下記は、今日のネット記事の引用です(※コピーしておりますが、無断引用ではなく、これを材料にコメントをしますので、「コピペ」にはなりません。STAP細胞の論文に関連して、「コピペ」問題の深刻さを痛感した関係者は多いと思いますが、とりあえず手早い対処法は、とにかく出典を明記させることです。引用だらけの論文は、不細工で頭が悪く、CかDになる可能性がありますが、少なくとも剽窃にはなりません。剽窃は不正行為ですから、懲戒の対象になります。どちらか「得」か、正常な損得勘定があれば、答えはわかりきっています)。
フジテレビ系(FNN) 3月24日(月)21時44分配信
厚生労働省は、死が迫った際の終末期の医療について、国民の半分以上が家族と話し合ったことが「ない」とする報告書をまとめた。……終末期医療について、家族と話し合ったことが「ある」と答えた人は42.2%で、「ない」と答えた人は55.9%だった。また、受けたい医療などについて、書面に記載しておく事前指示書を作成している人は、3.2%にとどまった。報告書では、終末期医療について、より関心を持ってもらうため、看護師などの相談員を配置することが盛り込まれた。
この取り組みは、基本的にはいいことだと、私は思います。前に、府中市のエンディングノート配布や、千葉県の詩リビングウィルの啓蒙の取り組みを紹介したときと、同じ感想を持ちました。
役所の動機としては、意思表示のない終末期患者に対して、どこまで治療を行なうか、どこで止めるかという問題が、日々現場で起こっており、医療関係者が困っていたり、事件化したり、という事態を、少なくしたい、財政上も、ということでしょう。医療現場からは、命を助けるためには最前を尽くすという職業倫理と、終末期の歯止めのない医療に疑問と戸惑いの板挟みを感じる、という悩みを聞くことがあります。
批判する人によれば、リビングウィルを普及させることは、尊厳死を選ばせるようなソフトな誘導装置になる、ともされます。まったくの邪推とは言えないところがあるのは、ある高位の政治家が、「年寄がなかなか死なない」と失言(確言?)していたように、増大する一方の高齢者の医療費を減らしたいという財政感覚が、担当者にはあるからです。
とはいえ、「死を習う」「死を思う」ことは、古来の知恵でもあり、いつまでも生きたいという「不老不死」の願望は、あまり上等な生命観とはされてきませんでした。さりながら、「今は死にたくない」というのも人情でしょう。ある賢者は、「死ぬときのように生きると、大事なものとそうでないものが、区別できる」といっています。その他、死に関しては、古今東西の賢者・愚者が、さまざま名言(迷言)を残しています。参考にして、自分はどの賢者・愚者に近いか、調べてみると、いい勉強になるでしょう。
どちらにしても、夢の万能細胞ができるまでは人間の(肉体の)死亡率は100%ですから、死ぬときのことを考えておくのは、取り乱さないための心構えを培っておくという意味で、よいことだと思います。
参考:
平野国美『看取りの医者』
小学館文庫
フジテレビ系(FNN) 3月24日(月)21時44分配信
厚生労働省は、死が迫った際の終末期の医療について、国民の半分以上が家族と話し合ったことが「ない」とする報告書をまとめた。……終末期医療について、家族と話し合ったことが「ある」と答えた人は42.2%で、「ない」と答えた人は55.9%だった。また、受けたい医療などについて、書面に記載しておく事前指示書を作成している人は、3.2%にとどまった。報告書では、終末期医療について、より関心を持ってもらうため、看護師などの相談員を配置することが盛り込まれた。
この取り組みは、基本的にはいいことだと、私は思います。前に、府中市のエンディングノート配布や、千葉県の詩リビングウィルの啓蒙の取り組みを紹介したときと、同じ感想を持ちました。
役所の動機としては、意思表示のない終末期患者に対して、どこまで治療を行なうか、どこで止めるかという問題が、日々現場で起こっており、医療関係者が困っていたり、事件化したり、という事態を、少なくしたい、財政上も、ということでしょう。医療現場からは、命を助けるためには最前を尽くすという職業倫理と、終末期の歯止めのない医療に疑問と戸惑いの板挟みを感じる、という悩みを聞くことがあります。
批判する人によれば、リビングウィルを普及させることは、尊厳死を選ばせるようなソフトな誘導装置になる、ともされます。まったくの邪推とは言えないところがあるのは、ある高位の政治家が、「年寄がなかなか死なない」と失言(確言?)していたように、増大する一方の高齢者の医療費を減らしたいという財政感覚が、担当者にはあるからです。
とはいえ、「死を習う」「死を思う」ことは、古来の知恵でもあり、いつまでも生きたいという「不老不死」の願望は、あまり上等な生命観とはされてきませんでした。さりながら、「今は死にたくない」というのも人情でしょう。ある賢者は、「死ぬときのように生きると、大事なものとそうでないものが、区別できる」といっています。その他、死に関しては、古今東西の賢者・愚者が、さまざま名言(迷言)を残しています。参考にして、自分はどの賢者・愚者に近いか、調べてみると、いい勉強になるでしょう。
どちらにしても、夢の万能細胞ができるまでは人間の(肉体の)死亡率は100%ですから、死ぬときのことを考えておくのは、取り乱さないための心構えを培っておくという意味で、よいことだと思います。
参考:
平野国美『看取りの医者』
小学館文庫