風の便り

心の赴くままに、人生の営みを綴る。

春の夜話

2016年02月21日 11時19分41秒 | 文芸
生き急ぐことの多くなった今日この頃、悲喜こもごもです。

①桜餅食べ柏餅のこと思う

②焦がれ待つ想いは同じ春一番

③何かしら時代を告げて春の雪

④風訪わば仕切りに騒ぐ八重の花

⑤春の夜に木菟目覚め息を吐く

⑥ため息を聴きすましをり木蓮の

⑦上野駅桜の頃に友と会う

⑧五月雨や粘土を捏ねる爪の伸び

⑨愚痴三分思い出七分花に酒

⑩行く春や兄弟会に一人欠く


十七日の朝

2016年02月17日 10時39分47秒 | 考え・行動するヒント
たまにセンチメンタルジャーニー!

目覚めて、NHK world newsを見る。ベニーシャが孫と料理を作っている。そうだ、俺も孫と一緒に料理を作ったり、絵を描いたりできたらいいな。

朝のスープは洋風ダシを使う。よく大根が短時間で煮込めるね、なんて女房がいう。どうしてかな、最初に痛めるから、よくかき混ぜるからか、もともとそんなに煮こまなくても柔らかくなるのか、さて、どれだろうか、どれでもないか。

右目が白内障で随分やられたが、逆に言うと、手術で見えるようになるのが楽しみということだ。ここは一つ前向きに考えよう。

朝食後、突然ですが清原の事件について、女房はあの顔が忘れられないという。お腹に入った異物のように、思い出されるとか。
ところで、この事件に関して色々の読み方が可能だ。どんなに成功した人間でも落とし穴はある、覚醒剤は怖い、身体や心が病む時に覚醒剤で騙すことが出来るんだ、有名人が止めれなくなる覚醒剤ってどんな魅力があるのだろうか、などなど。
この場合、人物に対する関心と、覚醒剤に関する関心の二つに大きく興味関心は別れよう。さて、人は事件に対してどんな読み方をするのか、なぜそう読むのか、興味のあるところである。

ところで、友達が、鬱だというが、結局、自分の居場所ややる事に満足がいかない時、鬱的気分になるのだろう。特に、自分が好きなことをやっていい状況にあればこそ、自分を納得させるのは難しくなる。すべたが自由で自己責任だから。ここに定年鬱の素がある。
そしてこの裏にあるのは、本当にしたいことがわからない自分である。
よく自分を見つめ、興味関心がどこにあるか、本当にやりたいことを見つけて、残り少ない人生を充実させたいものである。

実は俺、このまま人生を終わっていいのかと不遜にも思う。こんな大時代的な思い方・問い方に反発して生きてきたのに、どこか抜けきらず引きずっているところがある。男の性、虚栄といったところか。このような残滓は、人生を生ききってない、やりたいことをやってない見つからないことの証でもある。
命をかけてやりたいことありますか?
青臭いことを自分に問うてみる。

結局、清原の不幸も願いをかなえられなかったスタートにその定めを見る思いがするのは俺だけではないだろう。
命を懸けてやりたいこと…

さて、春の日差しに佇んでいると、遠くに飛行音がゆっくりと聞こえてくる。私は生きて自然の懐に抱かれている。しみじみとありがたいのだ。ああ、人生って!