津城寛文・匡徹の徒然草Shiloh's Blog

時事問題や世間話その他に関して雑感を記し、著書その他の宣伝、関係者への連絡も載せています。

労働は1日8時間まで(R・オーウェン)

2016年04月30日 | 日記
 「またオーウェンか」と飽きられることを承知のうえで、またオーウェン関連の話です。

 日本人の労働時間が(無駄に)長すぎること、それはまさに時間の無駄であることを、最近は多くの記事で目にするようになりました。
 昔から長時間労働はあったのですが、それが当然、あるいは美徳とすらされて、仕事の成果よりも、手間や時間をかけることのほうが、価値を持っているように思われて、短時間で仕事を済ませることは、なにかズルイように言われました。

 間延びした時間で、だらだら雑談をしたり、居眠りをしたりしている人をみると、「人といっしょにいるのが、居心地がいいのだろうな、一人になると不安なのだろうな」と、私などは思います。

 他方で、無駄に長いというより、時間いっぱい働かないといけない職場もあります。バスやトラックの長距離ドライバーはその典型です。

 今日のヤフーニュースに、そのような過酷な労働環境を、ドライバーの方のインタビューでまとめた記事がありました。細かくは、元記事をお読みください(幻覚で急ブレーキ、眠らずハンドル握る。トラック運転手が過酷労働の実態を吐露産経新聞 4月30日(土)11時30分配信)。

 ドライバーの意見は、個人の意見ではなく、運送会社に雇用された長距離ドライバー全体の意見に違いありません。

「人間を絞りすぎだと思う。現場の過酷さは皆分かっているが、どうしようもない」
「長時間労働の改善は会社レベルでは無理。国民生活を陰で支えているのが運送業界だということを広く理解してもらうことで機運が盛り上がってほしい」


 この方が言われるように、個々の会社や業界では、この長時間労働(業種によっては+低賃金+非正規雇用)を是正することはできません。

 政府の考え自体が、「厚生労働相告示では、始業からの拘束時間は16時間を限度とし、次の始業まで連続8時間の休息が必要」とあるように、過酷な人使いを許容しています。「2日分を1日にまとめることもあるだろう、」という考えかと思いますが、そのような企業や業界は、つぎの日をまるまる休めるような「人にやさしい」心は持てません。



 背後には、勤労を美徳する日本思想があります。

 私は二宮尊徳の大ファンですが、尊徳思想のなかに、長時間労働を是認し、ブラック経営者、ブラック指導者に悪用される要素があるのは、否定できません。この点にかぎっていえは、知恵のない経営者、指導者(これが多い)が、頭の悪い読み方をすると(これも多い)、尊徳思想はきわめて有害になります。宮沢賢治の美しい詩も、「雨が降っても風が吹いても」人のために働け、というスローガンに利用されることがあります。美徳は悪徳と背中合わせで、知恵を使わないと、オセロゲームのように、かんたんに反転します。

 理想はどうあれ、労働(強いられた仕事)は、1日8時間までというのが、「合意できる」レベルというのが、オーウェンのシンプルな提案です。8時間は睡眠とその前後に必要です。あとの8時間で、食事や家事をし、自由になる時間がいくらか残りますね。

 拘束時間が8時間でも、その前後に準備が要りますから、10~12時間は労働に使われます。政府の告示自体が、「16時間」と数字を出しているのは、その前後をいれれば、すぐ20時間になります。過酷さを助長する数字と言わざるを得ません。

 100年以上前の、すでに骨董品となっていてもよい、ロバート・オーウェンの「労働は1日8時間まで」という思想が、まったく実現されていません。古い思想と軽蔑する前に、労働のあり方に関わっている責任者たちは、この簡単な理想を実現したらどうでしょうか。

 政府や官庁、企業や業界のそれぞれのトップに、人道的な人が少しづつ増えてゆき、それが平均となり、逆に非人道的な人が少しづつ減ってゆき、それがやがては絶滅危惧種のようになることを、心から祈ります。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飛行機代とホテル代の話

2016年04月27日 | 日記
 最近、政治家の「出張」に関して、飛行機の席はエコノミークラスか、ビジネスクラスか、ファーストクラスか、ホテルは安宿か、適切な部屋か、豪華な部屋(スイートルーム)か、話題になりました。

