風の便り

心の赴くままに、人生の営みを綴る。

心身の鍛錬

2017年01月24日 11時47分50秒 | 考え・行動するヒント
生きて行く上で、心と体のエクササイズは大変重要なことである。しかし、若うちにこれらにつき学ぶ機会は少ない。年老いては気力体力が落ちて行くが、結局は衰弱に任せるほかはないといった詮無いことが多くなる。
思うに、心身の良き習慣というものは若いうちから気づいて鍛錬し習慣化することが良い。
コーチングもその様な一環としてある。
ただ、その根本からの人生の教えとなるようなものはなかなか見つからない。
この点で、アドラーの心理学は哲学的な魅力を提示している。そして、又、日本にもそんな哲学的な魅力を語る人がいました。それは、中村天風という人です。参考のために、その著書をまとめてみます。文体も中身も雑駁なまとめですので、興味を持たれたら自分で読んでみるのが一番です。是非お勧めします。



成功の実現 中村天風

第一章
人生礼讃
我々は万物の霊長だということ。
まず第一にわれわれは「生命の生存」を確保する生き方を考えなければならない。その次に、「生命の生活」という活かし方を考える。

心身統一法の根本条件
・生命生存確保の要諦
心と体の両方を、自然法則に絶対に背かせないようにする。そのためには心の態度を終始一貫いかなる場合があろうと積極的であらしめる。すなわち尊く、強く、正しく、清く生きること。体は常に訓練的に積極化するということを心掛ける。
・生活生存
心も肉体もその可能率を促進することを本意とする

心は使用するときに必ず精神を統一する。
体は抵抗や耐久力というような生活に直接必要な物を力強くするために、これまた訓練的に積極化する。習うより慣れろということ。

心身統一法によってその内容量をふやす力
1.体力
2.胆力
3.判断力
4.断行力
5.精力
6.能力
これらを養い、たった一回限りの人生を強く生きる。

第二章 真の積極
およそ人生で何が大切かといって、積極的精神以上に大切なものはない。
健康も長寿も運命も成功もこの積極的精神というもので決定される。心が積極的であればどんな場合でも勢いの満ちたものになる。
学問とか、経験とかそうした事柄も決して不必要なことではないが、それは第二義的なものである。

積極的精神態度を作ると言う事は、誰にでもできる。
①何事の場合でもできるだけ自分の心を強く持つ努力をする。
②日常の人生に生きる際に、今現在の自分の心は積極的か、消極的かと厳格に第三者の心になって検討する。少しでも消極的だと思ったら颯爽たる勇気を持ってそれを心の中から追い出す。ー内省検討である。
③他の人の言葉や行動の中の消極的なものに自分の心を同化させない。同情するのではなく鼓舞すべし。ー交人態度である。
④取り越し苦労は断じてすべからず。ー苦労厳禁である。
⑤どんな時にでも本心良心に悖った言葉や行いは断然しない。
以上の事柄を心がけて実行すると同時に、平素の人生に生きる際の心がけとして、出来る限り努めて、気分を明るく朗らかに、生き生きとして何事にも応接することを忘れないようにする。
そのためには絶対に消極的な言葉は使わない。
その為にはどんな場合でも不平不満を口にしない。
病があろうが、運命が悪くなろうが、それを感謝と喜びに振りかえる。

本来ならば殺されたって文句を言えないところ、生き方に誤りがあることの自覚を促すために病なり不運なりが与えられたのであり、それは恵みに他ならない。
悔やんだり、嘆いたり、心を弱くする暇があるなら、本来の積極的な方向に心を振り向けかえる。人生は心の置き所ひとつ。
積極的精神のための心がけがわかったら実行あるのみ。

第三章 悟入転生
お前は世界一幸せなやつだ。
病があるからこそ人生をこうして真剣に考えられている。

神経系統の生活機能は、心が積極的でないと完全に働かない。

心配事があるから心配だというのは、心を人の自由にさせられているような恥ずかしいこと。

どうして心を自分で自由にできないか?
①肉体ばかりを考えて生きてきた結果、潜在意識の中に消極的な観念要素がうんと溜まって、意志の力が弱まる。
②神経系統の生活機能の勢いが衰えた。
③行き当たりばったり、ただ感情の興奮するに任せて生きていた。

