津城寛文・匡徹の徒然草Shiloh's Blog

時事問題や世間話その他に関して雑感を記し、著書その他の宣伝、関係者への連絡も載せています。

「フーテンの寅」と「スネ夫」

2024年05月08日 | 日記
 タイトルの二つのキャラクターは、似たところはほとんどありませんが、ただ一点、仲間や同級生に酒食やお菓子をおごって、いい顔をしたがる、という共通点があります。

 寅次郎は、金もないのに旅館で仲間を集めて飲み食いをして、翌朝になると、「さてと、支払いはどうするか……」と悩んで、妹に迷惑をかけることになります。スネ夫はガキ大将にはゆすられ、同輩にはたかられて、というように、金品を持ってこないと相手にしてもらえない設定になっています。子どもにかぎらず、こういう貧相なキャラクターがいるのは、身近でも見るとおりです。他方、寅次郎は金も権力もなく、二枚目でもないのに、「寅さんに会いたい」と思う人が男女とも多く、迷惑ばかりかけている妹や親戚からも大事にされるという、人気者の設定になっています。

 さて、日本政府のこのところの外交をみていると、大国に脅され、小国にたかられ、ふらふら出ていって、金を配ってようやく相手にしてもらう、スネ夫のような役回りしかできていません。登場人物の見た目も、スネ夫によく似ていて、映画や小説や漫画の預言性に驚きます。

 見た目を問題にするのは問題があるとはいえ、「男は40歳になったら自分の顔に責任を持たねばならない」というリンカーンの言葉もあるように、美男美女というルッキズムではなく、生き方、考え方がにじみ出る風格のことです。美男美女で、才能や能力、感性や知性、経験や人徳が伴ってこないと、並みの風貌の人より、かえって、みすぼらしさが倍化します。美男美女の人は、幸なのか不幸なのか、「見た目がよいのは勝ち組」と言われることがある一方、普通より倍以上の努力をしなければなりません。

 歴代首相で立派な風采の方は多く(そうでない方も、とくに最近は多く)おられますが、中でも、浜口雄幸、犬養毅といった方は、政策の良し悪しや、その結果の良し悪しはともかく、立派です。お二人の銅像も(あちこちに建てられている、見ていてこちらが恥ずかしくなるような銅像も少ないない中で)、みごとな絵になっています。そういえば、犬養毅と会った人のエッセイに、「普通にしていて、威厳のある人だった」「好感をもった」というような一節がありました。

 未来のある若い人たちは、餌をばらまいて相手にしてもらうのではなく、何はなくても「あの人に会いたい」と思われるような、魅力的な人になってください。
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