風の便り

心の赴くままに、人生の営みを綴る。

10月30日(金)のつぶやき

2015年10月31日 00時49分14秒 | 考え・行動するヒント

何故、人を殺してはいけないかで問われるもの。

2015年10月30日 14時38分48秒 | 考え・行動するヒント
一頃、話題になった、「何故人を殺してはいけないか」の問いに含まれる問題。

問いを発した人間の心理については、色々の分析が可能であろうが、原理的な回答としては、「自分がされたくないことは相手にするな」という社会的動物の基本ルールに基づくといえよう。いわば、人間社会の大原則なのである。

ところが、この適用範囲につき問題が生じる。家族、仲間内、地域、国家内、世界はどうだ。そして、人間、ペット、動物、一体どこからどこまでを命というのかが問われる。
そもそも、人を殺してはいけないという命題の自明性には、人だけで何故いいのという疑問詞が付いてまわる。

そこで、社会性とは何か?どこまでが社会性を認められるのか、社会性が本当に根拠足りうるか。魂といおうが、原子に始まり単に組み合わせの問題に過ぎないのではないか?人間尊重主義には尽きぬ根本問題が生じる。

就中、意識は大問題である。
人間が死に特別な思いを抱くのは、意識と観念のせいであるのだから。
そこで、意識と観念は身体を媒体として生まれるのか、 その限りでの存在でしかないのかが問題になる。
唯心論、唯物論、現象論、行動主義などなど。

再度問う。我々は、何故人を殺してはいけないのかという疑問に答えてきたのだろうかと。

またまた誤解を招きかねない未消化な問いで申し訳ない。なにぶん考えるヒントですから。
エッ、ヒントにもなっていないって!では何故ヒントにならないのか考えてみて下さい。

日矢

2015年10月30日 13時54分35秒 | Weblog
少し遅れましたが、28日句会の帰り、雲間から光の差し込む景色をキャッチ!


雲間から差す日の光はいろんな言い方があるようです。

薄明光線(はくめいこうせん)、
光芒(こうぼう)、
天使のはしご(梯子)、天使の階段、
ヤコブの梯子、レンブラント光線…とか。

俳句の世界では、「雲の一部が破れ、そこから太陽光線が矢のように射すこと、つまり雲間から射す太陽光線の条(すじ)のこと」を日矢(日箭・陽矢) と言っている。

その他、ひあし【日脚・日足】とも。
(1)雲間などからもれる日光。
(2)太陽が空を過ぎて行く速さ。また、その動きと共に移動して行く光線。日のあし。「―が速い」

等々。

手遊び

2015年10月19日 07時31分47秒 | 文芸
下手でよし、上手くなくてもよしと、遊んでいます。勿論、上手くても又良し!

抗うも抗わざるも秋は暮れ
草花に名残を惜しむ蝶の舞い
雨跡の藪を揺らせば秋の蝶
キャンバスに筆取る軽さ秋日和
秋の夜のただ閑寂の迫り来る
数寄屋橋時計台にも秋は寄す
早朝の花火で知らす運動会
都会にも仰ぐ空あり曼珠沙華
秋霖や目で人を追う数寄屋橋
運動会孫を探すが一仕事
庭侘びて四五本ほどの秋薔薇
秋の風少女に乙女の萌かな
朝焼けの秋日眩しき玻璃の外
二葉ほど落葉抱えて川流れ
誘われて遠回りして十八夜
明け染めて月太陽を独り占め
外に出て手持ちぶたさの無月かな
偲ぶれば川面の揺れに月の揺れ
月偲ぶ逢瀬に影の長さかな
胸に秘す想いを托す名月や
盗人や月の哀れを知らざりし
会えばまた惚れて行く十八夜
次の日に渡る見事な十七夜
曼珠沙華一語一魂の恋の歌
十六夜や雲を払て玲瓏と
月待てば期待に重く雲隠れ
欠けてこそその望月の見事かな
煩悩の寄せ来る波に月明かり
三日月に明けの明星ランデブー
いつの間に眠れぬ夜の長さかな
漠然と死を思うかに秋の雲
有明の空に一筋秋の雲
秋の午後そっと心をひだまりに
見つめてるばかりの恋や秋茜
小江戸にて物見の秋の深みけり

バーゲンセールのようで失礼しました。(≧∇≦)