 東京都知事の舛添さんは、飛行機の席もホテルも豪華すぎると庶民から批判され、「大都市の市長がビジネスホテルに泊まりますか?」と、都知事に相応しい格式であることを強調しています。これに対して、大阪市長時代にエコノミークラスで出張した橋本さんが、地方の首長が外交をする必要はない、いいホテルにとまっても威厳は出ない、といった批判をしています。
 折しも、「世界一貧しい大統領」として知られたウルグアイのムヒカ前大統領(語呂合わせどおり、「無比か?」「そう無比」)が来日され、日本側が用意した五つ星ホテルに、「贅沢すぎる」と不満を漏らされたそうです。

 それぞれ一理ありますが、多くの人が思わず頭を下げるのは、ムヒカさんではないでしょうか。

 ただし、海外出張のホテルと飛行機については、私の少ない経験からいっても、別の事情があります。

 国内旅行や東アジアであれば、数時間の飛行時間ですから、エコノミークラスでも負担はありません。しかし地球の反対側にある、10時間を超えるような場所へは、年をとればとるほど、ビジネスクラスが必要になるように思います。ムヒカさんにも、日本側はファーストクラスを用意したと思いますが、お年を考えても、「贅沢すぎる」とは言われなかったのではないでしょうか。ただし、それは座席についてであって、料理やら酒やらのサービスには、「贅沢すぎる」と言われたように想像します。

 年で言うと、橋本さんはまだ50前、舛添さんはもう70近いですから、橋本さんも、「私はエコノミークラスで行ったが、舛添さんはお年寄りだから、ビジネスクラスを使われていいが、ファーストクラスはただの見栄だから止めるべきだ」くらい言うと、説得力が増したでしょう。
 ホテルについては、先進国であれ途上国であれ、治安の悪い都市では、一定以上のホテルが安全です。よく海外出張をする同僚は、「安全を買う」と言っています。その中で、リーズナブルな部屋にするか、スイートルームにするかは、警備の問題もあるでしょうから、舛添さんも、「他国の大都市の市長と張り合って、見栄でやっているわけではない。警備も問題がある」と言って、警備が保たれるような最小限度の部屋を用意すれば、説得力が上がったのではないでしょうか。

 私ももうすぐ60ですので、「10時間を超える旅で、エコノミークラスは辛いだろうな」と思って、出張にいく気力がますますなくなってきました。ホテルも、円安でさらに欧米の物価が負担になっていますので、できればもう、自らの身体と懐を痛めてまで、海外には行くまいと、決意を新たにしているところです。「海外には苦労しに行きなさい」といって留学を勧める言葉を聞いて、「私は国内で十分に苦労したから、もう結構です」と思いました。

 私のような庶民の決意はどうでもいいのですが、東京都知事、大阪市長(政党代表)、ウルグアイ大統領という、それぞれ頂点に立つ人々の振る舞いや物言いをみると、やはり人品の違いとしか言いようのないものがあるなあ、と感じます。責任ある立場の人は、人品を高めてくださるよう、そして庶民を幸せにしてくださるよう、お願いしたいと思います


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シンプルな理想vs手の込んだ現実

2016年04月06日 | 日記
1、秘密は必ず明らかになる
「パナマ文書」なる資料が流出して、税金を節約あるいは回避できるタックス・ヘイヴンに、世界の政治指導者たちとその周辺が、資産を隠しているらしいことが、暴露されつつあるようです。すべてが違法ではないのですが、事態が明らかになれば、税金を搾り取られている庶民としては、「ずるいなあ」と思いますが、セレブに都合の悪い報道は、広がらないかもしれません。オバマ大統領が「合法的なのが問題だ」と言っているのを見ると、「トップが正論を言うだけでも大したものだ、腐ってもアメリカだ」と痛感します。

 どこかの国の首脳は、いち早く辞職を余儀なくされました。これからも辞職者や引退者が続出するのか、それとも、世界中の富裕者と権力者のほとんど皆がやっていて、各国政府も議会も、国連も映画界もトップがいなくなると困るので、皆が一致協力して、呉越同舟のように、もみ消しをするのでしょうか。庶民は高見の見物をしています。

 真偽は私などにはわかりませんし、また誰がどうしたという細かい事実に、私はそもそもまったく関心がありませんが、大まかに言えば、富裕層だけでなく、権力者層の一部も、稼いだ(あるいは奪った)資産を守るのに、あれこれ(悪)知恵を絞っている、ということです。

 財産も権力も、これで十分、という歯止めのないのが、特徴です。自然な欲であれば、いったん満足すれば、しばらくはおさまるのに対して、財産や権力は、社会的な構築物(こしらえもの)ですから、自然なリアリティがなく、ヴァーチャルなものです。

