今日は、私が住んでいる札幌から車で1時間半程の距離に位置する、夕張市の中心部「夕張本町」に行ってきました。
夕張市は、かつて石狩炭田の中心都市として大いに栄え、夕張メロンの産地としても知られましたが、近年は、財政再建団体に指定され事実上財政破綻した都市という“負のイメージ”で全国的に広く知られています。
最盛期(昭和35年)の夕張市の人口は116,908人でしたが、現在(平成24年6月)の同市の人口は10,384人で、何と最盛期の10分の1以下にまで激減しており、現在の夕張はもはや「市」としての体裁を成していません(ちなみに、日本の町村部で最も人口の多い岩手県の滝沢村は、平成24年9月現在、54,577人もの人口を擁しています)。
夕張市の人口が1万人を切るのは既に時間の問題ですが、現実には、戸籍上は夕張市民でも、同市は高齢者が多いため他の市町村の病院・施設等に長期入院している市民もかなりいる事から、夕張で生活している人の実数は既に1万人を切っているだろうとも言われています。
今回は、その過疎化が著しい夕張市の中心部(夕張市役所の周辺)の本町に行ってきた訳ですが、当然の如く、シャッター街と化していました。
しかし、炭鉱が栄えていた頃、夕張の炭鉱では1日3交替のローテーションが組まれ24時間採掘していたため、本町の商店街も最盛期は、仕事を終えた労働者達で24時間人々が行き交い、“眠る事のない街”として常に騒然とした活気に溢れていたそうです。
炭鉱閉山後の夕張は、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」を開催するなど“映画のある街”として街興しをしているため、現在、本町商店街には「ゆうばりキネマ街道」という愛称が付けられ、各商店には古びた映画看板が飾られています。






ちなみに、現在の夕張では考えられませんが、夕張の炭鉱が栄えていた頃は、本町のすぐ近くにあった梅ヶ枝横丁という飲み屋街の界隈には置屋も多数あって、酌婦達が炭鉱労働者達の夜の相手もしていたそうです(公認ではなかったものの事実上の遊郭です)。
現在の梅ヶ枝横丁は廃墟同然の佇まいを残す寂しい通りになっているため、見る影もありませんが、かつて本町の周辺は、夕張一の歓楽街だったのです。
夕張市は、かつて石狩炭田の中心都市として大いに栄え、夕張メロンの産地としても知られましたが、近年は、財政再建団体に指定され事実上財政破綻した都市という“負のイメージ”で全国的に広く知られています。
最盛期(昭和35年)の夕張市の人口は116,908人でしたが、現在(平成24年6月)の同市の人口は10,384人で、何と最盛期の10分の1以下にまで激減しており、現在の夕張はもはや「市」としての体裁を成していません(ちなみに、日本の町村部で最も人口の多い岩手県の滝沢村は、平成24年9月現在、54,577人もの人口を擁しています)。
夕張市の人口が1万人を切るのは既に時間の問題ですが、現実には、戸籍上は夕張市民でも、同市は高齢者が多いため他の市町村の病院・施設等に長期入院している市民もかなりいる事から、夕張で生活している人の実数は既に1万人を切っているだろうとも言われています。
今回は、その過疎化が著しい夕張市の中心部(夕張市役所の周辺)の本町に行ってきた訳ですが、当然の如く、シャッター街と化していました。
しかし、炭鉱が栄えていた頃、夕張の炭鉱では1日3交替のローテーションが組まれ24時間採掘していたため、本町の商店街も最盛期は、仕事を終えた労働者達で24時間人々が行き交い、“眠る事のない街”として常に騒然とした活気に溢れていたそうです。
炭鉱閉山後の夕張は、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」を開催するなど“映画のある街”として街興しをしているため、現在、本町商店街には「ゆうばりキネマ街道」という愛称が付けられ、各商店には古びた映画看板が飾られています。






ちなみに、現在の夕張では考えられませんが、夕張の炭鉱が栄えていた頃は、本町のすぐ近くにあった梅ヶ枝横丁という飲み屋街の界隈には置屋も多数あって、酌婦達が炭鉱労働者達の夜の相手もしていたそうです(公認ではなかったものの事実上の遊郭です)。
現在の梅ヶ枝横丁は廃墟同然の佇まいを残す寂しい通りになっているため、見る影もありませんが、かつて本町の周辺は、夕張一の歓楽街だったのです。
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