高校の「倫理」という科目は、昔はメインの受験科目ではなかったので、授業中は内職をする生徒が多かったようですが、私はけっこうおもしろく聞いていました。イエスが砂漠で40日の断食をして、頬がこけ目をむいて座っている深刻な絵などは、マネをしたくなるほどでした。
ダ・ビンチが描いた、プラトンとアリストテレスが並んで歩いている絵は、倫理の教科書に載っていたかどうか、覚えていませんが、多くの人は、どこかで見た記憶があるでしょう。アカデメイアというプラトンの学園、アリストテレスのリュケイオンという学園も、遠いギリシアの言葉ながら、覚えるともなく、覚えました。
師弟が歩いて話している絵があるように、アリストテレスの学園では、歩きながら講義、対話をしたというので、逍遙学派、ペリパトス派などと呼ばれます。20世紀日本の京都では、西田幾多郎が歩きながら思索した「哲学の道」があります。
体を動かしながら(あるいは体を静めて)ものごとを考えている(あるいは何も考えないでいる)と、良いアイデアが浮かぶ、というのは、よく言われることです。個人的な経験からいっても、歩きながらアイデアが浮かぶことがありますが、電車の中で、会議中に、祈っているとき、体操をしているとき、寝ようとしているとき、夢うつつの境で、起き抜けに、など、つまりは気持ちが暇な時間には、いつでも断片的に浮かぶことがありますので、昔はいつもメモ帳をもって歩いていました。今は携帯電話にメモ機能があり、そこに書き留めています。
ただし、アイデアが浮かぶには、あらかじめ問題意識をもって考えておき、答えがでるのを待っている状況にしておく必要があります。この状況で、バック・グラウンドでさまざまな情報処理が起こっているのだと思います。
雑用であちこち注意が散乱すると、このプロセスが邪魔されて、いいアイデアは生まれません。文化系や数学、理論物理などは、とくにこのような、一見暇にみえる状態を保つために、自由な時間が、必要です。書類書きなどの雑用が増えて、この自由な時間が保ちにくくなっています。
監督官庁の役人や、大学の運営者には、このような機微のわからないガサツな人が多いので、大量の無駄な書類書きを求めて、その結果、さまざまなアイデアが浮かんでくる時間を大量に潰し、しかもそれに気付いていない、という笑うに笑えないことが進行しています。
まずは、「外部資金」「競争的資金」とやらのための、無駄な書類書きをやめて、半分ほどでも昔どおりの研究費配分に戻したら、昔の半分ほどの量のアイデアは、生まれてくるのではないでしょうか。
ダ・ビンチが描いた、プラトンとアリストテレスが並んで歩いている絵は、倫理の教科書に載っていたかどうか、覚えていませんが、多くの人は、どこかで見た記憶があるでしょう。アカデメイアというプラトンの学園、アリストテレスのリュケイオンという学園も、遠いギリシアの言葉ながら、覚えるともなく、覚えました。
師弟が歩いて話している絵があるように、アリストテレスの学園では、歩きながら講義、対話をしたというので、逍遙学派、ペリパトス派などと呼ばれます。20世紀日本の京都では、西田幾多郎が歩きながら思索した「哲学の道」があります。
体を動かしながら(あるいは体を静めて)ものごとを考えている(あるいは何も考えないでいる)と、良いアイデアが浮かぶ、というのは、よく言われることです。個人的な経験からいっても、歩きながらアイデアが浮かぶことがありますが、電車の中で、会議中に、祈っているとき、体操をしているとき、寝ようとしているとき、夢うつつの境で、起き抜けに、など、つまりは気持ちが暇な時間には、いつでも断片的に浮かぶことがありますので、昔はいつもメモ帳をもって歩いていました。今は携帯電話にメモ機能があり、そこに書き留めています。
ただし、アイデアが浮かぶには、あらかじめ問題意識をもって考えておき、答えがでるのを待っている状況にしておく必要があります。この状況で、バック・グラウンドでさまざまな情報処理が起こっているのだと思います。
雑用であちこち注意が散乱すると、このプロセスが邪魔されて、いいアイデアは生まれません。文化系や数学、理論物理などは、とくにこのような、一見暇にみえる状態を保つために、自由な時間が、必要です。書類書きなどの雑用が増えて、この自由な時間が保ちにくくなっています。
監督官庁の役人や、大学の運営者には、このような機微のわからないガサツな人が多いので、大量の無駄な書類書きを求めて、その結果、さまざまなアイデアが浮かんでくる時間を大量に潰し、しかもそれに気付いていない、という笑うに笑えないことが進行しています。
まずは、「外部資金」「競争的資金」とやらのための、無駄な書類書きをやめて、半分ほどでも昔どおりの研究費配分に戻したら、昔の半分ほどの量のアイデアは、生まれてくるのではないでしょうか。