 いくら財産があっても、権力があっても、いつか無一文になったり、人からいやな事をされたりするのではないか、という恐怖は消えません。なぜなら、富裕層や権力者層は、他人を無一文にしたり、路頭に迷わせているからです。大小富裕者たちや権力者たちが、このような恐怖感に昼となく夜となく苛まれて、あれこれ手の込んだ工作をしている様子を想像すると、「何とみじめな人たちだろうか、可愛そうに!」と、深い憐れみを禁じ得ません。

 20年以上まえ、日本で未曽有のテロを起こした宗教団体の教祖が、3000万ほどの現金をもって隠し部屋に潜んでいた、というニュースがありました。穴倉に隠れていたのも格好悪いし、現金を抱えていた様子を想像すると、なんともみすぼらしく、無様です。

 生活できなくなる恐怖をなくすには、全ての人に必要物を供給すること、そして全ての労働を納得できる条件にすることです。これが行き渡れば、最低限の状況でも、人間らしく生活できます。富裕者が無一文になっても、権力者が失脚してどん底に落ちても、そこで人間的な生活ができます。

 全ての人に必要物(衣食住、近隣関係、など)を供給し、労働は奴隷を死ぬまで働かせて搾取するようなものではなく、雇用者も被雇用者も合意できる人道的ものとすること、この2つは、空想的社会主義の理想です。

2、再びロバート・オーウェン
 最近、ロバート・オーウェンの晩年の文書を読んで(訳して)いて痛感するのは、社会思想としては初期から晩年まで、驚くほど一貫して、シンプルな理想を説き続けていることです。そのキーワードが、「必須で自然な必要物」と「合意できる労働」ということです。教育改革も、制度改革も、すべてこの2つを満たすためです。

 現実はこれと程遠いのですが、心ある人たちが口を揃えて言っているように、理想を実現するのは、物量的には可能であり、ただ、それを阻む者たちがいる、それを阻む制度・組織がある、既得権益を持った者たちがそれを離そうとしない、ということなのです。すでに格差は、バベルの塔のように、持ちこたえられない比率になっています。金であれゴミであれ、狭い面積の上に積み上げれば、いつか必ず倒れます。

 アメリカでサンダースさんの主張が、とくに若者たちにアピールするのは、自ら社会主義者と称するとおり、空想的社会主義に近い理想を発信しているからです。略奪的資本主義が露骨に横行している本場で、シンプルな理想に目覚めた若者たちが、動き始めたようです。日本の若者層も、過半数が、格差はひどすぎると考えています。

 オーウェンはこれについて、「一部の人が既得権益を離せば、全ての人の利益になる、全ての人には、もちろん「一部の人」も含まれる」と、まことにシンプルな真理を、「いつかは必ず実現する」と、断固として説いています。「貴方のその自信はどこから来るのですか?」と問われたオーウェンは、興味深いことを述べています。何と答えたと思われますか? この対話は、自伝の冒頭にありますので、興味をもった方は、自伝の「第二対話」の最後の1頁あたりを、お読みください。

 ただ、この自伝(A Biography witten by Robert Owen)は、邦訳があるものの(五島茂訳『オウエン自叙伝』岩波文庫)、対話部分その他については、訳者の気に入らない、「惜しむべし」という理由で、勝手にカットされています。

 最近このことを発見して、私は「何と暴力的な翻訳、乱暴な紹介だろうか!」と呆れました。偏ったイデオロギー、パラダイム、ドクサ等々の命令が、いかに著名な「知識人」を縛り、首を回らなくし、馬車馬のように視界を狭めているか、という典型例です。シンプルな理想をもっていれば、このような偏りは、少しは避けられるでしょうに。

 批判するにせよ、何にせよ、材料はすべて提供する必要があります。黒塗りの文書を出すようなやり方は、欺瞞と狡猾、無恥と無知が必要とされる政治の世界では、1つの戦略でしょうが、正直であるべき科学や芸術の世界には、まったく相応しくありませんね。黒塗りが好きな方は、選挙にお出になることをお勧めします。

 今なお、あるいは今だからなおさら、重要な理想をシンプルに説いたオーウェンの、そうした未邦訳の部分は、ぜひ翻訳紹介されるべきと思います。今年度末に、私訳を公刊する予定です。年度末には、媒体をお知らせしますので、乞うご期待、そしてぜひお読みください。

*******
意見広告
「全ての人に必要な物を行き渡らせること」
「全ての労働を納得できるものにすること」
(ロバート・オーウェン)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする