あけましておめでとうございます。
良い天気です。雲一つない青い空だ。
さて、2016年が幕を開けました。平成では28年。ゆっくりと、どんな年にするか考えよう。その前に去年はどんな年だったのか振り返って見なければなりません。人は所詮生きてきた通りの人間なのです。これを打破するのもやはり学問と経験しかないですね。
さて、色々のものの見方考えかたがある。何をどう見るか、それは人生観、世界観に繋がる大きな問題である。
今回は、資本主義と人権の関係についてほんの少し考えてみました。
現代は実力主義とか結果主義とか資本主義社会の評価につき語られるが、これは競争原理に基づく資本主義社会のなかでの個人の働きをいかに評価するかという問題であるにすぎない。とはいえ、この社会に巻き込まれている限り、どうしても競争発展という価値観に影響された人生観を持ちやすい。
特に資本主義における競争原理に染まると、本来、経済的なシステムに過ぎないものが人生の原理となる大きな危険性がある。その上、これに異を唱えるならば綺麗ごとを言うなとお叱りを受けたりもする。確かに、資本主義は食うか食われるかの競争原理に基づいている。
では、自由とか平等などの、人権といった価値原理はこの経済原理とどう関係し、影響し合っているのだろうか。
ここにも人が犯しやすい主客転倒した短略的な関係が見られる。要するに経済という道具が、人権という本源的価値を侵すという本末転倒な結果が生じるのが歴史的事実である。もっとも、精神的自由と経済的自由の関係における精神的自由の権利としての優越性は最後の砦として自由を担保するものであという内実にあるといわれている。決して、精神が上位概念であるといっているわけではないのだそうな。
さて、これらの問題を明らかにし世界像を創出し、語るのは哲学の問題でもある。
哲学のないカッコつきの発展は、結局大量のロボット人間を産出する様な虚しさが残る不毛な人生と言えよう。
ところで、多様性を所与のものとするのは人権思想に由来する。だとすれば、多様性を標榜する現代の若者は資本主義を絶対とは考えていない。
一方、多様性は個の尊厳を忘れると自己中心主義になる。ここにも、資本主義と同じ本末転倒の危険がある。
このように本末転倒という言葉で見えてくる色々のものがあるが、言うほどに優しい問題ではない。というのも何が本で何が末か明確でないのが現実の世界であるからだ。実際には自明の理などというものは僅かなのである。特に、文化や伝統の蓑に隠れて本当が分からなくなっているものが少なくないのである。
人生の本質と線引きの哲学の必要な所以である。
さあ、そういうわけで、これからも、みんなで哲学しましょう。
舌足らずの思いを、最後まで読んでいただきありがとうございます。
良い天気です。雲一つない青い空だ。
さて、2016年が幕を開けました。平成では28年。ゆっくりと、どんな年にするか考えよう。その前に去年はどんな年だったのか振り返って見なければなりません。人は所詮生きてきた通りの人間なのです。これを打破するのもやはり学問と経験しかないですね。
さて、色々のものの見方考えかたがある。何をどう見るか、それは人生観、世界観に繋がる大きな問題である。
今回は、資本主義と人権の関係についてほんの少し考えてみました。
現代は実力主義とか結果主義とか資本主義社会の評価につき語られるが、これは競争原理に基づく資本主義社会のなかでの個人の働きをいかに評価するかという問題であるにすぎない。とはいえ、この社会に巻き込まれている限り、どうしても競争発展という価値観に影響された人生観を持ちやすい。
特に資本主義における競争原理に染まると、本来、経済的なシステムに過ぎないものが人生の原理となる大きな危険性がある。その上、これに異を唱えるならば綺麗ごとを言うなとお叱りを受けたりもする。確かに、資本主義は食うか食われるかの競争原理に基づいている。
では、自由とか平等などの、人権といった価値原理はこの経済原理とどう関係し、影響し合っているのだろうか。
ここにも人が犯しやすい主客転倒した短略的な関係が見られる。要するに経済という道具が、人権という本源的価値を侵すという本末転倒な結果が生じるのが歴史的事実である。もっとも、精神的自由と経済的自由の関係における精神的自由の権利としての優越性は最後の砦として自由を担保するものであという内実にあるといわれている。決して、精神が上位概念であるといっているわけではないのだそうな。
さて、これらの問題を明らかにし世界像を創出し、語るのは哲学の問題でもある。
哲学のないカッコつきの発展は、結局大量のロボット人間を産出する様な虚しさが残る不毛な人生と言えよう。
ところで、多様性を所与のものとするのは人権思想に由来する。だとすれば、多様性を標榜する現代の若者は資本主義を絶対とは考えていない。
一方、多様性は個の尊厳を忘れると自己中心主義になる。ここにも、資本主義と同じ本末転倒の危険がある。
このように本末転倒という言葉で見えてくる色々のものがあるが、言うほどに優しい問題ではない。というのも何が本で何が末か明確でないのが現実の世界であるからだ。実際には自明の理などというものは僅かなのである。特に、文化や伝統の蓑に隠れて本当が分からなくなっているものが少なくないのである。
人生の本質と線引きの哲学の必要な所以である。
さあ、そういうわけで、これからも、みんなで哲学しましょう。
舌足らずの思いを、最後まで読んでいただきありがとうございます。