第四章 恬淡明朗
観念要素の更改
夜の寝際、できるだけ昼間関係した消極的なことを思い出さないようにする。寝床の中は可能な限り積極的な状態で心を堅持しなければならない。

第五章 より強く、逞しく
神経反射の調整法
深呼吸は出すだけ。最初、肺臓の中の悪ガスを出すことが大事。呼吸なんだから、「呼」の方から先にする。
その時に、肛門は閉めておいて肩だけ落として、腹のほうは考えないで、息を出すだけだしちゃう。だし
ちゃって、出切ったなと思った時に、改めてまた肛門を締めて、肩を落としておいて、息を吸い込む。
いっぱい吸い込んだ時にお腹にぐっと力を入れて、そしてまたハーと出す。1度に2回か3回でよろしい。息はしてなければならないんだから、日に何千回でも死ぬまでは面倒くさがらずに意識的にそれやってみる。

こういう呼吸法をやっていると、いざという時に神経反射の調整法がパッと出来る。
結局、あわてふためくから、感情や感覚に振り回される。

クンバハカを行ないながら神経反射を調節して、同時に映る鏡の顔に、心配なことがあったら「そんなの心配ない」、怒ることがあったら「怒らない」…こういうふうに、厳粛な気持ちで自己暗示を与えてやる。
毎晩寝がけに鏡に映る顔を見て、「お前は信念が強くなる」、目が覚めたら「今日は俺は信念が強いぞ」と。
気持ちがぐらつきそうになったら、鏡に自分の顔を映して、「俺は信念が強いんだ」と、叱咤する。


第六章 もはや何ものも恐れず
我とは何ぞや
理解と自覚

体も心も自分という気が生きるための道具。
その道具をまとめて一つにして使えというのが心身統一法の根本原則。
人間は心も体も生きるための道具。1番尊いのは霊気という一つの気体。これがあなた方の正体なの。
第3者の位置に立って、客観的に自分の肉体や心を考える。
お腹が痛い時も、隣のお婆さんが痛いのと同じように考える。
例えば、自分の生きるための道具の腹が痛いのを俺の心に知らせて来きている。俺の気に連絡をとったな、と思えば、その苦痛がどれだけ休まるかわからん。

第七章 新天地を拓く
心が積極的でないと、感応性能が弱くなってしまう。調子を崩してしまうと、どうしても、心が肉体本位で働くような状態に自然になってしまう。つまり本能心に誘惑されて感化される。
ところが、心が積極化された状態であれこれ作用すると、ああ、肉体は自分じゃないということが自然に分かってくる。肉体は本当の自分が生きる道具で、本当の自分と言うものはもう一つ外にあるんだ、ということに気がつく。

自分の心を自分の命の道具として使いこなしていける意志力を出す人間になる。
理性には心を統御する力はない。
理性心と本能心が喧嘩しているのが煩悶。
この現象が理知階級者に多い。

意志というものは、人間の心の中の最高級な霊性心をすらその支配の下に従えている絶対的な権能。
とにかく意志力を1日も早く完全になし得る人間になることを努力すること。

積極観念の養成
・内省検討
・暗示の分析
・交人態度
・苦労厳禁
・最後に、こころを積極的にするのに特に役立つ心がけ
すべて実在意識領域に発現する全ての心的現象を、あとうかぎり客観的に思うこと。
自分のことを第三者の立場に立って考えるように習慣づけること。
自分の生命の道具である心や肉体と、本当の自分とまぜこぜにしなくて済む。
この特定意識を自分の心とする習慣がついてしまうと、どんな出来事に直面しても心の動乱が生じない。
心の統御上、格段の相違ができる。

