそらく、寒さその他の疲れに加えて、お参りや称名で積年の穢れ(の一部)が出たのと、都の戦乱の記憶の一端に触れたのではないか、などと想像しながら、やっとの思いで東京郊外に帰り着きました。
鎌田先生の科研は、私なりに単純化すると、宗教の実践と理論をどう組み合わせるか、という研究だと思います(偏った勝手な見方で、叱られるかもしれません・・・)。実践と理論を組み合わせるのは、1つの宗教研究のあり方として基本であると、ずっと思っておりますので、理系と文系が参加したこの科研は、出席が苦にならない研究会です(出席が苦になる研究会も多いので・・・)。
この報告書が年度末には出ることになっており、私は原稿をすでに出しました。「早いのが取り得」というギャグが昔ありましたように、私は原稿の締め切りを破ったことがなく(例外は勘違いして出しおくれた1回のみ)、「執筆者の鏡」と自賛しております。報告書は鎌田科研のホームページ上で見ることができますので、そちらをご参照ください。
その原稿を、知人の新進気鋭の臨床心理学者に読んでいただいたいのですが、「宗教そのもの」という捉え方、「今ここ」の批判に関して、批判、疑義を呈されました。
「宗教そのもの」という言葉については、「宗教」は組織宗教の連想が強く、抑圧的になるのではないか、また心理学も同じような問題を扱っているので、用語として狭すぎるのでは、といったご指摘でした。
じっさい「宗教」に代えて、古くは「信仰」、最近では「スピリチュアリティ」などの価値語が工夫・提案されているわけですが、どのような言葉でも、同じ問題がいずれ出てくるように思いますので、私は個人的には、「所属」や「専門」の問題もあって、「宗教」という言葉でいいのではないかと思っております。他方、臨床心理学にも、宗教的な修行や治病儀礼と区別のつかない実践があり(というより、宗教をヒント、背景とする、宗教色を脱色したものがあり)、文脈の違い(濃淡)だけで、「宗教」がひきずる恐怖や抑圧のある文脈よりは、「心理学」のほうが無害かもしれないとも思われます。
名称や看板は、一種の政治になるとはいえ、重要でもあります。用語の問題は、これかれも論じ続けられるでしょう。
もう1つは、私が随所で悪口を言っている「今ここ」主義批判についてです。拙著『社会的宗教と他界的宗教のあいだ――見え隠れする死者』(世界思想社、2011)以来、私はウィルバー批判と絡めて、これを言い続けています。ウィルバーだけ責めるのはたしかに言いがかりですが、一番のビッグネームではあり、一味の代表者として、ターゲットにしました。
瞬間を努力するという価値観はすばらしい一方、永遠の広大な世界が「今ここ」に縮減するため、とくに達人ならぬ一般人(私自身を含めて)の宗教性(スピリチュアリティ、信仰その他)の成長・成熟には、かえって抑制的になることがあるように思います。永遠を「今ここ」凝縮できるほどの達人は、例外的であろうと思います。簡単にいうと、「今ここ」主義は、十牛図の結論に居座る口実になりがちです。死後その他のプチ非日常を思うことで、私たちのような怠惰な(霊的な意味で。現世的な意味では、結構多くの人がモルモットのように休み無く車輪を回しています)者どもも、少しは広い世界に一歩を踏み出すことになるようです。すくなくとも、死後にはじまる遠く長い旅を考えることで、私自身の生き方は、そうでないときよりも、密度が高くなっております。周囲の凡人たちの生き方と考え合わせても、死後を思うことは、ベターな態度であろうというのが、現時点の私の個人的な結論です。