津城寛文の徒然草Shiloh's Blog

時事問題や世間話その他に関して雑感を記し、著書その他の宣伝、関係者への連絡も載せています。

「法と正義に照らして」というキーワード

2012年08月25日 | 日記
 この夏も猛暑が続きます。残暑お見舞い申し上げます。

 しばらくブログを更新していなかったのは、論文を4本書いていたためですが、そのうちの1つが、昭和前期の政教関係に関するもので、政治が激動する情景をまとめながら、周辺国との間で軋轢が起こっているのと考え合わせて、いろいろ考えるところがあります。

 野田総理の8月24日夕方の談話のキーワードは、「国際社会の法と正義に照らして」というもので、何度か繰り返しておられました。
 あれこれの時代、地域、事件、人物を見比べながら、つくづくと思うのは、政治であれ宗教であれ、日常生活であれ芸術であれ、あくまでも、合法的でなければならず、合法性を外れるものは、周囲に被害を及ぼし、邪道に陥るということです。暴力的な手段では、最終的な解決にならないと覚悟を決めることが肝心だと思います。
 「法」には、国際法のほか、国内法があり、自然法というバーチャルなものがあり、悪法もあります。どの法に照らして合法的なのか、という問いは、つねに起こります。答えは、すべての法に照らして、ということです。悪法と思われる場合、相互に矛盾する場合、それらは合法的に改正、修正、調整、していく必要がありますが、その際の基準は、究極的には、「自然法」「永遠法」「より高い法」といった、バーチャルなものになり、それをどれほどリアルに想像できるかによって、合法性の高さが決まります。
 性急に変えようとするのは、幼児的な癇癪です。「速やかならんと欲するなかれ」と遺言した二宮尊徳は、日本史の中で、最も幼児性から遠かった一人ではないでしょうか。一種の正義感や使命感、根拠のない自信や勘違いから、性急な思想や行動を取りがちな方には、尊徳の教えを拳拳服膺することをお勧めします。

 私はノンポリなのですが、なぜノンポリかというと、多くの政治が、町内会の総会のような、瑣末な利害の調整だからです。しかしこの「法と正義に照らして」というのは、最も大きな法を前提とした合法性の大原則です。ノンポリといわれる知識人の多くは、こういう最大の法に感心があって、瑣末な政治を問題にしないために、町内会政治に感心のある人間からは、ノンポリに見えるのだと思います。

 党派や政策の諸問題とは切り離して、野田首相が主張された「国際社会の法と正義に照らして」というキーワードについてのみ、私は全面的に支持します。現政府、次の政府と、日本政府がこの方針を賢治することを祈ります。この方針が貫徹されれば、日本国と日本国民は、歴史的な意味で、合法性の規範となるでしょう。

 さまざまな事件や問題を起こす宗教や「スピリチュアリティ」に関しても、これからしばらく「合法性」をキーワードにして、論考を発表してまいりたいと思います。準備中の4本は、すべて合法性をキーワードとし、あらゆる非合法な行動と思想を、内側から問い質すもので、外からの「隔靴掻痒」の批判とは異なります。来月の『中外日報』には、その序論となるべき記事が出る予定です。ご高覧くだされば幸いです。






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