第八章 幸福の醍醐味
いかに心を使うか
習慣は第二の天性である。
いつも意識が明瞭になろうと思ったら、常日頃どんな些細なことをする時でも、はっきりした気持ちでする心がけを緩めちゃいけない。
気を散らさずに行うこと。
すなわち雑念、妄念、邪念から心を放して、気を使うこと。

自然と精神を統一させるには有意注意力を働かせる。有意注意とは自分が特定した事柄に向かって注意を振り向けるという注意のことをいう。
意識を明瞭にして、はっきりした気持ちを持つことを心がける。そうすると、正確に観念が集中する。正確に観念が集中すれば、認識作用がその程度を高め、黙っていても精神は統一される。
自分の心を常にはっきり使う習慣をつけることに努力すれば、やがて高級な意識状態が発動することになる。
日にたとえ1時間でも2時間でもいいから、この時間だけは、はがき一本書くのでも、ちょいと人とお話をする場合でも、すべてを何の汚れも濁りもない澄み切った心でやろうと言う習慣をつけなさい。
そうゆう習慣の生活をするようになると、心の状態にもう何ともいえない余裕が出てくる。どんな場合にも慌ても驚きもしない。

第九章 大いなる我が生命の力
人の心と言うものは、およそ何物にもくらぶべくものもない偉大なものである。
自我の中に造物主の無限の属性が存在している。
どんな場合であろうとも、この造物主と自分の生命との結び目を堅固に確保すること。
造物主の心の中は真・善・美。
自分の心の持ち方さえ積極的であれば、その心の中に抱いた生命の力は逃げはしない。

第十章 成功の実現
信念が確固不抜のものになれば、宿願達成の1番最初の原動力が身の内にできあがる。

信念煥発法
想像力を応用して、心に念願する事柄をはっきり映像化することによって、絶えざる気持ちでぐんぐん燃やしていると、信念がひとりでに確固不抜なものになる。
目に触れるすべてのものは一切合財、宇宙の自然創造物以外のものはすべて人間の心の中の思考から生み出されたもの。
いいことだけ絶え間なく絵にかけ。
心があらゆる力の根源。
絶え間なく心にはっきりした映像を描きなさい。絶え間なく心に描く映像が汚ければ汚いほど人生は汚くなるし気高ければ気高いほど人生は価値高くなる。
実在意識は思考や創造の源をなして、潜在意識は力の源という役割を行う。
潜在意識は人間の生命を生かし、また守る貴重な役割を実行すると同時に、実在意識の思念するものを現実化するよう自然に努力を行う傾向がある。
暗示力の応用
心に映像をはっきり絶え間なく描くと同様に、自己暗示も絶え間なく連続的に反復する必要がある。鏡に向かいて、その鏡の眉間のところに新鮮な気分で自己暗示を与える。

自己を作るものは自己である。
自己を正しく作るためにはまず自己を正しく律すること。
自己を正しく律するには、ひとえに信念をもととする連想の観念を、常住我が心の中に厳かに確保すること。





以上、如何でしょうか。
興味をもったら、是非生の声を聞き、その習慣化に取り組んでください。

生活と色々の問題

2017年01月18日 10時37分12秒 | 考え・行動するヒント
日記から。

2017年1月16日
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今日も、朝日を浴びながらの起床。
朝のスープはトマト味。
娘くる。
アサがジジの顔を見て、イヤーとさけぶ。
こんな時期なのよと女房。
上に行こうとして目が合うとまた叫ぶ。うるさい、と一喝したら泣いている。女房がこちらを見て非難めいた顔をする。妙な雰囲気となったが、知らんぷりして上に退散。
昼に降りて行くとアサはいなかった。
私が昼の焼きそばとパスタを作る。
ミートソースは冷凍して置いたものを使うが、ソルトの調整蓋がキャプにくっ付き外れたのを知らず、塩がドバッと出る。薄めたりして手を施したが兎に角塩っぱいソースでした。

午後は、ゴタゴタになった絵に手を加えるが、修正不可能か。色々試して見る。注意することは、しっかりと乾いた後で次の段階にうつり、色を汚さないこと。あまり混色しないこと。水の力を借りること。見たままでなく、表現したい様に描くこと。今回は手遅れのきらいがあるのでガッシュやパステルなどを加えたらどうなるかをも試すことにする。

夕飯はおでんとかやくご飯。ハーもお絵かき教室を終えて来ていた。アサも来たが寝ている。少し、疲れたかな。
帰りには、気分良くハイタッチして孫と別れることができました、ちゃんちゃん。

さて、新聞紙上、高校授業料無償化の線引きで世帯の平均収入が問題になっているが、年金生活者の私はかなり平均よりも低い。
この様な数字に、まず、偏差値によって競争世代は慣らされ、無意味に振り回されたりするわけであるが、数字は数字として、自分の生き方に置いて、こんな平均にこだわることはない。こんな尺度しか持たない薄っぺらな人生を歩んではならない。
しっかりとした自分なりの信念と生き方を貫くことが大切である。
それが自分を大切にするという意味である。
自分に言い聞かせました。はい。

問題は、教育の無償化でしたね。
情熱という難しい問題が常に潜んでいる教育は、「仏作って魂入れず」になる恐れがあることを忘れてはならない。先ずは自戒の念から。

私は教育は公立においては全て無償化にすべきだと思う。人の学習権は生まれに左右されるべきではないから、当然のことである。
問題は、学習困難校の扱いである。勉強を全くする気もないのに、資格として学校だけは卒業しておきたいという我儘な輩に対する対策である。入り口も出口も簡単な学校の問題である。または、入ってしまえば何とかなるという制度運用である。そして、さっさと卒業させてしまえという教える側の態度である。
「悪貨は良貨を駆逐する」といわれる。それ故、おんぶに抱っことは問題外なのである。
だが、この場合にも学習権は保障しなければならない。それぞれにとっての良質の教育いかんという理念と情熱の問題が常に問われるのである。

先ずは、色々の多様な上級学校を作ることである。そして、それぞれのニーズにあった教育の付与が図られねばならない。そこで何を学んでもらうかを明確にすることである。相互の了解が必須である。
学習の先が見えない生徒に先をしっかり見せてやる教育でなければならない。
生活の知恵、学習資源の利用、彼らが必要としていることは山ほどある。教育の不毛とは、我々がそれに寄り添って答えていないだけかもしれない。
そして、一旦必要が決められたなら、要求される能力を身につけなければ卒業出来ないとしなければ教育制度の意味がない。人も資源も無駄にしてはならない。約束を貫くことが貴方の夢を実現することでもある。
この様な内容と組織運営に関しては、皆即ち教える側と学ぶ側双方の全てがこの価値観を共有・発展させなければならない使命を持つ。その為の確認と検証が課題実現の重要な過程となる。
あくまで理想かもしれない。でも、教師も生徒も最低限、やる気のある人の邪魔しちゃダメね。
足の引っ張り合い。これが人間として一番恥ずべき行為である。
さてさて、言うは易し、行うは難し!

さて、ここで一言。教師然とした人間は自己満足に終わり、真面目な教師は悩んで終わる。
ああ、教師って!
すみません、私も教師でした。今回は負の側面を表現してしまいました。
遺憾!もっと前をむかなければ!


2017年1月17日
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朝起きて部屋のドアを開けると、例のごとくガチャと下の方で音がする。今回はもう一度試して見た。矢張り音がする。冷蔵庫の製氷の音の様だが、このところ製氷庫は氷で一杯で、水は入れていない。しかし、部屋の戸を開ける度に音がする。おかしい。
女房が起きたので一つ女房にドアを開けてもらう。音がしない。私が開ける。音がする。もう一度女房。今度はちゃんと音がする。
ドアの音じゃない、と女房。ん!本棚の出っ張ったプラスチック表紙のノートが開けたドアにぶつかって音を立てていた。それだけのことだった。音は階下からしていると最初に認知してしまった私にはドアが音を立ててるとは思いもよらなかった。初動認識の誤りを最後まで引きずっていた。まるで、最初の読みを間違えて誤導捜査をして事件を迷宮入りにしてしまう頭の固い捜査官の様だな。バイアスのかかり方が酷い。

朝は昨日の残りのスープその他。
快便。ありがたい。
ステキな日差しが逃げてしまわないうちに部屋に戻る。冬の日の黄金の朝の日差しを満喫。

孫のアサの誕生日プレゼントをアマゾンで。なんかカードを作ると二千円割引とか。加入無料と書いてある。但し、五百円以上の買い物を一年間のうちにすること、となっている。
ハードルは低い。「よし」と申し込み手続きに入る。
が、よく見ると、次年度も会費無料と書いてある。ということは、そのあとは有料という事かな、と疑問になる。
手続きを戻して、年会費の記載を探す。ありました、ありました。最後の方にやっと千なんぼと記載されています。
危うく引っかかるところでした。もっとも、知った以上無料のうちに解約すれば問題はないか。
前に、楽天のゴールデンカードでポイントの誘惑で引っかかり、セブンカードでは、カード書き換え後、使わないのに今でも会費を取られている。
ツタヤのお試しでは、お試し期間を過ぎれば自動的に有料になることも知らず、使わないのに半年ぐらい取られていた。確か、期間が過ぎる時に解約確認をしようとしたのだが、記載が見つからず、見逃して、そのままで大丈夫なものと解釈してしまったのだった。
そして、きわめつけはスマホの分かりづらい自動延長と違約金。契約更新時を通知し契約内容の検討チャンスを与えるものとしますとカッコ良く言えばいいのに。自動延長させながら、解約すれば違約金なんて姑息な手を使って、企業イメージも、ないものだろうと思う。
これが、資本主義の契約というものの陥穽だ。力の弱い、一般消費者の立場は約款では十分に考慮されているとは言い難い。欲にそそのかされたり、不注意だったり、無知識のお前が悪いんだということになる。この様な誤解を誘う様な契約の様式は形式的な平等に堕する嫌いがある。民法上、そのために錯誤無効というものがあるが、主張が通るか否かは微妙である。知らなかったことに重過失は無かったか、一般に錯誤者の立場に立って知っていれば契約を結ばなかったといえるか(?)が問題だった様な気がする。
ただ、昨今はTwitterといったSNSが盛んであるから、それなりに市民も戦う武器をえた。
いずれにせよ、資本主義ファーストという企業利益優先の本末顛倒な社会の流れは、市民ファーストへと少しづつ見直しが迫られていることは確かだろう。
基本的人権を担保するための実質的な民主主義が在っての経済の自由に他ならないのであるから。
みんなでステキな世界を目指したいものだ。そのために生きているのだから。

新聞の週刊誌広告欄を見れば、笑い、呼吸、日光の勧めが目についた。それらに加えて運動を入れれば心身の活用法としては殆ど完璧ではないか。ただ、心身は人生の道具に過ぎないのだから、目的いかんが問われねばならない。これ無くしては、生きることも虚しい。結局は、上記の効能さえも衰えることになる。これを一般的にいうなら、愛の実現ということが可能であろう。さあ、愛の実現に向かって今日も生き抜くか!いや、生き抜かん!

昼は昨日の晩の残りのおでんとバター味和風炒めご飯。

絵の方をいじっているが一向に良くならない。ゴタゴタするばかり。矢張り、水彩の濃く塗った後の修正は難しい。

散歩も兼ねて、女房の誕生日プレゼントの代金を下ろしにセブンまで。

ビールを飲んで、風呂に入って運動をして、夕飯。
ジワッと幸せの波。ありがとう、色々のことを思って、しかし真白の心にして、お休み。


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以上、取り留めもなく日記に書いてみました。今回はプライベートなことも多少入れました。



今年も素敵な年にしてください。
最後は心一つの置き所です。
心して気を入れてそして無にして生きましょう。
自戒です。