風の便り

心の赴くままに、人生の営みを綴る。

何故、人を殺してはいけないかで問われるもの。

2015年10月30日 14時38分48秒 | 考え・行動するヒント
一頃、話題になった、「何故人を殺してはいけないか」の問いに含まれる問題。

問いを発した人間の心理については、色々の分析が可能であろうが、原理的な回答としては、「自分がされたくないことは相手にするな」という社会的動物の基本ルールに基づくといえよう。いわば、人間社会の大原則なのである。

ところが、この適用範囲につき問題が生じる。家族、仲間内、地域、国家内、世界はどうだ。そして、人間、ペット、動物、一体どこからどこまでを命というのかが問われる。
そもそも、人を殺してはいけないという命題の自明性には、人だけで何故いいのという疑問詞が付いてまわる。

そこで、社会性とは何か?どこまでが社会性を認められるのか、社会性が本当に根拠足りうるか。魂といおうが、原子に始まり単に組み合わせの問題に過ぎないのではないか?人間尊重主義には尽きぬ根本問題が生じる。

就中、意識は大問題である。
人間が死に特別な思いを抱くのは、意識と観念のせいであるのだから。
そこで、意識と観念は身体を媒体として生まれるのか、 その限りでの存在でしかないのかが問題になる。
唯心論、唯物論、現象論、行動主義などなど。

再度問う。我々は、何故人を殺してはいけないのかという疑問に答えてきたのだろうかと。

またまた誤解を招きかねない未消化な問いで申し訳ない。なにぶん考えるヒントですから。
エッ、ヒントにもなっていないって!では何故ヒントにならないのか考えてみて下さい。

日矢

2015年10月30日 13時54分35秒 | Weblog
少し遅れましたが、28日句会の帰り、雲間から光の差し込む景色をキャッチ!


雲間から差す日の光はいろんな言い方があるようです。

薄明光線(はくめいこうせん)、
光芒(こうぼう)、
天使のはしご(梯子)、天使の階段、
ヤコブの梯子、レンブラント光線…とか。

俳句の世界では、「雲の一部が破れ、そこから太陽光線が矢のように射すこと、つまり雲間から射す太陽光線の条(すじ)のこと」を日矢(日箭・陽矢) と言っている。

その他、ひあし【日脚・日足】とも。
(1)雲間などからもれる日光。
(2)太陽が空を過ぎて行く速さ。また、その動きと共に移動して行く光線。日のあし。「―が速い」

等々。